【河内長野市】葛城修験の滝行修行場!1月下旬に餅撒きがある滝畑唯一の寺院、新緑に包まれた名勝・光滝寺
本日9月9日は重陽の節句ですが、まだまだ残暑が厳しいですね。夏の河内長野といえば滝畑にあるキャンプ場ですが、滝畑は奥河内と呼ばれる河内長野の中でも特に山深いところにありますが、その滝畑の中でもさらに奥地にあるのが光滝寺です。滝畑48滝の光滝の近くにあるのでその名前がつき、寺院の後ろには光滝寺キャンプ場があり、この時期は連日キャンプを利用する人々で賑わっています。
光滝寺といえば、毎年1月下旬の初不動の時に大餅撒き大会がおこなわれれます。2024年は1月28日の13時から行われていました。
餅撒きのときは用事があって残念ながら行けませんでしたが、夏のある日に光滝寺の近くに出かける予定があったので、光滝寺に行ってみることにしました。滝畑ダムのバス停から岩湧山登山口の前を通り過ぎ、蔵王峠方面を目指します。
蔵王峠方面、光滝寺キャンプ場の手前に光滝寺に行く道が分かれています。
光滝寺方面に行くといきなり柵が見えました。通行できないのでしょうか?
通行できないのは車でした。ちゃんと人が通れる場所があります。
柵を潜り抜けて歩いていきます。ちなみに光滝寺の山号は福王山で、西国三十三カ所霊場第四番礼所となっている、和泉市の槙野山施福寺の奥の院となっていたとのこと。
鳥居型のような形をした門があります。俗界との結界でしょうか?
滝畑ダムに流れる石川の上流部が見下ろせます。
河内長野市のページ(外部リンク)によれば、光滝寺は滝畑に唯一残った寺とのこと。他の廃寺から多数の仏像が移されたそうです。
大峯山と書かれた石碑が並んでいます。光滝寺は葛城嶺(大峯と並んで修験道の根本的な修行地、葛城修験)の滝行場として開基(かいき:新しく寺を創立した)されたものとみなされているとのこと。
やがて広いところに出ると、寺の門が見えてきました。ここは広くなっていて駐車場として利用できるようになっています。
ここで謎のオブジェを発見しました。人の形をしていますが調べても情報が出てきません。別の場所にあったものが何らかの理由で光滝寺入口に移築したものなのでしょうか?
光滝寺の門に入ります。2010(平成22)年に改修をしているため、門も含めて建物が新しいです。光滝寺境内そのものは、1969(昭和44)年に河内長野市指定名勝に指定されているとのこと。
門の横には、光滝寺に関係している団体の名前が書いた石碑が並んでいました。
門をくぐって寺の境内に入りました。私が訪問した日は、他に誰も姿がありませんでした。
光滝寺の境内には「炭焼不動堂」があります。かつて滝畑には光滝炭と呼ばれる名産品があり、その由来を説明しています。一部を引用しましょう。
ちなみに、天慶6年は西暦943年です。その1044年後に看板が設置されたようなので、今から37年前の1987年の物と考えられます。
光滝炭については、滝畑コミュニティセンターで展示していました。戦国時代から江戸時代にかけて、茶席用の白炭として主に堺に運ばれ、当時この地を支配していた狭山藩北条氏の専売品になったとのこと。
明治の初めごろにこの地に移築された炭焼不動尊が鎮座しているお堂です。中で鎮座している不動明王は空海の作という伝承があります。
炭焼き不動明王が鎮座しているお堂は1999(平成11)年に改築されました。
炭焼き不動尊の隣に大きな建物がありますが、これは本堂ではありません。
こちらの建物は1月の餅撒きのときに餅を撒く場所です。
そしてこちらは庫裏(本務所)です。本堂はここから少し下ったところにあります。ちなみに江戸時代初期に発行された河内鑑名所記によると、光滝寺に多宝塔が描かれていたとのこと。
境内から階段を降りて行くと光滝寺の本堂が見えてきます。
市指定文化財としての光滝寺境内の紹介です。光滝寺は飛鳥時代の欽明天皇の願いによって行満という高僧が寺を開いたとのこと。
ちなみに欽明天皇は西暦571年生まれの29代目の天皇で、継体天皇の嫡男、聖徳太子の時代よりも古く、仏教が初めて日本に伝来した時の天皇です。
光滝寺を修復した時の記念碑です。江戸時代の光滝寺は天台宗の京都東山にある若王寺の末寺でした。
こちらが記念碑にも記載してあった、天台宗寺院らしいとされる本堂です。ちなみに現在は融通念仏宗です。本尊の不動明王は平安末期の立像で寄木造りとのこと。ただ扉は閉じられていたので内部は見られませんでした。
記念碑にも記載していますが、本堂やほかの建物の痛みが激しくなったので、滝畑の人たちの手によって修復することになりました。
そして、改修事業がどのような手順で行なわれたのかを示す石碑があります。2005(平成17)年から2019(令和元年)と14年かけて行われました。
本堂の横にある小さな祠は葛城修験二十八宿の第十四宿です。光滝寺は江戸時代から葛城修験の経塚がある場所とされていました。
ちなみに現在の葛城修験の第十四宿は、南葛城山の山頂近くにある鏡宿安楽行品(外部リンク)と光滝寺のふたつになっています。
光滝寺をいろいろ調べていたら「ホソノオの蛇退治」という民話が出てきました。それによると、平家の落人の子で弓の達人だった三谷保桑能(みたにほそのお)という人が滝畑にいたそうです。
そのころ、滝畑の南にある紀伊国との境、蔵王峠に大蛇がいて悪さをするので、保桑能が大蛇の首を取り、それを光瀧不動寺(光滝寺)に納めたという話です。
私はこの話を後から知ったのですが、首を収めた証として光滝寺本堂の裏手に「龍王大神」の石碑があると2012年頃の情報で見つけました。残念ながら近くまで行って明確に確認できませんでしたが、よく見ると本堂横からの画像でそれらしきものが写っていました。画像中央です。
光滝寺の周りにはシカラシのなどの林があり、シダやランの仲間も多く群生しているとのこと。光滝寺までの間は石川の渓流となっていて木々に覆われたところを歩くため、夏場でも涼しく気持ちよいので、散策を兼ねてぜひ光滝寺に参拝してみてください。
車の場合は光滝寺の入口で車が入れなくなっているので、手前の岩湧山登山口の駐車場に停めて15分程度の道のりを歩きましょう。
光滝寺
住所:大阪府河内長野市滝畑1147
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 滝畑ダムバス停から徒歩20分
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