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祖父母殺害の17歳少年を描いた『誰もボクを見ていない』、全ての大人に読んでほしい

治部れんげ東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト
事件を起こした少年は小学5年生から学校に通わせてもらえなかった(写真:アフロ)

2014年3月、埼玉県川口市で17歳の少年が祖父母を殺害した上、キャッシュカードなどを奪う事件が起きました。少年は強盗殺人容疑で逮捕され、裁判で懲役15年の判決が出て服役中です。

私が事件の背景を知ったのは、2015年9月に公開された記事でした。

<記者の目>埼玉・少年の祖父母刺殺事件=山寺香(さいたま支局)

記事から分かるのは、少年が実母と養父から身体的・性的虐待を受けてきたこと。小学5年生から学校にも通わせてもらえず、各地を転々とし、時に野宿生活を強いられていたことです。働こうとしない母親に代わり、少年は後に殺害してしまう祖父母を含む親戚に借金しまくり、生活費の工面をしてきました。年の離れた妹を親代わりに育てたのも少年だったと言います。

少年を知る多くの人を取材し、関連する裁判をすべて傍聴した山寺記者が、この事件の背景を1冊の本にまとめました。

山寺香著『誰もボクを見ていない』(ポプラ社)
山寺香著『誰もボクを見ていない』(ポプラ社)

扱う事例は本当に過酷で、少年がよくこの状況で生き延びてきた、と思います。また、自分が食べるものに困る中、13歳離れた妹のために食料を調達したり、移動時は抱っこしたり、まるで親のように愛情を注いできた事実を知り、涙が出ました。

少年は学習意欲も高かったようで、断続的に通うことができた学校やフリースクールで勉強しようとします。住所が定まらない移動生活の中でも、学ぼうとする様子が随所に描かれていました。たとえ経済的に恵まれていなくても、親戚に引き取られて育てられていたら、彼の人生はずいぶん違うものだっただろう、と思いました。

「自分が取材を受ける理由は世の中に居る子供達への関心を一人でも多くの方に持っていただく為の機会作りのようなものです」

山寺記者に勧められて書いた手記の中で、少年はこのように記しています。自分が置かれた環境を嘆くわけでもなく、妹や同じ境遇の子ども達に関心を寄せる態度は、とても社会性が高いものです。

少年は「自分」が悪いと言った

2014年12月、さいたま地裁で裁判長は少年にこのように尋ねたそうです。「母親の指示があった前提で聞く。この事件、誰が悪いんだ?」。それに対し、少年は「自分。母親への気持ちの持ち方をちゃんとしていれば、誰かにお金を借りに行くことも止められたはず」と答えたといいます(『誰もボクを見ていない』P160~161)。虐待を受け続け、生活費の調達手段にされてもなお、少年は母親に責任があるとは考えていないようなのです。

同情を禁じ得ない少年の生育環境や言動に対し、母親の態度はひどいものでした。彼女は自分の両親や親戚、子どもや内縁の夫の勤務先など、あらゆるところからお金を借りては、ホテル宿泊費やゲーム代に使ってしまいます。金策のため子どもを使いに行かせつつ、自分は周囲の人に何と言われても働こうとしません。

見かねた行政が一家の生活を立て直すべく、住居や生活保護を提供した時期もありますが、母親は指示されることを嫌って逃げ出してしまいます。自分だけ、もしくは自分とパートナーだけで逃げれば良いのですが、少年と小さな妹を連れ回します。少年は母親との関係に閉ざされ、他の大人と信頼を築くことができません。

母親は強盗のみで立件

少年が祖父母殺害まで追い込まれたのは、生活費調達の責任を負わされ続けたこと、働いて稼いでも母親が使ってしまったこと、祖父母から借金し続けたために断られるようになったこと、があるようです。少年の証言からは、事件当日、母親から、殺してでもお金を持ってくるように示唆されたことが、事件の引き金になっているように思えます。母親は少年に殺人を指示したことを否定し証拠もなかったため、強盗罪のみで裁かれました。

児童虐待を扱う記事やルポを読むと、どうしても親を責めたい気持ちになります。この事件について描かれた事実からは、本当の犯人は母親だと思えてなりませんでした。本書に登場する捜査関係者は「ひどい事件」であり、母親を強盗殺人で立件すべく尽力したそうです。結局、証拠不十分で強盗のみでの立件になったものの、少年の成育歴まで踏まえてフェアな判断をしようと考えた大人が捜査にあたっていた事実には、多少の希望を感じました。

福祉の対象だったかもしれない母親

当初、母親の言動に違和感を、次第に怒りを覚えながら読み進めたのですが、次第に、考えが変わっていきました。もしかしたら、母親自身が精神疾患を抱えていたかもしれない。ただし、行政に対して、ウソをつける程度の知力があるために、福祉からこぼれていたのかもしれない…。専門家へのインタビューや裁判での証言を踏まえて、本書はこうした疑問にも、こたえていきます。

およそ健全な家庭環境で育った人は、ひどい虐待を受けている子どもが、なぜ親から離れようとしないか、理解に苦しむでしょう。私も、この少年が母親から離れなかった理由がよく分かりませんでした。本書の後半では、母と少年の共依存関係や、乳児期の「見捨てられ不安」、実母からの長期にわたる心理操作といった枠組みで分析がなされていき、なぜ、このような事件が起きてしまったのか、理解できたように思います。

少年が山寺記者に送った手記に次のように記されています。

「一歩踏み込んで何かをすることはとても勇気が必要だと思います。その一歩が目の前の子供を救うことになるかもしれないし、近くに居た親が『何か用ですか?』と怪訝そうにしてくるかもしれない。やはりその一歩は重いものです。そしてそれは遠い一歩です」

少年の母親は2014年9月に懲役4年6カ月の判決を受けました。近い将来、出所した母親は、まだ幼児の娘との同居が認められるのでしょうか。少年は、妹が将来、母親によって売春をさせられるのではないか、と刑務所の中で心配していたそうです。行政や地域や学校は、そして通りかかった大人は、どのように関わっていくのでしょうか。

東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト

1997年一橋大学法学部卒業後、日経BP社で16年間、経済誌記者。2006年~07年ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年からフリージャーナリスト。2018年一橋大学大学院経営学修士。2021年4月より現職。内閣府男女共同参画計画実行・監視専門調査会委員、国際女性会議WAW!国内アドバイザー、東京都男女平等参画審議会委員、豊島区男女共同参画推進会議会長など男女平等関係の公職多数。著書に『稼ぐ妻 育てる夫』(勁草書房)、『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版)、『「男女格差後進国」の衝撃』(小学館新書)、『ジェンダーで見るヒットドラマ』(光文社新書)などがある。

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