メモリアル勝利を達成したジョッキーの、目に見えない師匠との絆とは
どんな馬でもノーチャンスではない
6月24日の東京競馬、第1レース。アワビキングで勝利したのは木幡巧也騎手。これが彼にとってJRA通算200回目となる優勝劇となった。
「素直に嬉しいです。ただ、自分としては1鞍1鞍精一杯やっているだけで、沢山乗せていただけたからの結果だと思っています。実際にもっと勝っている同期もいるわけですから、満足はしていません」
1996年5月生まれの木幡巧也。野球に興じ、オートレーサーに憧れた少年時代を過ごしたが、やがて父・初広の背中を追うように騎手を目指すようになった。競馬学校時代はまさかの留年で、一緒に入学した仲間より1年遅れでのデビューとなった。しかし、それをスプリングボードにするように、初年度から45勝の大活躍。JRA賞最多勝利新人騎手賞を受賞すると、2年目の17年にはローズプリンスダムでレパードS(GⅢ)を勝ち、重賞初制覇。更に20年にはミライヘノツバサでダイヤモンドS(GⅢ)も優勝した。前者は15頭立ての11番人気、後者にいたっては16頭立ての最下位人気で単勝は実に3万2千550円もついて事を受け、言う。
「どれだけ人気のない馬でも、乗せてくださる限りはノーチャンスではないと心掛けているし、実際にこういう思いに応えてくれる馬がいた事で、尚更その気持ちは強くなりました」
目に見えない師匠との絆
また、一つでも着順を上げるためには、どんな人の意見にも耳を傾けるようにしていると続ける。
「兄(初也)や弟(育也)と話す事はほとんどありません。彼等も同じ騎手としてプライドがあるでしょうから……。父とは、父の働いている杉浦(宏昭)厩舎の馬に乗る際、レースの前後に話す事はあります。ただ、デビュー当初と違い、指導してもらうような会話はなくなりました。その分、今は多くの人の意見を聞くようにしています。調教師や騎手は勿論ですけど、例えばエージェントや、ファンの方など、第三者の意見も的を射ている事は多いので、素直に聞き入れるようにしています」
それらを積み重ねた結果が、8年目での200勝到達に至ったわけだが、全ての土台にあるのが、師匠である牧光二調教師の存在なのは疑いようがない。デビュー当初、話を伺った際「先生からは毎日、叱られてばかりで、褒められた事がない」と語っていたが、それでも次のように続けた。
「ただ、それでもレースには乗せてくださいます」
レースに乗せてくれる姿勢が、現在も変わらないのは、毎週の出馬表をみれば明らかだ。
「今のご時世、馬主さんを説得するのも大変だと思うので、僕の見えないところで相当、頭を下げてくださっているはずです」
先にも紹介した通り、競馬学校時代は留年を経験した。その際の話だ。
「当時は精神的にもキツかったのですが、そんな時、牧先生が競馬学校側に相談して、僕が日高の育成牧場を経験出来るように手配してくださいました」
3ケ月に及ぶ牧場研修。当時は決して楽でなかったそうだが、今、思うと「あの時の経験は大きかった」と言う。
「北海道から中山のブリーズアップセールまで馬運車で馬と一緒に移動した事もあり、厩務員さんや、牧場で働く人達の気持ちが自分なりに少し分かった気がしました。騎手がなかなか経験出来る事ではないので、そういう道を作ってくださった牧先生には本当に感謝しています」
そんな師匠に言われる事がある。
「まずは乗せてくださる調教師さんや厩務員さんといった一番身近な人達から信頼を得られる人間になりなさい」
その言葉に応えられる騎手となり、恩返しするための近道はない。近道はないが、道がないわけではない。
「恩返しは競馬で勝つ事でしか出来ないと考えています」
デビュー当初、同様、今でも「毎日、叱られて、褒められる事はない」そうだが、師匠からの愛をしっかり感じている弟子は、これからもっと勝ち星を伸ばして行く事だろう。サン=デグジュペリではないが、本当に大切なことは目に見えないもので、肝心なのはそれに気付けるか否かなのである。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)