なぜカルロス・ゴーン氏は逃亡できた? もはや検察もお手上げか、今後の展開は
2019年は保釈中の逃亡が目立った1年だったが、最後の最後で関係者に冷水を浴びせる衝撃の逃亡劇があった。元日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏だ。なぜレバノンに逃げることができたのか。今後の展開は――。
これまでのパスポートで出国するのは困難
こうしたケースの場合、出国そのものを水際で防ぐことが何よりも重要だ。ただ、検察と入国管理局は同じ法務省畑でも別組織だから、両者の連携がなければそのまま通過されてしまう。
そこで、検察が入管に手配を依頼し、出入国審査時のパスポート提示の際などに手配者のデータベースとヒットすると、自動的に検察に通報され、入管で足止めされるシステムになっている。これを「国際海空港手配」と呼ぶ。
また、各国で「事前旅客情報システム」が導入され、搭乗券を購入する際に航空会社に氏名や性別、生年月日、国籍、居住国、パスポート番号、有効期限、発行国といった情報を登録することが求められている。
その情報が航空会社を通じて入管に伝えられ、出国する航空機へのチェックインが確認されると、空港警察の捜査員が逃亡者を待ち構えるというわけだ。
氏名や国籍などを変えていたら…
そこで、これを逆手に取り、その網の目をかいくぐるため、養子縁組によって氏名を変更するといったケースが現にある。国によってはその国への投資額などに応じてパスポートを発給してくれるところもあるので、これによって国籍や氏名を変えるといったやり方をとる逃亡者もいる。
ただ、写真データも入管に届けられており、氏名や国籍などがデータベースの情報と食い違っていても、風貌が同じだと「類似者」として足止めされ、詳しい調査を受ける場合がある。
そのため、逃亡者は、お盆の時期や年末など、あえて出国ラッシュで空港がごった返し、監視の目も手薄になりがちな時期を狙うわけだ。
大使館の協力を得れば…
ゴーン氏の場合も、保釈中は海外渡航が禁止されており、発行済みのすべてのパスポートを弁護人が預かる条件となっていた。
このパスポートを使って出国しようとすると、弁護人の協力を得る必要がある。検察にも把握されているパスポートだから、入管で足止めされるリスクも高い。
考えられる可能性だが、国籍を有するレバノンやフランス、ブラジルといった国の大使館の協力を得て、氏名やパスポート番号などを変えた新たなパスポートの発行を受けたり、外交用や公用といった特別なパスポートの発行を受けたり、帰国のための渡航書の交付を受けたことだ。
そのうえで、別人のフリをし、年末の出国ラッシュに紛れ、プライベートジェットで出国したというものだ。
もちろん、日本の自宅からそのまま空港に向かえば目立つ。一部メディアでは、クリスマスディナーの音楽隊を装った協力者がゴーン氏を楽器箱に隠し、手荷物検査を受けないという外交特権を利用して出国させたとか、ゴーン氏がレバノンで大統領と面会し、政府の警護を受けていると報じられている。
信憑性は不明だが、頷ける話だ。間違いなく日本の内外に相当数の協力者がいたはずで、彼らとの間で事前に綿密な計画が立てられていたことだろう。
15億円はどうなる?
裁判所の許可を得て数日間の約束で海外に出国し、そのまま帰ってこないというパターンはままあるものの、今回のようにハリウッド映画さながらの逃亡劇は前代未聞だ。偽造パスポートを手に入れて逃げるといったやり方も、実際には少ない。
その意味で、検察が受けた衝撃は極めて大きい。年末年始ということで気を許していただろうし、さすがにここまでの逃亡劇はないだろうと甘く考えていたのだろう。
それでも、ゴーン氏が保釈許可条件に違反したことは確かだ。さっそく検察は裁判所に保釈の取消しを求め、裁判所もこれを認めている。
これで再びゴーン氏を拘置所に収容することができるし、次は保釈保証金15億円を「没取」、すなわち取り上げるという流れとなる。没取は刑罰の一種である「没収」とは異なるが、読み方が似ていて混同しやすいため、実務では「ぼっとり」と呼ばれている。
このように、保釈中の逃亡防止は、もし逃げたら保釈保証金を取り上げるよ、という威嚇によって担保されている。だからこそ、保釈保証金はさすがにこの人物にこれだけ積ませておけば逃げないだろう、という金額である必要がある。
結局のところ、海外に多額の資産を抱えるゴーン氏にとって、15億円など大して痛くも痒くもない金額だったということだ。この金額が妥当だったのかについては、改めて徹底した検証を要するだろう。
裁判はどうなる?
ゴーン氏には「無罪請負人」や「刑事弁護界のレジェンド」と呼ばれるプロ中のプロの弁護士が弁護人として選任されており、東京地裁で粛々と公判前整理手続が進められていた。
2019年12月25日にも公判前整理手続が行われ、ゴーン氏も出席していた。2020年春には初公判が開催される段取りだったが、今回の逃亡劇ですべてが吹き飛んだ。
日本国外に逃亡した者にとってのデメリットは、国外に滞在中はいつまでたっても時効が完成せず、事件を引きずることになるという点だ。ゴーン氏はそんなことなど全く意に介していないということだろう。
また、もし日本に家族がいれば日本で会えなくなることになるが、これもゴーン氏には当てはまらない。
弁護人によれば、「寝耳に水」だったという。ゴーン氏が逃げることなどないと主張していた弁護団も、完全にハシゴを外された形だ。
このままだと弁護団はゴーン氏から解任されるか、自ら辞任することになるかもしれない。ゴーン氏と連絡が取れないという話だし、弁護団の説得で日本に戻ってくるとは考えられないからだ。もはや日本でゴーン氏の裁判が開かれる可能性も乏しい。
行方を探すだけでも一苦労
すなわち、検察は、警察の協力を得たうえで、国際刑事警察機構(ICPO、インターポール)を介し、194の加盟各国に逃亡者の探索などを要請する「国際手配」が可能だ。レバノンも加盟国の一つだ。
その中でも身柄の引渡しを前提として所在の特定や身柄の確保を要請する場合を「赤手配」と呼ぶ。これに至らないものの、逃亡者の所在や身元、行動などに関する情報を照会する場合を「青手配」と言う。
日本が赤手配を要請するのはよほどの事件だ。反捕鯨団体シー・シェパード創立者で南極海調査捕鯨妨害事件の首謀者とされる男や、関東連合リーダーで六本木クラブ襲撃事件の首謀者とされる男らだ。このままの流れだと、検察はゴーン氏を赤手配するかもしれない。
また、インターポールを介さず、直接その国に必要な捜査を要請する「捜査共助」というやり方もある。困ったときはお互いさまということで、出入国歴を含めた所在捜査や関係者の取調べ、証拠物の押収、情報提供などを相互に行っている。
ただし、これらは外務省などの外交ルートを介する必要があるので、時間と手間がかかる。特別な条約や協定を締結している国との間では捜査当局間でダイレクトにやり取りできるものの、米国、韓国、中国、香港、EU、ロシアに限られる。
日本国内から足あとをたどることも
国内に軸足を置いた地味な捜査も大変だ。検察は、日本の内外でゴーン氏の逃亡を手助けした協力者を入管法違反や犯人隠避罪で、ゴーン氏を入管法違反や犯人隠避教唆罪で捜査するはずだ。
令状を取って電話会社から通話記録を、プロバイダーからメールのやり取りなどを押収し、分析したうえで、ゴーン氏と接触した事実やその内容を把握することになるだろう。
ゴーン氏は弁護士事務所の特定のパソコンしか使用できないということになっていたので、場合によってはここも捜査の対象となるかもしれない。
こうした捜査で国内外における足取りをつかみ、点と点を線に繋げていく作業を進めるが、どれだけの成果が挙がるかは未知数だ。
身柄の引渡しは絶望的
所在が判明しても、検察には大きな壁が立ちはだかる。日本が他国との間で逃亡者の身柄を相互に引き渡す法的根拠は、(1)犯罪人引渡条約と(2)逃亡犯罪人引渡法しかないからだ。
日本が(1)を締結しているのは米国と韓国だけだ。(2)はそれ以外の国とのやり取りをカバーするために制定された法律であり、他国からの要請に基づいて他国に引き渡す際の手続を定めているが、「相互保証」という考えに基づいているので、お互いに請求に応じる場合でなければならない。
しかも、実際の適用は何かと面倒だ。(1)は1年以上の懲役・禁錮に当たる罪、(2)はやや要件が厳しく3年以上の懲役・禁錮に当たる罪でなければならない。また、(1)は自国民の引き渡しも認めているが、(2)は認めていない。
そればかりか、相手国の法令に当てはめても犯罪を行ったと疑うに足りる相当な理由を証拠に基づいて相手国に示さなければならない。大量の証拠を相手国の言語で正確に翻訳し、依頼文書を作成し、外務省を通じて外交ルートで相手国の関係機関に交付するのは本当に大変だ。
現に、日本が他国から逃亡犯罪人の引渡しを受けた件数は、例年、0~数人程度にとどまっている。凶悪な殺人事件など、多大な時間と費用をかけて逃亡者の引き渡しを求めるに値するだけの重大犯罪に限られているのが実情だ。
そもそもレバノン政府が自国民であるゴーン氏の身柄を日本に引き渡すことなど考えられない。特に大統領が自らゴーン氏と面会したという報道が事実であれば、相当の後ろ盾があることになり、まさしく国と国との外交問題だ。もはや検察の手には負えないレベルの話にほかならない。
それ以外の国の場合も、どれだけ日本のために本気になってくれるか、どれだけその逃亡者にシンパがいるかなど、さまざまな事情に影響される。
正規の身柄引渡し手続はかなり面倒なので、渡り鳥のようにA国に短期間滞在し、次はB国へといったパターンだと、A国もB国も見てみぬふりをするかもしれない。赤手配されて久しいシー・シェパードの創設者ですら、米国への入国など所在が判明しているにもかかわらず、いまだに引渡しが実現していない状況だ。
あくまでレアケース
特別背任罪や金融商品取引法違反の一審は被告人が出席しなければ裁判を進められないし、判決も言い渡せない決まりだ。その状態が長く続いた場合、裁判開始の見込みが立たないということで検察が自ら公訴を取り消し、裁判所も公訴を棄却するといったやり方も法的にはあり得る。
しかし、この事件で検察がその選択をするとは思えない。「逃げ得を許さない」「最後まで諦めない」という姿勢を内外に強く示す必要があるからだ。1980年に恐喝罪で起訴されて保釈され、初公判前に行方をくらました韓国籍の被告人を検察が30年にわたって追い続け、名古屋で発見、収容した例もあるほどだ。
ゴーン氏の事件も、ゴーン氏の死亡が確認された段階で公訴棄却となり、裁判手続も打ち切りとなるが、それまで検察は起訴を維持し続けるのではないか。
ゴーン氏は、レバノンに入国後、「日本の司法制度は、国際法・条約下における自国の法的義務を著しく無視しており、有罪が前提で、差別が横行し、基本的人権が否定されています」といったコメントを出している。
「人質司法」「中世並み」と揶揄(やゆ)されるほど長期の身柄拘束が濫発されている状況や、取調べの可視化の不徹底、取調べに対する弁護人の立ち会いが認められていないこと、再審請求事件を含めて証拠の現物をすべて開示する制度がないこと、捜査当局のリークに基づく有罪決めつけ報道が横行していることなど、まさしくゴーン氏の言うとおりだ。
しかも、昨今の保釈許可率の上昇は、「人質司法」による弊害を打破しようとしたものにほかならない。実際には保釈が許可されても逃亡せず、きちんと裁判所に出頭してくる被告人のほうが圧倒的に多い。件数自体は少ないのに、保釈中の逃亡事案が相次いで大きく報じられていることで、こんな被告人ばかりだという印象を与えているだけだ。
今回の逃亡劇がレアケースにすぎないという点には注意を要する。
逃亡劇がもたらすものは
それでも、裁判所がどれだけ厳しい保釈条件を付けたとしても、多数の支援者を抱える資産家が海外に逃亡しようと思えば、簡単に逃亡できるルートがあることが示されたのも確かだ。
検察が叩かれる中でのトドメの一撃とも言える逃亡劇だから、「焼け太り」がお家芸の最高検が旗振りをし、ほかの保釈請求事件でもますます強く保釈に反対するといった対応に出ることが考えられる。
特に保釈保証金の決め方だが、検察側が被告人の資産関係を厳格かつ徹底的に調査したうえで裁判所に証拠を示し、相当高額なものでなければ断固反対しろとか、保釈保証金の一部について弁護人の保証書を差し入れさせろといった話になるかもしれない。
将来の新規立法に向けて背中を押す形にもなるだろう。例えば、現在では保釈中に逃亡しても刑法の逃走罪は適用できないが、これが可能となるように、しかも厳罰化するように法改正するといったものだ。
カナダでファーウェイ社のCFOが保釈された際に注目されたように、保釈を認める代わりに取り外しできないGPS端末を被告人の自費で装着し、24時間、リアルタイムで行動監視をするといったやり方もその一つだろう。(了)