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「ミスター浦安」岩本昌樹はなぜユニフォームを脱ぐのか? 誰からも愛されたFリーガーが刻んだ20年間。

北健一郎スポーツジャーナリスト
岩本昌樹(バルドラール浦安)(写真:アフロスポーツ)

一番は親に感謝したい

 2018年2月13日、Fリーグ(日本フットサルリーグ)のバルドラール浦安は、10番の岩本昌樹が3月に行われる全日本フットサル選手権を最後に現役を引退すると発表した。前身チームであるプレデターの立ち上げから関わり、日本代表にも選ばれた「ミスター浦安」。30代半ばで多くの選手が引退する中、42歳までトップリーグで走り続けてきた。

岩本昌樹選手、現役引退のお知らせ

 今シーズンのFリーグ登録選手の中で、40歳を超えているのは岩本を含めて3人だけ。選手交代は自由にできるとはいえ、攻守の切り替えが速く、運動量が求められるフットサルで高い強度をキープし続けるのは容易ではない。だが、岩本はというと、年齢の壁を軽々と乗り越えてきた印象がある。

 Fリーグ開幕時から行なっているチーム内の体力テストでは、2007年からずっと1位。毎年のように高校や大学を卒業した選手が入ってきても、最高の数字を叩き出すのは常にチーム最年長の10番だった。ピッチを飛び跳ねるような若々しいプレースタイルは、42歳にはとても見えないものだ。

 現役生活で大きな怪我をほとんどしなかったのも特筆すべき点だろう。本人曰く「特別なことは何もやってない」そうだ。

「よく『どうしてるんですか?』って聞かれるんだけどさ。強いて言うなら、自分の感覚を大事にすることかな。自分の体と向き合って、どんな状態かを確認するようにはしていた。でも一番は、親に感謝だよね。こんなに丈夫な体に産んでくれたんだから」

引退を決断した理由

 まだまだできるんじゃないか--。そんな声もあったし、できる自信がなかったわけでもない。その中で引退を決断したのは、なぜだったのか。

「行けるところまで行きたいなって感じでやってきて。だけど、若い選手も育ってきたし、今後のフットサル界を考えても、いつまでも俺がやっているわけにはいかないでしょって。まぁ、もう1年やらせてくれって言ったらやらせてくれたかもしれないけどね」

 岩本が、代表を務める塩谷竜生と前身クラブを立ち上げてから20年。プレデターからバルドラール浦安にチーム名を変えて参入したFリーグでは、1、2年目は準優勝。全日本選手権で日本一にもなった。だが、それ以降は徐々に成績は下降し、ここ数年は上位争いに加っていない。

「自分にとって浦安は家のようなものだし、フットサル人生のほとんどの時間を過ごしてきたところ。だから、浦安には強いチームでいてほしいし、そのうえで応援されるクラブ、愛されるクラブになってほしい。うちにはセグンド(2軍)や下部組織を含めて若い選手がたくさんいる。これからは、そういう選手たちに託したい」

 華麗なドリブルと同じぐらい、印象に残っていることがある。クラブ創設者の1人で、突出した人気を誇るスター選手でありながら、岩本はいつも自然体で、全く偉ぶるところがない。誰とでも笑顔で、楽しそうにコミュニケーションをとっている。岩本をきっかけに、浦安のファン・サポーターになった人がどれだけいるだろうか。

「応援してくれる人の声がなかったらとっくに辞めてたと思う。自分のことのように親身に応援してくれる人が、たくさんいるから、ここまでやってこれた気がする」

 特別扱いを望まず、一選手として競争に身を投じる。何歳になっても、先頭に立って走り続ける。応援してくれる人に、感謝しながらプレーする。そうやって積み重ねてきた20年間の日々こそ「ミスター浦安」と呼ぶにふさわしい。

スポーツジャーナリスト

1982年7月6日生まれ。北海道出身。2005年よりサッカー・フットサルを中心としたライター・編集者として幅広く活動する。 これまでに著者・構成として関わった書籍は50冊以上、累計発行部数は50万部を超える。 代表作は「なぜボランチはムダなパスを出すのか?」「サッカーはミスが9割」など。FIFAワールドカップは2010年、2014年、2018年、2022年と4大会連続取材中。 テレビ番組やラジオ番組などにコメンテーターとして出演するほか、イベントの司会・MCも数多くこなす。 2021年4月、株式会社ウニベルサーレを創業。通称「キタケン」。

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