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不安のはけ口に感染予防の名を使うな:安心とゼロリスクを求めすぎるコロナ偏見差別

碓井真史社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC
写真はイメージ:大きな不安は恐怖から偏見差別を生む。(写真:アフロ)

■「会社辞めるか、奥さんが辞めるか」看護師と家族に誹謗中傷

医療従事者と関係者への偏見差別、誹謗中傷が広がっている。

こんな事例もある。

「看護師の夫が勤務先の会社から「奥さんが看護師を続ける限り、あなたは出勤できない。会社を辞めるか、奥さんが辞めるか」と迫られたケースがあったという」(「会社辞めるか、奥さんが辞めるか」看護師と家族に誹謗中傷 クラスター発生の病院:5/9神戸新聞Y!)。

医療従事者に対しての入店の拒否、タクシーの乗車拒否、医療従事者の子供の通園や通学の拒否などの報道もある。

■不安から偏見差別、攻撃へ

私たちの社会に、新型コロナウイルスの不安と恐怖が広がっている。たしかに、すでに600人以上の方が亡くなり、さらに一歩間違えれば医療崩壊が起き、数十万人が死ぬ危険性もある。感染の爆発的増加は、防がなくてはならない。

だが同時に、私たちの国では毎年様々な感染症で数千数万の人が死に、交通事故でも3千人が死に、家庭内の風呂では1万9千人が死んでいるという調査もある。それでも私たちは、日常生活を送っている。

しかし、新型コロナウイルスはとても怖い。新しく、正体がわからず、目に見えないものは、恐ろしいのだ。感染が恐ろしいだけでなく、感染して人から忌み嫌われることに、強い不安も感じている。

不安と恐怖に心が縛られると、過剰な防衛本能がわいてくる。自分や自分の家族、自分の会社、自分の町を守らなければならない。その思いが、他者への排除と偏見差別につながり、攻撃へと発展する。

動機は、家族愛、郷土愛、愛社精神かもしれない。その思いは素晴らしい。しかし、その思いが暴走すれば、社会の分断と混乱が生まれる。

その思いから、他の人が見れば偏見差別と言われる行動が出ていないか。そうなれば、地域も会社も街も商店街も、かえって評判を落とすことになrないだろうか。

■命に関わる問題?:本当の命の守り方

偏見差別をやめようと話すと、これは命に関わる問題だと反論する人がいる。間違った偏見差別ではなく、命を守るための正当な行為だという反論である。たしかに、命は大切だ。

しかし医療従事者の家族が学校や会社に行き、そこが感染クラスターになることはあるだろうか。

この問いの答えは、私は専門外だ。だが、専門家や専門機関は、その危険性を避けるように提言しているだろうか。厚労省やWHOが、避けるように推奨しているだろうか。そんなことはない。正しい知識を求めよう。

そう説明しても、反論は続く。「リスクはゼロではないだろう」「念には念を入れて」「理屈はともかく怖いものは怖い」「厚労省もWHOも信用できない」「何かあったら責任を取れるのか」と。

科学は、なかなか「可能性ゼロ」とは言えない。極めて低いとは言えるが。しかし科学的に「極めて低い」とは、日常生活上で常識的に言えば「ゼロ」という意味だ。

私の頭に隕石が当たって死ぬ可能性は、ゼロではないが極めて低い。私たちは、隕石を心配しないで屋外に出ている。

私たちは、リスクと共に生きている。危険は常にある。

隣の家が自動車を買ったらどうだろう。その自動車がうちの子をひき殺す危険性はないか。隣の人がタバコを吸っている。その煙が我が家に漂ってきて、健康被害を与える危険はないか。

町内に、酒好きの人がいる。この人が、酔って私の家族を殴ったり、酔っ払い運転で死亡事故を起こす可能性はないか。

新築の我が家に風呂など作ったら、家族が風呂で死ぬ可能性はないか。

どれもこれも、可能性はゼロではない。気をつけなくてはならい。だが、だからといって、その人たちや家族を責め立て、追い出すことは正しいだろうか。風呂は作らない方が良いだろうか。

普段の落ち着いた私たちなら、危険を知りつつも、子供に自転車を買い与え、日本より感染症の危険が高い外国にも行っている。

一つひとつの病気や事故のたとえは、新型コロナとは異なる点がある。それぞれ再反論ができるだろう。だが、そんな細かい話をしているのではない。

普段なら、適切にリスクと共に生活している私たちが、新型コロナの話になると、過剰にリスクを避けようとしていることはないだろうか。

ゼロリスクを求めること、科学的医学的な安心だけでななく完璧な安心を求めてしまうこと、これは実は危険なことではないだろうか。

■心を整え、相互支援関係を作ろう

「命に関わる問題だ!」。これは、強力な言葉だ。偏見差別などの問題よりも、命の方が大切と感じても無理はない。しかし、もう一度考えよう、命に関わる様々な問題で、私たちはいつもそんな態度だったろうか。

新型コロナウイルスの感染予防対策は、とても大切だ。しかし、感染予防を口にすれば何をしても良いわけではない。リスクを下げることは大切だが、ゼロリスクを求めて偏見差別が生まれていないだろうか。

私たちの心が、今不安と恐怖に支配されそうになっている。この不安と恐怖を何とかしたいとあせり、そのはけ口として感染予防という口実を使い、他者を排除する思いや行動が生まれていないだろうか。

偏見を自覚することは難しい。いや、ほとんど不可能だ。偏見を持つ人は、いつもそれは偏見ではなく、正しいことと感じるからだ。

自分は感染予防のために正しいことをしているのに、偏見などと責める人間の方が間違っている。そう感じるのは、もっともだ。

だから冷静に話し合おう。人の意見も聞こう。最新の情報を集めようとしすぎて、怪しげなネット情報に飛びつくのは止めよう。

偏見差別は、している側は正しいとしか感じられない。だが、されている側は敏感に偏見差別と感じる。同じことを私がされたらどう感じるか。同じことを私の家族がされたらどう感じるか。ほんの少し立ち止まって、考えてみよう。

心に偏見の思いがなくても、差別が生まれることがある。医療従事者の家族だからといって出社を止めることなどしたくはないが、取引先や顧客が要求しているという場合もあるだろう。その要求に屈すれば、心ならずも差別的扱いをすることになる。

だから、誰かを単純にせめて済む問題ではない。みんなが不安で、不安解消として過剰なゼロリスクや安心を求めてしまっているのだ。

私は偏見差別はないが、他の人は偏見差別をするかもしれない。そう思ってしまえば、会社や学校を守るために自分も差別的行為を取らざるを得なくなる。こんな社会は住みやすい社会だろうか。

新型コロナウイルスの感染予防のためには、社会的距離をとることが大切だ。社会的距離を取りながら、それでも人間関係を保つためには、心の距離を取ってはならない。

私たちの社会が分断され、疑心暗鬼になり、憎しみあいながら、一体どうやって感染予防を行っていくのだろう。コロナ騒ぎが終わった後で、どんな人間関係が残るのだろう。

私たちは、ウイルスの伝染を防ぐだけでなく、恐怖と不安の伝染を防がなくてはならない。

冷静になろう。絆を取り戻すために。落ち着こう。効果的な感染予防のために。心を鎮めよう。この先もずっと存在し続けるウイルスと共生するために。

社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC

1959年東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)。精神科救急受付等を経て、新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。新潟市スクールカウンセラー。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「めざまし8」「サンデーモーニング」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ホンマでっか!?TV」「チコちゃんに叱られる!」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』等。監修:『よくわかる人間関係の心理学』等。

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