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民法改正で置き去りにされる賃金(残業代)の短期消滅時効

渡辺輝人弁護士(京都弁護士会所属)
今でもサービス残業は野放し状態(写真:アフロ)

ここ数年ほど、本当にやる気があるのか、そもそも必要性があるのか、筆者も属する法曹界では、民法の債権法分野の大改正がずっとテーマでありました。これについては、民法学者の方々が広げた壮大な計画が様々な思惑の中でいつの間にか縮んでいき、最後には旗振り役だった偉い学者先生が突如弁護士登録されたりと、筆者のような実務法曹のサイドから見ると「本当にやるの?こっちは改正されたら一から勉強するんだよ?」という雰囲気もあったのですが、本日、衆議院で法案が可決されるようで、今国会で成立の公算が高まっています。

短期消滅時効制度がなくなる

今回の民法改正のなかの大きな柱の一つは短期消滅時効制度の廃止です。

現在の民法では「債権」(身近な例で言えば、様々なお金を払って貰う権利)の消滅時効は原則10年でした。ただし、会社を相手に取引する場合が典型の商事債権は商法522条で5年とされたり、弁護士の報酬請求権は2年、旅館の宿泊料や飲み屋の付け払いの請求権は2年、労働者の賃金請求権は1年などと、様々な「短期消滅時効」が定められていました。お金を請求できるときからその期間を経過したあとに債務者(お金を支払う義務を負う側の人)に「時効です」と言われると、お金を請求する権利がなくなってしまうわけです。

しかし、今回の債権法改正で、債権の消滅時効は「請求権があると知ったときから5年(知らなかったときは最長10年以内で請求できるようになってから5年)」に統一される。」(2017.4.12朝日注:引用しましたが元記事に誤記があるようなので引用を撤回します)ことになりました。短期消滅時効制度自体が廃止されると、民事の債権については一部の例外を除き、ほぼ一律で「5年(知らなくても10年)」の消滅時効に統一されることになります。商法522条は削除される予定です。

取り残される賃金債権の短期消滅時効

ところで、この流れに完全に取り残されているのが、上記の例で挙げた労働者の賃金(残業代の請求権も含みます)の消滅時効です。すでに述べたように、明治時代にできた民法では賃金債権の短期消滅時効は1年となっていました。戦後の1947年にできた労働基準法の115条では、労働者の権利を保護する見地から、これを2年(退職金は5年)に延長しました。もっと長くしなかったことについては、労働者の保護と使用者の取引の安全(時間がたってあとからいきなり請求されない利益)のバランスを計ってきた、と説明されています。この場合、労働基準法が基本法である民法の「特則」としての役割を果たすことになります。商事債権について、商法522条が10年より短い5年の消滅時効を定めていたのも「取引の安全」を重視した民法の特則です。

今回の民法改正で短期消滅時効の制度自体がなくなるので、そうすると、労基法で定められた賃金債権の2年の消滅時効の立法根拠も失われるはずです。ところが、今回の債権法改正では、労基法115条はそのまま存置される予定です。商事債権すら、短期消滅時効が撤廃されるのに、賃金債権の短期消滅時効のみ温存されるのはいかにもアンバランスです。事業主が会社の場合は労働者の賃金請求権も商事債権ですが、それでも、賃金債権は2年になってしまうのです。まして、労働者を保護するためにある労働基準法で、労働者を保護するために作ったはずの規定を残して労働者に不利益を課す、というのは明らかな矛盾で、筆者は憲法14条が定める法の下の平等に反するのではないかとすら思います。新しい債権法が適用されるのは、施行後に新たに発生する債権なので、早期の労基法改正が行われない場合、新債権法が施行された2年後には憲法違反の訴訟でも起こせ、ということなのでしょうか。

ブラック企業などを中心に圧倒的に使用者優位の職場環境の中で、労働者が在職中に未払残業代の請求をするのが困難であることは周知の事実です。昨年から今年にかけては、電通、三菱電機、ヤマト運輸など、大手企業でも未払残業が横行している実態が明らかになってきました。一方、残業代を含む賃金債権の時効を5年にすれば、使用者が残業代の不払い(これ、犯罪ですからね)を働いて、あとから労働者に請求された場合のリスクが飛躍的に増大するので、残業代の未払自体が減少することが予想されます。それは、そもそも論での残業抑制にも繋がっていくでしょう。

今、「働き方改革」ということが言われています。しかし、この賃金債権の置いてけぼり状態を見るだけでも、政府が労働者保護を推進する気があるのか疑問符がつきます。未払賃金が大量に存在していることを前提に、企業を庇っているようにすら見えます。政府は、残業代ゼロよりも、「未払残業ゼロ」、そして究極的には「残業ゼロ」(でも生きていける制度)を確立していくべきではないでしょうか。賃金債権の短期時効の撤廃はそのための入り口であり、早急に実現すべきと考えます。

弁護士(京都弁護士会所属)

1978年生。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。基本はマチ弁なので何でもこなせるゼネラリストを目指しています。著作に『新版 残業代請求の理論と実務』(2021年 旬報社)。

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