戦国時代のスイーツ男子・織田信長がリクエストした南蛮菓子・金平糖
一般的には残忍で恐ろしいイメージが先行する織田信長ですが、実は気遣いができる優しい人物だった事が分かってきました。また、お酒が飲めず下戸だったり甘いもの好きな『スイーツ男子』だったようです。
そこで今回はスイーツ男子・織田信長を掘り下げてみようと思います。
宣教師によって南蛮品がたくさん献上された
ルイス=フロイスが信長に謁見したとき、さまざまな南蛮品を献上しました。
その中にバナナも含まれていたそうで、『日本人で初めてバナナを食べたのは信長なのでは?』とも言われています。記録にはないので初めてなのかは不明です。
また、南蛮のお菓子などもたくさん献上されており、カステラ・ボーロ・金平糖などがありました。その中でも透明なフラスコに入った星形の砂糖菓子【金平糖】を見て信長はとても喜んだそうです。
スイーツ男子・織田信長
信長は干し柿が好物でよく家臣たちに褒美として与えていました。ルイス=フロイスにも干し柿を贈った記録があります。※フロイスは干しイチジクだと思っていたそうです。
四国の長宗我部元親が対立を避けるため、信長に砂糖を贈ったとされ、信長の甘いもの好きは日本では結構有名だったのかもしれません。
家康のためにお菓子を作った
多くの戦国大名たちは厨房に入り料理をたしなんだと言われており、伊達政宗も料理上手で知られています。
織田信長もお菓子好きが高じて自ら厨房に立ち、手作りのお菓子をもてなしました。それが、炒った米や麦を臼で挽いて粉にし、お砂糖を混ぜたお菓子【ふりもみこがし】。
松平家忠が書いた『家忠日記』に「上様自ら家康の御膳を運び、お供衆にもふりもみこかしを挽いて下さった」と同席した家臣から届いた書簡について記述があり、信長が家康のために作ったようです。
織田信長と金平糖
フロイス達宣教師たちは織田信長にワインやお菓子などのたくさんの南蛮品を献上しました。ワインなどもその中に含まれていますが、飲んだという記録もありませんし『下戸の信長が飲んだのか?』と疑問も残ります。
そんな多くの南蛮品の中で食いつきがよかったのが金平糖でした。
金平糖をかなり気に入ったのか、何度も取り寄せていた事を考えると食べていたのは間違いなさそうです。
冷徹で残忍なイメージ強い信長が嬉しそうに金平糖の入った瓶を握りしめているのを想像するとギャップ萌えしそうです。
大阪糖菓株式会社の『信長の金平糖』
『どうする家康』では家康が金平糖(コンフェイト)を信長からもらっていました。ドラマで登場した金平糖は私たちが知っているカラフルではなく、真っ白で少し大きいと記憶しています。
どこかで売っているかもしれないと探していたら、大阪糖菓株式会社さんで『信長の金平糖』が売っていました。そこで早速取り寄せて、織田信長が食べてたかもしれないコンフェイトを食べました。
商品はこちら…
商品に付属している冊子にはアニスと呼ばれる植物の種を煎り、蜜をかけて直径1センチほどになったら完成と書かれています。当時の南蛮商人たちは長期間の船旅を乗り切るために、ノドや健胃薬として常備したそうです。
注意書きにも書かれていましたが、口に入れると思っていた以上に硬かったです。味は混じり気のないやさしい甘さで、小さくなって噛むとアニスの香りが広がりました。
アニスは古くから薬草や香草として用いられ、「肝臓の機能停止を防ぎ、不快なガスの排出を促し、主要な体液の流れを促進する」と16世紀イギリスの『バンクスの本草書』に書かれています。※参照Wikipedia
『織田信長と同じものを食べていたかもしれない』と言うロマンを感じながらいただくのもおつなものです。