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戦後の日本漁業の歴史 その2 沿岸国の漁場囲い込み

勝川俊雄東京海洋大学 准教授、 海の幸を未来に残す会 理事
公海で操業する海外巻き網船(ペイレスイメージズ/アフロ)

この世の春を謳歌していた日本漁業も、1970年代に入ると曲がり角にさしかかります。沿岸国による漁場の囲い込みによって、日本漁業の成長を支えてきた海外漁場の開発が出来なくなったのです。

公海自由の原則

第二次世界大戦までは、沿岸国の主権が及ぶのは3-8マイル(1マイルは1.6km)の領海に限定されており、その外の公海はいずれの国の支配下にもなく、全ての国が等しく自由に利用可能でした。これを公海自由の原則と言います。他国の沿岸わずか数kmまで入って、好きなだけ魚を獲ることができたのです。日本漁業の外延的な発展ができたのは公海自由の原則によって、世界中の水産資源を自由に利用できたからです。

沿岸国の資源囲い込みの流れ

太平洋戦争で日本を破った米国は、北太平洋の権益を得るために、終戦とほぼ同時に「トルーマン宣言」を行いました。米国の領海から繋がる大陸棚の海底資源は米国の管轄に属すること、沿岸に隣接する公海上に「保存水域」を設定して、漁業資源の保存を米国主導で行うことを宣言したのです。トルーマン宣言に触発されて、1952年には、チリ・ペルー・エクアドルの三国がサンチャゴ宣言を行い、排他的経済水域200海里を主張しました。ただ、これらの沿岸国の一方的な宣言は、国際的な強制力を持つものではありませんでした。戦後の日本漁業が世界中の漁場に進出していったのは、まさに公海自由の原則というこれまでのルールが変わろうというタイミングだったのです。

国連海洋法会議

公海のルールについて話し合う場として設定されたのが、国際連合海洋法会議(こくさいれんごうかいようほうかいぎ、英語:United Nations Conference on the Law of the Sea、略称:UNCLOS)です。交渉の全体的な流れについては外務省のこちらのページが参考になります。

外務省ウェブサイトより転載
外務省ウェブサイトより転載

1958年の第一回の会議では、領海の外に、主権が及ぶ接続水域を設ける方針が示されました。しかし、接続海域の幅をどうするかで各国の思惑が一致せず、合意が得られませんでした。日本などの遠洋漁業国は、自分たちが利用できる漁場が減るので、一貫して広い領海に反対しました。米国は海軍力があるので、通行の自由を求めました。途上国は自国の周辺海域での権益を強化するために、広い接続海域を求めました。

接続水域の幅を決めるために、間髪を入れず1960年に第二回国連海洋法会議が開催されました。途上国を中心に国際的な世論が高まっていたのです。各国の思惑が対立するなかで、アメリカとカナダが主導で、途上国と協議をして、6マイルの領海の外に6マイルの漁業水域を設定するという折衷案で広い合意を得ました。これに大反対したのが日本です。採決の結果、必要な2/3に一票足りなかったために、不採択となりました。この会議では、何も決めることができなかったのです。

日本やソ連のような遠洋漁業国が、陸地から見えるような場所で魚を大量にとって、自国に持ち帰っていたことに対して、途上国の不満が高まります。第二回の会議のゼロ回答に業を煮やした途上国が、連携して声を上げました。1973年から始まった第三回国連海洋法会議では、排他的経済水域が拡張されるのはすでに既定路線であり、交渉の結果、200海里(約370キロ)という広大な排他的経済水域が設定されました。結果論ではありますが、第二回の会議で12海里の妥協案を採択しておいて、その後も徐々にEEZを広げていく交渉を行えば、ここまで極端な増加はなかったと思います。米国が苦労をしてまとめた妥協案を葬ったことが裏目に出たと言えます。

世界の好漁場はどこかの国の沿岸域にある理由

世界各国のEEZが全海洋に占める割合は36%に過ぎません。しかしながら、EEZの導入は遠洋漁業にとって、致命的な影響を持ちます。というのも、世界中の好漁場は全てどこかの国の沿岸近くにあるからです。宮城県の牡蠣漁師の畠山さんは、「森は海の恋人」というスローガンを掲げて、山に植林を行っています。山から流れる栄養が海の生産に不可欠であると考えているのです。海の生産の多くは陸上から流れ出る栄養塩に依存しているのです。

海の基礎生産を支えているのは植物プランクトンです。植物プランクトンが光合成を行うには、窒素(N)・リン(P)などの栄養塩と太陽の光が不可欠です。沿岸域では水深が浅く、陸地から栄養塩が豊富に供給されるので生産性が高くなります。栄養塩(図中のNP)は水中で沈むので、陸地から離れるに従って、浅い水深での密度が減っていきます。公海は、周囲200マイルに陸地がないような海のど真ん中なので、光が届く範囲には栄養塩がほとんど存在しないために、植物プランクトンの生産性が極めて低い、砂漠のような環境なのです。

海洋の基礎生産の説明図
海洋の基礎生産の説明図

下の図は昭和50年の日本の漁業生産です。日本の海外漁場の漁獲のほとんどが他国のEEZ内であり、公海(その他)での漁獲がほとんど無いことがわかります。

昭和51年漁業白書より引用
昭和51年漁業白書より引用

200海里の排他的経済水域の設定は、海外漁場を積極的に開発する日本漁業のこれまでのやり方は完全に行き詰まりました。それまで利用してきた遠洋漁場のほとんどを失うことになります。他国のEEZから日本漁船が閉め出されることで、生産量は激減することになります。また、過剰な漁船を海外漁場へ転換することができなくなるばかりか、ただでさえ過密な自国のEEZに海外漁場から漁船が引き上げてくることで、過剰漁獲に拍車がかかっていきます。

東京海洋大学 准教授、 海の幸を未来に残す会 理事

昭和47年、東京都出身。東京大学農学部水産学科卒業後、東京大学海洋研究所の修士課程に進学し、水産資源管理の研究を始める。東京大学海洋研究所に助手・助教、三重大学准教授を経て、現職。専門は水産資源学。主な著作は、漁業という日本の問題(NTT出版)、日本の魚は大丈夫か(NHK出版)など。

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