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凱旋門賞のため遠征した武豊が、満面の笑みを投げた長身の紳士の正体は誰か?!

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
武豊騎手が笑みを見せて握手をかわしたこの相手とは?

ユタカは元気かい?と聞いてきたのは……

 凱旋門賞でドウデュースに騎乗した武豊騎手は、前日のパリロンシャン競馬場でも2鞍に騎乗。1つはキーファーズの松島正昭代表がオーナーで、アイルランドのエイダン・オブライエン厩舎に所属するペロタンで、もう1頭はドウデュースの帯同馬としてフランスへ飛んだマイラプソディ。

 そのマイラプソディが出てくるのをパドックで待っていると、トントンと肩を叩かれた。見るとそこには知った顔の男がおり、彼は聞いてきた。

 「ユタカは元気かい?」

当方の肩を叩き「ユタカは元気かい?」と聞いて来た男。写真は16年に撮影
当方の肩を叩き「ユタカは元気かい?」と聞いて来た男。写真は16年に撮影

 そこで「このレースに乗っているから今から出てきますよ」と伝えると「じゃ、一緒に待とう」という事になり、しばし待つ事にした。

 この男はシャンティイで開業していた元調教師のジョン・ハモンド。1991年にスワーヴダンサーで凱旋門賞初制覇をマークすると、1999年にはエルコンドルパサーを破ったモンジューで2度目の優勝をした伯楽だ。そして、何よりも2001、02年とフランスをベースに騎乗した武豊が、所属したのが彼の厩舎だったのだ。

01年、仏国ハモンド厩舎で調教に騎乗する武豊騎手。右がハモンド調教師(当時)
01年、仏国ハモンド厩舎で調教に騎乗する武豊騎手。右がハモンド調教師(当時)

「フランスへ来てください」と声をかけてきた男

 「前年の2000年にはアメリカで乗っていたのですが、その時に『今度はフランスに来てくれないか?』と声をかけてくれたのがジョンでした」

 武豊は述懐する。

 こうして渡ったフランスで、01年にはハモンド厩舎のインペリアルビューティーに騎乗してGⅠ・アベイユドロンシャン賞を優勝した。幸運な事に私もその場に居合わせていたのだが、当時、日本の天才騎手は、タッグを組んだハモンドについて、次のように言っていた。

 「GⅠを勝って、その時は喜んでくれたけど、いつまでも余韻に浸る事なく翌朝には普段通りの仕事をしていました。『格好良いなぁ』って感じましたね」

01年インペリアルビューティーでアベイユドロンシャン賞(GⅠ)を勝った際の武豊。右から2人目、後方で顔が半分だけ見えているのがハモンド
01年インペリアルビューティーでアベイユドロンシャン賞(GⅠ)を勝った際の武豊。右から2人目、後方で顔が半分だけ見えているのがハモンド

 さて、今年の凱旋門賞前日の話に戻る。マイラプソディに騎乗するためにパドックに現れた武豊はハモンドの姿を見つけるとその表情は瞬時に満面の笑みに変わった。ハモンドは言う。

 「一瞬だったけど、懐かしい戦友と久しぶりに話が出来て良かったよ。彼には夢である凱旋門賞制覇をいつの日か成し遂げてもらいたいね」

 一方、武豊は次のように語る。

 「今でも顔を合わす度に『機会があればご飯へ行こう』と誘ってくれます。フランスへ行くたびにジョンの事は思い出すし、長期滞在した時の経験もその後の騎手人生に大きく良い影響をもたらしてくれたと感じます。恩人は沢山いますけど、ジョンもその中の1人である事は間違いありません」

 20年の時が流れ、ハモンドは既に調教師を引退。立場は変わったが、国境を越えた友情は風化していなかった。日本のナンバー1ジョッキーの大願成就を願うのは、日本人ばかりとは限らないのである。

武豊は凱旋門賞前日のパドックで恩人であるジョン・ハモンドと久しぶりの再会を果たした
武豊は凱旋門賞前日のパドックで恩人であるジョン・ハモンドと久しぶりの再会を果たした

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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