1999年2月のゼロ金利政策決定の裏側
スイス東部のダボスで1月15日、世界経済フォーラムの年次総会(通称ダボス会議)が開幕された。世界各国の政府首脳や企業経営者らが集まり、地球規模の課題について議論する。
ダボス会議と聞いて個人的に思い浮かべるのは、1999年2月のダボス会議である。
1998年12月に資金運用部ショックと呼ばれた日本国債の急落があった。当時の大蔵大臣や日銀総裁などの発言からは、この日本国債の急落に対してそれほど懸念しているようには思えなかった。
ところがこの日本国債の急落に対し、意外なところで危惧している人物がいたのである。
日本の金融当局者にとって運用部ショックによる債券価格の急落、つまり長期金利の上昇は避け得ないものとの認識が強かったと思われる。しかし、それは日米の実質金利の縮小をもたらし米国債への日本からの投資が減少する可能性を高めた。いやそれ以上に日本の生保などが保有する大量の米国債の売却の恐れすらあったのである。
それを最も懸念していたのが米国金融当局であり、そのトップはルービン財務長官であった。
ルービン財務長官の危惧が伝わった場所は我々からすると意外なところからであった。その場所こそがダボス会議であったのである。
1999年のダボス会議には、米国からはゴア副大統領、ルービン財務長官、サマーズ財務副長官といった政府関係者。そして、あのビル・ゲイツやヘッジファンドの総帥ジョージ・ソロスといった大物が参加していた。
日本からは自民党の加藤紘一氏や榊原英資財務官などが出席していた。財界からは日本の大手メーカーの会長社長が多数参加していたものの、日本の政治家にとって、当時はさほど重視はしていない会合であったようである。
これはただの民間会議であり、実はサミットやG7とかの公式の会議とはかなり趣の違う会議といわれる。参加者同士が直接顔をつきあわせて討議が出来る場となっていた。
1999年のダボス会議ではルービン財務長官、サマーズ財務副長官と自民党の加藤紘一氏と榊原英資財務官が直接会ったといわれる。サマーズ財務副長官と榊原英資財務官は一緒に机を並べた間柄だったともされている。
その席で米国サイドから円高と日本の長期金利の上昇に懸念を示され、場合によってはさらなる金融緩和といった政策を要求されたのではないかと推測されている。これは、それとなく市場の噂となり後に有力新聞でも小さな記事で報道されていたのである。
米国側の話が自民党の加藤氏などを通じて日本政府にもすぐに伝わった。そして、その後の野中幹事長の長期金利上昇懸念発言とかに繋がっていく。
2月4日にはダボスでルービン財務長官から日本に対してさらなる金融緩和を求めるコメントが正式に出された。一部報道では、その緩和策のひとつの手段として日銀による国債引き受けもあることを示唆していたのである(続く)。