200年以上前からある先祖代々の墓。崩れ落ちそうな地盤、古い墓石はどうしたら良い?
15基ほどある古い墓石をまとめたい
岡山県の桃畑が広がる一画に、200年以上続く先祖代々のお墓を守っているIさん(70代男性、仮名)は、先祖代々の墓を前に悩んでいた。岡山駅から車で40分ほどに位置する自宅の裏にある村墓地の一画にI家の墓所がある。
古い墓石は200年以上前のものになると聞いている。おそらく30人以上のご先祖がこの地に眠っているのではないだろうか。
急な登り坂の細い道を上がった先にあるのは無造作に置かれた角柱型の古い石塔が15基。それはそれで風情のある墓所であるが、近年は降雨量が増加し、裏の土壁部分は今にも崩れ落ちそうな斜面である。
「次世代へ残すために、自分の代で墓所をきれいにしておきたい」というのがIさんの願いだった。
墓がなくなると痕跡がなくなる
「墓石が語る江戸時代~大名・庶民の墓事情~」(著者:関根達人)によると、江戸時代は、地域によって変化の速度は異なるものの、将軍・大名から一般民衆までこぞって墓を建てるようになった「墓石時代」であるという。260年におよぶ江戸時代を通して前半の普及率は低いのだが、次第に個人墓・夫婦墓を中心に増加、後半になると家族墓が出現し、それにより墓石の普及が加速したと推測されている。
I家の墓所もそんな時代に先祖が思いを寄せて建て続けて来たものなのだろう。
I家の墓がある村墓地の丘の上の方には、かつてこの土地の有力者であったと思われる家の墓所らしき痕跡があるが、そこは木が生い茂り荒れ果て、もはや誰の墓なのか知る人はいない。有力者であっても、歴史に名を刻むような一部の人を除き、ほとんどは死後百年程度経過すれば、忘れ去られてしまうのだ。
郷里から離れたり子孫が墓を守っていけなくなったら、その先祖の息吹は途絶えてしまう。Iさんは先祖の生きてきた証を刻む、200年以上続くこの墓に誇りを持っている。
限られた予算の中で、こだわりを反映する
「特にこだわりがあったのは石垣でした。」
と語るのは、この墓所のリフォーム請け負った株式会社ファイングの川上明広さん。
石垣は自然石を利用して職人が積み上げたもの。近年はコンクリートブロック等の普及で、こうした自然石を使った石積み工事が減少しており職人の数も減少している。かなづちを振ってひとつひとつ間知石(けんちいし)と呼ばれる四角錘体状に整えられた石材を、パズルのように組み合わせていく技術は美しい。石工職人が魂を込めて積み重ねた石垣にはなんとも言えない味がある。
石垣に至るまでの土壌の状態、排水、水路の調査等にも時間を要する。こうした基礎工事から石垣まで舞台を整えることが最も費用も日数もかかったという。
「その分、全体の設計の中で妥協案を模索しながら、予算を抑えるなど工夫をした」とIさん。納得のいく墓所にするために、複数の石材店をまわり比較検討したという。
整地された墓所には、先祖墓と供養塔が新しく建てられ、30年前に作られた一番新しい夫婦墓を含めた3基が並んだ。これまで無造作に並べられていた石塔も墓所の後方に一カ所にまとめられた。
墓じまいではなく、継いでいくという選択
今回のリフォーム工事を請け負った前出の川上さんは「岡山では、数百年の歴史を刻む墓を目にするケースは少なくないが、こういった墓でも守っていくことが難しいという理由で墓じまいをする人が増えている」という。墓じまいを選択する人の半分以上は、すでに他エリアへ出てしまった人がほとんど。また、墓守はいても昔からある墓所を守り続けていくことに負担を感じている人も少なくない。
Iさんの場合、息子も地元で育ち、地元で父と同じ道を歩んでいる。「墓のことは自分が見るから」と息子は父の思いを受け止め、200年以上続くこの墓に自らもまた歴史の一幕になることを望んだ。
「墓は庶民の文化遺産であると思う。200年、300年前のものが天災・人災を乗り越え現存し、時空を超え現代の私達と同じ時間を共有している」と川上さん。墓石からは、刻まれた文字だけでなく、大きさや形、装飾、石種といったところからも、当時の情報を得ることができる。
新しくリフォームされたI家の墓を前に、墓石に刻まれた先祖がいることで自分たちがこの場に立つことができることを少なくとも実感したはずだ。墓は先祖を供養する対象であると共に、そこから歴史のロマンも感じずにはいられない。
【参考文献】
著書:関根達人「墓石が語る江戸時代~大名・庶民の墓事情~ 」(吉川弘文館、2018年)