もうすぐセンバツ! 平沼翔太に注目
「表紙にして下さって、ありがとうございました!」
と、殊勝だ。だが続けて、
「僕が表紙で、売れ行きはどうでしたか?」
なかなかの大物である。1月、ホームランという雑誌の取材で、敦賀気比・平沼翔太を訪ねたときだ。実は昨年12月に発行された『ホームラン』の表紙が、平沼だった。そのことを指しての、「ありがとうございました」。昨夏の甲子園では、2年生エースとしてベスト4進出に貢献し、打っても打率・375。そして新チームになってからの成績が圧巻だ。
秋の北信越大会では、準決勝、決勝の連続完封含む22回連続無失点、打っては四番としてホームラン2本を含む打率・667、7打点。表紙に登場するだけのことはあったのである。
ヤングリーグの、オールスター福井に体験入部した小学校6年時。指導をしていた故・小林繁さん(巨人・阪神で139勝)は、平沼本人には「うぬぼれるな。すごいヤツはいっぱいいる」と言いながら、関係者には「プロに行ける素材」と話していた。平沼本人も、
「小林さんとの出会いが大きかった。亡くなるまで教わった、最後の教え子だと思います」
と振り返る。なにしろ、身体能力がすごい。足腰強化のために中学時代に在籍した陸上部では、1500メートルでジュニア五輪に出場。現在は、50メートルでも6秒を切る。高校入学後は、春の大会からレフトの定位置を獲得した。
僕自身、平沼に目をつけるのは早かったと自負している。というのも13年秋の北信越大会。敦賀気比は初戦で、日本文理に敗れるのだが、この試合で右翼を守っていた平沼のアピールが強烈だったのだ。
二番打者の右前への当たりにダッシュし、一塁に矢のような送球でライトゴロ。かと思うと二死一、三塁から後続の右前打では、セーフにはなったが、一走が狙う三塁へ目の覚めるレーザービームだ。救援でも登板した試合後、林博美部長に聞いてみた。すごいですね、あのライトの1年生……。
「いやいや、先発の軸に使いたいのにケガしやがって(笑)。それでも、すぐに140かそこらは出ますよ。打つほうもいいので、夏の時点から外野のレギュラーでした」
岡本和真(現巨人)からの三振で自信を
13年秋の北信越、見ていましたよ……と平沼にぶつけると、
「あっ、ライトゴロですか! ありがとうございます。ただあの大会では、背番号10というのが悔しかった。夏に、それまでの野手投げに近かったフォームをちょっと変えたんです。それで股関節を痛めてしまって……結局、中学のときの映像を見て当時のフォームに戻し、なんとか秋には間に合ったんですが、背番号は10でした。それが悔しくて、絶対に1番を取ってやる、というつもりでそのあとの冬を過ごしたんです」
冬を越えた2年春時点では、球速は以前と同じ135キロのままだったが、春の県大会終了後に東哲平監督から「伸びるには、もうひと踏ん張り。まず食え、太れ、体重を増やせ」のアドバイス。それからは朝食で丼飯、休み時間におにぎりを食べ、必死に体重を5キロ増やした。
「それが本当に、夏になったら球速が9キロもアップしたんです。変化球も、春までは左打者限定だったチェンジアップを、右打者にも使えるように練習し、もだんだんモノになっていったのが大きいですね。チェンジアップがなかったら、甲子園でもあそこまで投げられなかったし、ここまでこれていない。6月には智弁学園と練習試合をして、岡本(和真・現巨人)さんにはホームランを打たれたんですが、最後の打席は三振。あれは自信になりました」
昨夏の甲子園では、準決勝までは防御率1・13と快調だった。ことに八戸学院光星戦は、「体重移動がスムーズで、タマに力があった。一番いいデキでした」と10三振2失点で完投。だが準決勝は、したたかな大阪桐蔭打線にクセを見抜かれ、疲労もあって5回12失点と粉砕された。
「もちろん自分の実力不足ですが、一生忘れられない試合。桐蔭はたとえば、低めの変化球は振らないとか、チームとして徹底してくるところがすごいんです。でも、そこまで差があるとは思いません。次にやったら、抑える自信はありますよ。甲子園は、全国を魅了できる場所。期待に応えたい」
と平沼は、快活に笑う。センバツには、大阪桐蔭も出場する。夏の再戦なるか。組み合わせ抽選会は、13日だ。