レアル・マドリーのストライカー伝説。その「影」に王者の偉大さが浮かぶ
レアル・マドリーの下部組織であるカスティージャは、多くのストライカーを生み出している。「ゴールを狩る」という才能を見いだす発掘力に優れ、能力を伸ばす環境を与えられる。その点、欧州随一と言っても過言ではない。
ロベルト・ソルダード(フェネルバフチェ)、アルバロ・ネグレド(ベジクタシュ)、アルバロ・モラタ(チェルシー)、ロドリゴ(バレンシア)、ホセ・マリア・カジェホン(ナポリ)、ヘセ・ロドリゲス(ストーク・シティ)、マリアーノ(リヨン)など、多くのカスティージャ育ちのFWが、現在も欧州のトップクラブで活躍を遂げている。
共通点が一つあると言われる。
「虎の目」
それは、どんな状況でも、屈しない。狩りをする肉食獣の気概だ。
影になった男たちの強さ
マドリーで長く活躍したラウール・ゴンサレスは、「虎の目」を持つ象徴的な選手だった。貧しい地域に育ち、「サッカーでしか這い上がれない」という覚悟を感じさせた。誰よりも、ゴールに執着し、厳しい局面でこそ輝く選手だった。
ラウールの放った光は目映いばかりで、多くの選手を「影」にしてきた。彼がいることで、次々に育ってきたストライカーたちも道を阻まれている。重圧にも動揺せずゴールを奪うラウールは、次元が違う選手だったのだ。
しかし、英雄の影になった選手も、優れたストライカーの資質を備えていた。
「たとえトップに上がれなくても、落ち込んだりしない。我々はマドリーで育ったことを誇りに思えるし、そんなので打ちひしがれてしまうほど、ヤワでもない。強い男であることを教えられるし、そういう選手しか、マドリーではやっていけないんだ」
かつて、カスティージャで育ったルイス・ガルシアはそう洩らしていた。マドリディスモ(マドリー主義)の矜持だ。
影の一人、アランダ
影の一人に、当時トップチームで活躍していたブラジル代表ロナウドと似た風貌で、「ロナウド二世」と呼ばれたカルロス・アランダという選手がいた。
アランダはスペインの南、アンダルシアのマラガに生まれている。赤ん坊の時に両親は離婚してしまった。父親は息子を置き去りにフランスに移住し、残った母親は薬物中毒で癌にも冒され、彼が9歳の時に他界。以来、少年は叔父や祖父に世話になりながら、近くの海でたこを捕まえ、レストランに売って日銭を稼ぎながら育った。
「学校なんて、すぐに辞めたよ。やってられねぇって、やりたいことをして過ごしてきた。もちろん、悪さをすれば罰を与えられたけど、そのたびにますます悪さをしたもんだ」
アランダはそう回想している。典型的な不良少年だった。すさんだ家庭環境が少なからず影響し、協調性を失い、自分のルールでしか過ごすことができなくなっていた。
ストライカーとしての異能
そんな彼にも幸運があった。叔父であるキコ・アランダがマラガ、バジャドリードでプレーした元プロ選手だったことで、関係者とのコネを持っていた。
ただ、アランダ本人にその気はなかったという。
「俺はプロなんて興味がなかった。マドリードに到着して2日後には、もうマラガに帰りたくなったよ。いろんなことが面倒くさくて、耐えられなかった。頭がおかしくなりそうで。けど、おじきが俺に言ったんだ。『このチャンスは逃すな。家族が恋しいなら、こっちから会いに行ってやるから』って。そういうことじゃねぇつーの(笑)」
アランダがマドリーの門をくぐれたのは、コネだけが理由ではない。180cm以上の大柄な体躯はしなやかに動き、爆発力も備えていただけに周囲を圧倒した。マークに来たディフェンダーを引きずり倒す。パワフルな激しいプレーが目を引いた。なにより、ピッチに入ると、荒々しい性格が際立った。
「将来性を感じた」
当時、マドリーで育成部長をしていたビセンテ・デルボスケが惚れ込んだ。一般的な教育を受けておらず、常識もない。入団を危ぶむ声もあったが、デルボスケは押し切った。
なぜなら、アランダが虎の目を持っていたからだ。
デルボスケのスカウティングの正しさ
その後、アランダはマドリーのユースでめきめきと頭角を現している。2000-01シーズン、カスティージャでエースの座をつかみ、注目を浴びる。トップチームでもチャンピオンズリーグに2試合出場した。
しかし、トップではラウール、ロナウドなど有力FWが陣取り、満足な出場機会は与えられなかった。
結局、アランダはクラブを出ることになったが、カスティージャ育ちのストライカーとして不屈さを示した。20年近く、ヌマンシア、オサスナ、サラゴサなど10クラブ以上を渡り歩いている。ゴールによって、人生を切り拓いたのだ。
そして37才になった2016―17シーズン、マラガの4部に所属する地元クラブで1年間戦った後、引退している。生涯を通じ、ゴール後のパフォーマンスは、もがきながらも愛してくれた母に捧げた。単なる荒くれ者では、カスティージャの門を叩けないのだろう。男としての純粋さはあった。それをデルボスケに見抜かれたのだろう。
たとえ、聖地サンティアゴ・ベルナベウで白いユニフォームを着られなかったとしても――。カスティージャで過ごした日々に誇りを持つストライカーが各地で活躍している。その熱量がマドリーというクラブに奇跡を起こす。彼らは影ではない。マドリーの一部なのだ。