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「教育再生実行会議」がお墨付きを与えた「アベノミクスのための大学入試改革」

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
大学入試改革ははなから子どもたちのための改革ではなかった(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

教育再生実行会議提言は産業競争力会議の代弁

大学入試改革構想の破綻とその意思決定プロセスの不透明さが大きな問題となっている。

今回の大学入試改革の青写真は2013年10月31日に「教育再生実行会議」が発表した第四次提言だとされているが、実はその大元はアベノミクス第3の矢「成長戦略」を議論するために設けられた「産業競争力会議」だったことを、皇學館大學教授の新田均氏が、「月刊正論」(2013年7月号)で指摘している。

つまり「教育再生実行会議」の提言は、「産業競争力会議」での議論を既定路線として具体化したものである。今回の大学入試改革はもともと子どもたちのために提言されたものではなく、産業的な競争のために始められたものであるということだ。産業界のニーズ→大学教育→高校教育という考え方に基づいている。

産業競争力会議で下村博文文科大臣(当時)が行った提言のなかに、「人材力強化のための教育戦略」「人材力強化のための教育改革プラン」がある。

前者の17ページに「大学入試の抜本的な見直しの方向性について」という文書がある。今回の大学入試改革の理念のような内容だ。「TOEFL等の大学入試への活用」というフレーズもある。

後者にはより具体的に、「産業競争力強化のための国立大学改革」や「グローバル人材力強化のための教育ロードマップ」などのフレーズが躍る。15ページには、産業競争力会議と教育再生実行会議が密接に連携して進められていることが明記されている。

2013年3月15日の第4回産業競争力会議議事録には、下村氏の発言として下記のようにある。

産業競争力会議と教育再生実行会議とが、車の両輪として、互いに協力連携し、整合性を持った深みある議論をするため、双方の意見をそれぞれの会議でお伝えしながら、国民にとってよりよい成長戦略を描いていきたいし、教育再生実行会議でも、教育については産業競争力会議と歩を合わせる形で進めてまいりたいと思います。

出典:第4回産業競争力会議議事録

実際2013年4月15日の第6回教育再生実行会議議事録によれば、下村氏の以下の発言から議論が始まっている。

この後、大学教育やグローバル人材の育成について御議論いただきますが、(中略)この課題に関しては、3月15日に開催された産業競争力会議で、私のほうから「人材力強化のための教育戦略」を発表いたしました。(中略)御議論の参考にしていただければ大変ありがたいと思います。

出典:第6回教育再生実行会議議事録

同年5月8日の第7回会議でも、まず下村氏が4月23日に行われた産業競争力会議の内容を紹介し、それをたたき台にして議論が進められたことが、議事録からわかる。

子どものためではなく産業界のための改革

「教育」と「人材育成」は似て非なるもの。「教育」とは、どんな時代になっても、社会のなかに自分の居場所を見つけ、自分らしく生きていけるひとを育てる、“ひとありき”の営み。「人材育成」とは、なんらかの組織に必要な材料としての必要条件を満たすように人間を枠にはめていく、“目的ありき”の営み。今回の大学入試改革は、「教育改革」ではなく「人材育成改革」の発想で始まったことが、以上の資料から明確だ。

私は拙著『21世紀の「男の子」の親たちへ』のなかで以下のように書いた(抜粋にあたってごく一部修正)。

「グローバル社会」を連呼するのなら、本当に私たち親世代が考えなくてはいけないのは、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)のような超グローバル企業のなかで活躍できる"勝ち組"を育てることではなく、急速なグローバル化に対する反動としての国内外の「分断」を乗り越えられる若者たちを育てることではないでしょうか。

彼らは地球の裏側のひとたちにも自分たちの商品を買ってもらいたいと思っているだけです。ほかの国の競合会社も同じことを考えていますから、競争に勝てる社員がほしいと思っているだけです。

要するに彼らは、子供たちの生き残りのために「グローバル」と言っているのではなくて、自分たちが生き残るために「グローバル」と言っているだけです。単なる商業的な競争のために叫ばれる「グローバル化」には踊らされるべきではありません。

出典:21世紀の「男の子」の親たちへ

経済発展のための人材育成を考えるのは大事なことだし、しくみさえ整えられるのなら英語民間試験を大学入試に活用してもいいと私は思う。複数の会議体が連携することもむしろ好ましいことである。しかしここで言いたいのは、そもそも今回の大学入試改革は、子どもたちの未来のために発想されたものではなく、産業的な競争のために発想されたものであるということだ。理念を具体化していくなかで、受験生置き去りの本末転倒なしくみになっていってしまうのはある意味宿命だったわけだ。

英語民間試験活用の思惑が破綻したいま、記述式問題導入「高校生のための学びの基礎診断」の運用、eポートフォリオの運用なども、発想の根本から見直すべきではないか。本当に必要な改革は何で、無理してまでやる必要のない改革が何なのか、もう一度ゼロベースでの切り分けが必要ではないか。過去を検証しながら同時に未来のしくみをつくることは至難の業だ。であるならば、過去の検証を終えるまで、未来のしくみづくりはいったん凍結すべきではないだろうか。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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