【京都市西京区】玉の輿伝承の寺の3万坪の回遊式庭園で色とりどりのあじさい満開 電動自転車で行ってみた
かつて王侯貴族たちが宴や鷹狩りをして遊興をせし山里・大原野。一車線の曲がりくねった細い道を走り、うっそうとした木立の中をぬけると、その頂上に位置するところに気高くそびえ立つのが、西国三十三所第二十番札所の「善峯寺」です。2023年6月13日の早朝、無謀にも電動自転車で山に向かいました。
京都市内からは小一時間、数十キロしか離れていないのに、あたりはまるでずいぶんと山奥に来たように感じられる澄み切った空気と静寂が広がります。途中の善峯寺休憩所には可愛い三体のお地蔵さんと背景に市内の展望が広がります。ここからまだ1キロ以上はあります。途中、そうとう険しかったですが、なんとか到着しました。行けるもんだ!
京都の清水寺や滋賀の石山寺、奈良の長谷寺など、古来の観音霊場が崖上に多いのには訳があります。釈迦如来や薬師如来、阿弥陀如来などすでに悟りを開いた如来様たちの次に位置する菩薩様たちは、まだ悟りを開く前の発展途上にあります。観音菩薩は南海(インド南端)にあると云われる補陀落山(ふだらくさん)の崖上で修業中であるとされているからなんですね。
さて、境内3万坪の回遊式庭園は、大正から昭和初期にかけて著名な庭師、7代目小川治兵衛が基礎を築きました。境内あちこちであじさいが見ごろですが、中でも3千坪を有する白山のあじさい苑では、初夏の風物詩、色とりどりのあじさいで埋め尽くされていました。
セイヨウアジサイ、ガクアジサイ、ヤマアジサイなど約8千株の紫陽花が斜面一面を華やかに彩ります。あじさいのトンネルを歩くことができ、圧巻の光景となっています。登ってくるまでしんどかっただけに喜びもひとしおです。ここにある幸福地蔵は、桂昌院が我が子綱吉のために拝んだとされるところから、自分のお願いごとをするのでなく「自分以外の幸せを願う」お地蔵さんです。
多宝塔の前には元禄年間に徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院の希望で移植されたと伝わる遊龍の松(樹齢推定年600年 天然記念物)が豪壮な趣を呈しています。龍が遊んでいるようにも見えるところから遊龍松と呼ばれ、金閣寺の陸舟の松、大原宝泉院の五葉の松(近江富士)と並んで、京都三松と言われています。
応仁の乱で伽藍の大半を焼失しましたが、寺を再興したのは、徳川五代将軍綱吉の生母「桂昌院」の寄進によります。諸説ありますが、後の桂昌院、お玉さんは、京都西陣の八百屋(酒屋とも)仁右衛門の娘とされています。子宝に恵まれない仁右衛門が善峯寺の観音菩薩に願掛けをしたところ、お玉さんが生まれたと言われています。
成長して三代将軍家光の側妾お万の方の侍女となり江戸へ下ったお玉さんは大奥で 働くようになり、やがて家光の寵愛を受けて徳松を安産します。家光の没後は桂昌院となり、その子、徳松は舘林に封ぜられて綱吉となるのです。 綱吉が五代将軍となり、桂昌院は将軍の御母堂 として江戸城へ迎えられます。「玉の輿」の語源はこの話から来ているとも言われています。
西国三十三所第二十番札所「善峯寺」(外部リンク)京都市西京区大原野小塩町1372 075-331-0020