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日本の最低気温は八甲田山遭難の明治35年に記録

饒村曜気象予報士
寒い土地の暮らし・北海道 旭川駅と忠別川(写真:アフロ)

西日本を中心に等圧線間隔が狭く、強い風で寒気が南下し、沖縄や小笠原などを除いた日本列島のほとんどが氷点下を観測しています。

また、日本海側を中心に大雪となり、奄美大島では115年ぶりに雪が降るなど、今冬一番の厳しい冷え込みと大雪になりました。

日本の雪の南限である沖縄の久米島を意識するほどの寒気ですと書きましたが、久米島と沖縄本島の名護では雪(ミゾレ)が降りました。

今後、等圧線の間隔が広くなって風が弱くなり、晴天となると放射冷却によって気温が一気に下がりますので、晴れて風が弱い朝には、より一層の寒さ対策が必要です。

図1 明治35年1月25日6時の地上天気図(中央気象台「印刷天気図」より)
図1 明治35年1月25日6時の地上天気図(中央気象台「印刷天気図」より)

とはいえ、今回の寒波による気温は一番低いところでー20度程度と、日本の最低気温の記録である、明治35年1月25日に北海道の旭川(当時は上川と称した)で観測したー41.0度には遠くおよびません(図1)。また、居座って長続きする寒気ではなく、今週の後半には移動して気温があがります。

表 最低気温の記録(参考は気象官署以外の観測)
表 最低気温の記録(参考は気象官署以外の観測)

最低気温のランキング

日本の最低気温のランキング(表)をみると、昭和53年に北海道上川の母子里(北海道大学演習林)でー41.2度を観測したものを含め、ほとんどが北海道の上川盆地で放射冷却がおきたときに観測されたもので、しかも、ほとんどが昔の記録です。

これは、地球温暖化に加え、観測所周辺の都市化が進んで強い放射冷却が起きにくくなったためと考えられます。都市化によって人口熱が放出され、汚れた空気が雲の役割をするからです。

日本の最低気温は八甲田山遭難の年に記録

明治35年1月23日、青森歩兵第5連帯の210名が青森県・八甲田山での耐寒雪中行軍中に遭難し、凍死者が199名にも達するという事故がおきています。

ロシアとの関係が険悪となっていたため、耐寒訓練が急務となっていたために準備不足で訓練を開始したとの指摘がありますが、この時の寒気は、2日後の25日に現在でも破られていない最低気温の記録、ー41.0度を旭川で記録した寒気です。

温度ハ今朝甚シク北海道中部ニ下降シ上川ハ最低氷点下四十一度を報セリ我国創業以来ノ最低度ナリ

出典:中央気象台の印刷天気図(明治35年1月25日)にある気象概況

明治35年1月25日の旭川(当時は上川と呼ばれていました)では、夜明け前には晴れて風が弱かったために地表からの赤外線放射がそのまま宇宙空間に放出されるという放射冷却がおきて地表面付近の温度がさがり、この冷たくなった空気が上川盆地にたまりました。

雲があると赤外線の放射が雲で吸収され、雲から地表への放射で熱の一部が戻されますので、地表付近はそれほど冷え込みません。また、水は比熱容量が大きいため、水蒸気が多いと放射冷却が起こりにくく、風が強い場合には、放射冷却が起こっても上空の暖かい空気との混合がおきて放射冷却が弱くなります。

このときの寒波は、北海道中部に著しく、かつ長く続いた寒さをもたらし、旭川の南に位置する十勝では、最低気温が旭川に続くー38.2度を観測しただけでなく、1月に最低気温がー20℃以下の日数が28日と、旭川の16日を上回っていました(図2)。

図2 旭川と帯広の最低気温(明治35年1月16~31日)
図2 旭川と帯広の最低気温(明治35年1月16~31日)

明治凶作群

明治から昭和初期には、今回の寒気より温度が低く、しかも長時間継続する寒気が日本をたびたび襲っていました。

明治35年は4月から8月にかけて低温と長雨等の被害が相次ぎ、夏には台風も相次いで日本を襲っています。このため北日本で大冷害となり、東北地方では飢饉がおきています。この大冷害は明治38年、大正2年にも発生し、明治凶作群と呼ばれる深刻な社会問題となりました。

図3 最低温度計(「気象観測法講話(三浦栄五郎著、昭和15年)」より)
図3 最低温度計(「気象観測法講話(三浦栄五郎著、昭和15年)」より)

最低気温の測り方

平成20年からの気象官署の最低気温は、温度計による連続観測から10秒毎の観測値から求めた1分平均気温の最小値を、アメダスの最低気温は、10秒毎の観測値の最小値を最低気温としています。

つまり、最低気温は連続観測した観測値から一定間隔でデータを取り出し、その最小値を最低気温としています。

しかし、昔の最低気温の観測は、最低温度計を百葉箱に水平にいれ、1日1回9時又は10時にその示度を読み取っていました。

最低温度計は、管内に指針と呼ばれる小さな鉄棒や着色ガラス棒を入れたアルコール温度計です(図3)。

気温が下がってアルコール表面が球部の方に移動して指針の頭に達したあとは、表面張力のために引っ張られて指針が球部のほうに移動し、反対に気温があがると指針がおきざりにされることを利用したものです。

置き去りにされた指針の場所が最低気温を示します。

最低温度計は管の中に指針を入れる構造上、普通の温度計より管が太くなり、使用するアルコールの量も多くなりますので、感度を上げるため、アルコールを貯める部分の形を表面積が多くなる二又としています。

つまり、最低気温のランキングにのるような観測記録は、二又の形をした最低温度計によって得られたものです。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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