教員から「新型コロナでの休校問題は9月入学で解決する」との声も挙がっている
新型コロナウイルス感染症が拡大するなか、「9月入学・新学期」を求める声が一部の教員から起きてきている。
安倍晋三首相が効力を5月6日までとする緊急事態宣言を発したのは、4月7日のことだった。対象とされた東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県の学校では、予定していた入学式や始業式を中止したり、休校期間も5月6日まで延ばす措置をとるところが多くなっている。
その動きは、緊急事態宣言の対象地域だけでなく、ほかの自治体にも広がりつつある。新型コロナウイルス感染症拡大に収束の兆しがみえない現状では、仕方ないことと言わざるをえない。
しかも、5月6日までに収束するという予測もたっていない。6日以降も緊急事態宣言が継続されるとの見方もあり、対象地域拡大の可能性も囁かれている。
そうしたなかで、教員からは「幼稚園から大学まで、入学式や新学期の開始を9月するべき」という意見が聞こえてきている。休校を8月までに延長し、世界の多くの国が採用している「9月入学」の制度に改める機会にすべきというのだ。
9月入学の議論は、実は突飛なことではない。グローバル化が話題となるなかで、4月入学から9月入学に制度を改めようという議論は以前からあった。
たとえば東京大学では、2010年3月に「行動シナリオ」を策定し、「よりグローバルに、よりタフに」学生を育成するために、「学部段階の秋入学(9月入学)への全面移行」の方針を示している。そして2011年4月には「入学時期の在り方に関する懇談会」をつくり、翌年1月には中間報告を公表している。
入学時期を変更する改革案を東大が提起したのは、社会・経済のグローバル化の急速な進展のなかで、日本だけの4月入学にこだわっていたのでは人材育成の社会的要請や大学の国際競争に対応できないという危機意識があったからである。
結局は、全面的な改革は実現できなかった。9月入学が完全に否定されたわけではなく、大胆な改革を受け入れる土壌が日本の教育界に乏しかったことが最大の理由といえる。それでも留学生や帰国子女を対象とする9月入学式は行われており、それは他大学にも広がりつつある。全面的な9月入学を求める声も消えたわけではなく、さまざまな機会で話題になったりはしてきた。
「その9月入学を実現するには絶好の機会だとおもいます」と、ある公立中学校の教員は言う。2月27日に安倍首相が唐突に全国一斉休校要請を行ったのをきっかけに全国的に休校が広まったが、当初予定から期間の延期を決断する自治体は増えている。このままでは、5月6日以降の再開もおぼつかない。学校も子どもたちも不安のなかで過ごしている。
「8月まで休みにして9月から新学期にすれば、教育課程の遅れを急ピッチで取り戻すための詰め込みも避けられるし、受験での弊害も緩和できます」とは、先ほどの中学校教員である。9月からのゼロスタートにすれば、休校が長引いたところと短くしたところの格差も最小限に抑えることもできる。同じような考えをもつ教員は彼だけではなく、文科省や自治体などに要望書を送る行動を始めている教員もいる。
休校が続くなかで文科省は、「休校にもするが教育課程の遅れはないようにしろ」と無理難題を学校や教員に押し付けている。自分ではできないことを、無責任に丸投げしているだけである。4月入学から9月入学への制度改革は、学校や教員にできることではなく、文科省や政府が旗振りすることでしか実現できない。無責任な丸投げではなく、文科省も政府も自らの役割を果たすべきではないだろうか。