「奢り奢られ論争」がなくならない理由5選
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こんにちは、えらせんです。
デート代金について「男性が奢るのが当たり前 vs 奢られるのを当たり前と思うな」という論争は絶えることがありません。なぜこの論争は終わらないのか、その理由について考えてみたいと思います。
1. いろんな派閥が存在するから
奢り奢られの論争は、異なる価値観や派閥の存在によって生まれます。一部の人は「自分の分は自分で支払うべきだ」と主張し、一方で「女性に奢ることが男らしい」と奢りたい人もいます。持っている財産や、普段の恋愛感覚など、異なる派閥が共存することが、論争が続く要因と言えるでしょう。
2. 主語が大きいため(女は、男は)
「男は奢るべき」「女に奢るのは当たり前」という主張は、主語が大きすぎるでしょう。主語が大きい議論というのは答えが出ることはありません。
3. 昔は男性が奢るのが当たり前だったため
奢り奢られの概念は、昔から男性が女性を奢るのが当たり前であったことに由来します。肉体労働がメインだった時代は「女性は弱く、庇護すべき存在」という価値観が当たり前でした。しかし、近年になり知的労働がメインになり、女性もお金を稼ぐようになりました。この価値観と現実の「時差」が論争になる理由でしょう。
4. 奢られることで「大切にしてもらえてる気がする」本能
一部の女性の中では「奢られることで大切にされている」と感じると言います。強い男性に守ってもらいたいというのは、古来から続くDNAに刻まれた本能とも言えるでしょう。しかし、奢られないから大切にされてないと感じてしまうのは危険かもしれません。女性の自己肯定感が低いか高いかでも、意見が変わってくるでしょう。
5. デートや飲み会に誘うのが男性が多いため(誘った側が奢るべき論)
多くの場合、デートや飲み会の誘いを出すのは男性です。このため、「誘った側が奢るべきだ」という意見があります。自分でお店などの決定権がなく、かなり高額なお店に連れていかれて、割り勘だと疑問を持つのは自然かもしれませんね。
まとめ
「デートで男がおごるべきか否か」に普遍的な正解などありません。どんな環境にいて、どんな2人の関係性なのかによって相対的に決まるものです。そう考えると、論争自体が愚かなことと言えるでしょう。
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