明治時代の京都観光③~近代建築の宝庫~
京都は近代建築の宝庫だということは意外に知られていない。明治時代になって、日本の都ではなくなった京都。経済的にも精神的にも大きく打撃を受けたため、その停滞感を打破するべく、近代化に取り組んでいった。その中で多くの名建築も生まれ、幸いなことに現在もその姿を見られるものも多い。今回は明治時代の建築物を訪ねて歩いてみよう。
まずはなんといっても三条通へ。明治時代から昭和初期までの近代建築の一大宝庫といっていい。ちょうど昭和初期にメインストリートが三条通から四条通に移ったため、壊されずに残ったという幸運な歴史を持つ。
その中でも明治時代に絞って紹介する。三条寺町から西へ歩くと、南側に出てくるのが家邊徳時計店。明治23年の建築で、三条通では最古の建造物だ。当時は建物の上に時計台が造られ三条通のランドマーク的存在であった。現在も、修学院離宮の油絵が描かれた大きな金庫や、2階に繋がるらせん階段など外部、内部ともに当時からも面影を残している。
続いてた高倉通まで歩くと、北側には京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)が現れる。こちらは明治39年の建築で、近代建築が多い三条通の中でもひときわ存在感を放ち、重要文化財に指定されている。辰野金吾の設計で建てられ、現在京都文化博物館の別館として使用。クイーンアン様式をベースにした独自の辰野様式は当時一世風靡し、レンガ造りのひとつの様式美を構築した。入口の華麗な装飾や内部の豪華なデザインなど、現在でも見ごたえ十分な建築美だ。
京都文化博物館は、常設展と特別展に分かれており、一階は江戸時代末期の京の町家の表構えを復元した「ろうじ店舗」が展開されている。ちなみに現在、特別展では木梨憲武展が今月28日まで開催中だ。
そのすぐ西側に同じく北に面して建っているのが中京郵便局で、明治35年に造られた。端正なルネッサンス様式の建物で、昭和53年には日本で最初のファザード建築として修復され、現在も現役の郵便局として活用されている。外観は隅石のおかげで豪華に見えるが、それをのぞけばシンプルなルネサンス様式であり、すぐ隣にある京都文化博物館との建築様式の違いに注目したい。
その他大学にも明治時代の建築が残っている。代表的なのが龍谷大学と同志社大学だ。龍谷大学は寛永16(1639)年に西本願寺に設けられた「学寮」にはじまり、明治9年にはいち早く洋風の様式を取り入れた校舎を完成させ、西洋建築の先駆的存在ともなった。現在、本館・南北黌・旧守衛所・正門は初期西洋建築の貴重な建築物として国の重要文化財に指定されている。
同志社大学の今出川キャンパスには彰栄館、礼拝堂、有終館、ハリス理化学館、クラーク記念館と5つの明治時代の建築が集中している。中でも最も古いのが彰栄館で明治17年の建築だ。
今回紹介したのはあくまで明治時代の建築で、大正、昭和初期と近代建築はまだまだこれ以上の数がある。まずは三条通、続いて七条通を歩いて、近代建築巡りをお勧めしたい。