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[高校野球]2022年の私的回顧(4) 21世紀枠候補の稚内大谷。最北端から5度目の正直なるか

楊順行スポーツライター
(写真:イメージマート)

 5度目の正直、なるか。

 12月9日、日本高野連は、第95回選抜高校野球大会(2023年3月18日開幕)の21世紀枠候補9校を発表した。北海道地区は、稚内大谷。02年以来、20年ぶり2度目の候補選出だ。

 北海道には、あと一歩で甲子園を逃してきたチームがいくつかある。旭川東がその筆頭で、夏の北海道(北北海道)大会の決勝で敗れること10回。ほかに、勝てば翌年のセンバツ出場がほぼ当確となる1953年秋の同大会決勝でも敗れているから、11回のリーチがすべて空振りということになる。あるいは帯広南商なら、1995〜99年の5年間で実に4回、北北海道大会の決勝で敗退。実は稚内大谷も過去3度、夏の北北海道大会決勝で敗れている。そして……その3回ともがサヨナラ負け、というのがなんともやるせない。

 初めて北北海道の決勝に進んだのは、80年の夏だ。春の全道大会で準優勝した稚内大谷は、初めて夏の名寄支部を勝ち抜き、北大会も順調に勝ち上がる。決勝の相手は、旭川大。2年生スラッガー・鈴木貴久(元近鉄、故人)と勝負して2本の適時打を許しながら、8回に2点差を追いつく。だが9回裏2死二塁、諸橋弘幸の打球が前進守備のライトをわずかに越えた。これが最初のサヨナラ負けだ。

 翌年も、エース・小林任を軸に決勝に進出した。相手は帯広工。2対2の投手戦で延長に入るが、帯広工は11回裏、1死満塁からスクイズに出た。大谷バッテリーはこれを巧妙に外したが、挟殺プレーで捕手と三走が激しく交錯し、捕手が落球。判定はセーフで、2年連続のサヨナラ負けである。三走の走塁が、3フィートオーバーか微妙なものだっただけに、よけいに悲運の色が濃くなった。

9回2死一塁から、悪夢の同点……

 さらに、93年。大谷の捕手には、日本最北端からプロ入りした宇佐美康広(元ヤクルト)がいた。帯広南商との準決勝では、その宇佐美がホームランを含む4安打3打点の活躍。決勝の相手は、またも旭川大だ。

 大谷は8回、旭川大の好投手・東原竜馬の無失点記録を34回で止め、1対0とリードを奪う。3度目の決勝で、これが初めて奪うリードだ。そして9回も2死一塁からセカンドゴロ、よしっ、本最北端からの甲子園……と思われたが、二塁手がお手玉する。さらに、三塁を狙う一走を刺そうとあわてた送球が高くそれる。その間に、ランナーがホームを踏み、悪夢のような同点だ。そして、続く10回。先頭の三塁打から、満塁策で2死までこぎつけたが、最後はショートへの不運な内野安打で力尽きた。

 3度のサヨナラ負けがすべて、“まさか”という幕切れなのが劇的、いや、悲劇的だ。さらに03年には、21世紀枠の有力候補といわれながら、出場を逃した。つまり、甲子園に肉薄した4回ともはね返されているのだ。

 3回のサヨナラ負けのうち2回を監督、1回を部長として経験した貝森好文さんに話を聞いたことがある。

「力の差はないのに、なんで勝負がこっちに転んでくれないんだって、わけがわからなくなった時期もありました」

 貝森さん、北海道のオールドファンには知られた名前だ。稚内南中時代は、松坂大輔の父・諭さんと同級生。稚内高校3年になった71年春、全道大会のことだ。1回戦では、美唄東の高石克美(のち、滝川西を率いて甲子園に3回出場)と投げ合い、延長18回で4対4の引き分け。287球を投げた翌日の再試合でも、延長13回を投げ3対1で勝利した。さらに2回戦も延長13回(○2対1帯広柏陽)。さすがに準決勝は札幌商に4対7で敗れたが、細身ながら一人で53回を投げて77三振を奪い、“オホーツクの鉄腕”と呼ばれるようになる。

 最後の夏は、北北海道の初戦で留萌にエラーがらみの1失点で敗れ、甲子園出場はない(ちなみに、この年の北代表は留萌)。法政大で教員免許を取得すると、76年、社会科の教諭として稚内大谷高校に赴任した。

 最初はブラスバンド部の顧問で、野球は練習の手伝い程度だったが、77年に監督に就任。部の強化に乗り出した。

「大谷が男女共学になり、夏の大会に初めて出たのは69年。ともかく弱いチームで、名寄支部の夏の大会は、創部から10年連続初戦負けです。だから、まず選手に入学してもらうのが大変でした。もともと、このあたりのいい選手はほとんど、旭川か札幌に行ってしまう。大村(巌・東海大四[現東海大札幌]出身、現DeNAコーチ)君なんかも地元で、お父さんは私と同じ稚内高校野球部のOBなんですが(笑)。グラウンドは50メートル四方程度で、最初は室内練習場もなく、口説くにはとにかく情熱しかありませんでした」

 だが、それからすぐに道大会の常連となり、夏は毎年のように北北海道大会にコマを進めている。この秋も、敗れはしたものの、道大会2回戦で立命館慶祥と好勝負を演じた。

 さて、名寄地区からは初の、そして日本最北端からの甲子園出場はなるか。21世紀枠の3校は、一般選考と同じ来年1月27日の選考委員会で決定する。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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