【河内長野市】令和の天誅組!観心寺そば十数年前に廃業した旧松中亭旅館を、志をひとつにした仲間で再生中
河内長野は大阪の中心部、難波から電車に乗れば最速で30分で到着します。思ったより近くて便利と思う反面、近すぎるがゆえなのかビジネスホテルがありません。
また江戸時代からは石川沿いに温泉が湧き出ており、一時は歓楽街として大いににぎわっていた河内長野駅前。その長野温泉ですが、現在は河内長野荘と2軒の料理旅館だけが残っています。
市内全体をみると、近代の頃は三日市宿の油屋や千早口にも旅館があったそうですが、現在、そのあたりは天見の南天苑だけとなっています。
そしてもう1軒、かつて観心寺のすぐ近くにあった旅館が旧松中亭旅館です。
松中亭旅館の歴史も古く、観心寺正門にある旅館として広告があるのを見つけました。またネット上で松中亭の古いチラシがオークションで出ており、桜の花の観心寺へという広告と共に、小深行きのバスに乗れば旅館に行けるといったことが書かれています。
また21世紀が入った後の2009年にはまだ松中亭が健在だったようで、観心寺に参拝した方が松中亭がとても気になったような記述があります。それによれば次のように記載してありました。
しかし、その後松中亭旅館は閉鎖されてしまいました。観心寺で年に2日だけ御開帳・公開される秘仏の時には、現在でも遠くから観光バスが乗り入れるほど賑やかなのですが、多くの方は日帰りで帰るようです。
現在もネット上に残る旧松中亭の紹介では、観心寺のすぐ側の旅館ということで、ミカン狩りが楽しめるとのこと。カシワ(鶏肉)の水炊きが名物だったそうです。私が河内長野に引っ越す前に閉鎖されたことで、知らなかっただけに今でも悔やまれますね。
明確な理由は情報がないのでわかりませんが、閉鎖の背景には、松中亭に宿泊される方が少なくなったからかもしれません。そういえばブログの方も「いつか泊まりたい」で終わっていました。
しかし、この旅館を再生しようと、ひとりの若者が立ち上がったという非常に頼もしい情報を得ました。私はさっそくアポを取って松中亭さんの跡地に来ました。再生の仕掛人の名前はKENTO SHIMOURAさんです。
KENTOさんは地元も地元。河内長野の寺元出身で、子どもの頃には現役当時の松中亭を良く知っていました。大学卒業後に東京で6年間就職したのち、2年間オーストラリア、1年間イギリスに在住経験のある国際的な感覚がある方です。
私が初めて訪問した6月の時点では「何かをしたい」というアバウトな状況。いろいろ頭の中を整理されている段階で、とにかくいろんな人の知恵を借りながら旅館跡を再生できればと熱く語られていました。
実際にそれからいろんな業種の方が見学に来られたということで、何かできるだろうという期待を持っておられました。
再訪したのは2ヶ月後の8月下旬のこと。あれからいろいろと動きがあったようです。
こちらは離れです。ずいぶんと工事が進んでいますが、これはKENTOさんの親族の方が先行して今年末にカフェをオープンするための工事とのこと。本館はまだまだクリアすべき課題も多く、とりあえず離れを早期にオープンという流れなのだそうです。
とはいえ、本館のほうも2ヶ月前とはずいぶん変わっていました。まず敷地内に覆われていた雑草が刈り取られていたのです。
既にロゴ「ご縁がありますように」ができています。KENTOさんは、縁を重視したいという想いを強く持っています。ちなみにenのバックにあるマークのようなものは、KENTOさんの家の家紋なのだそうです。
「縁」のほかにも「円」「宴」「援」「苑」という言葉が当てはまり、さらにENには英語で次の意味合いがあるそうです。
- ENJOY 楽しむ
- ENGAGING 人を引きつける
- ENTHUSIASM 熱狂する
- ENCHANT 魅了する
- ENCLOSE 囲む
- ENDEAVOR 努力
- ENRICH 豊かにする
- ENGULF 巻き込む
- ENVIRONMENT 環境
- ENDURING 末く存在し続ける
中に入りました。このように古い部分はすべて取り壊されています。まず使えるものだけを使ってかつての松中亭の雰囲気を生かせながら新しいことをやって行こうという試みのようです。
またKENTOさんよれば、PROJECT RENOVATION KOMINKAという名前がついており、コンセプトは次のようになっています。
ちなみに旧松中亭に司馬遼太郎が宿泊したという事については司馬遼太郎 街道をゆく 公式ページ(外部リンク)にも記載があります。
一泊の散歩をしたという観心寺のそばの宿こそが旧松中亭だったわけですね。1972(昭和47)年ごろの話なのだそうです。
KENTOさんは、日本、オーストラリア、英国、どこででもイベント企画の経験をお持ちとのこと。旅館の良さを残しつつ新しいことをやっていきたいと言います。
旧松中亭はまだ工事中ですが、KENTOさんは近くに別の建物を借りていておられ、先日は近所の親子と共にクレープをつくる教室を行いました。まだ旅館のリニューアル前でもすでに動き出しているわけですね。
やりたいこととしては、旅館の復活と広さを活かした自由な場所としてとらえ、地域食材を使った食と自然を楽しめる場所にしたいとのこと。具体的には次のプランがKENTOさんの頭の中にあります。
- COFFEE&BAKE(コーヒーショップとベーカリー)
- SPICECURYY(スパイスカレーの提供)
- EVENT SPACE(イベントスペース)
- GREEN GROCER(マルシェ)
- HOTEL(旅館)
- ATELIER&GALLERY(アートギャラリー)
この中には旅館も含まれています。そうなれば正に松中亭復活ですね。
さらに、やりたいことプラスアルファとして、自然を活かした田舎暮らしを体験。人が集まり人が繋がる縁の拡がる場所という事で次のことを考えています。
- PIZZA(ピザ)
- POTTERY(陶芸)
- CAMP(キャンプ)
- GOEMON BATH(五右衛門風呂)
- SAUNA(サウナ)
- FARMING(農園)
旧松中亭さんの反対側には石見川が流れて渓流のようになっています。夏のキャンプとか本当に楽しそう。
ということで、かつての老舗旅館・松中亭再生プロジェクトを紹介しました。ただ旅館を改装して新しいことをするだけでなく、とにかく志を共にした同志を募り、みんなで楽しく新しいことをしようという思いが伝わります。
表現方法や目的、時代背景がまったく違うため、たとえが少し強引かもしれませんが、観心寺のすぐ近くで、若者がみんなで集まってひとつの想いの目的のために決起して夢をかなえようと聞けば、令和の天誅組のような気がしました。
最後にKENTOさんは次のような夢と希望を語りました。
老舗旅館・古民家を再生という話はよく聞きますが、かつての旅館の一族だった方が立ち上がって新しいことをやりたいという思いは何か心強いものを感じました。KENTOさんのプロジェクトに興味のある方は、下記のKENTOさんのinstagramから問い合わせましょう。
現在進行形で、多くの仲間がKENTOさんの元に集まっているそうです。そして画像のように仲間たちが夢を語りながら作業をしていく様子は素敵ですね。この件に関して私が何かできることは無いのですが、最終的に旧松中亭が再生するまでの間、陰ながら応援したいと思います。
旧松中亭旅館(en.undertemple)
住所:大阪府河内長野市寺元
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス観心寺バス停下車すぐ
instagram(KENTOさんへの問い合わせ)
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