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伊達政宗と宮城県の名物「ずんだ餅」には、深い関係性があるのか?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
ずんだ餅(写真:アフロ)

 私の近所には和菓子屋さんがあり、そこにはおいしい「ずんだ餅」が販売されている。最近、伊達政宗と宮城県の名物「ずんだ餅」には、深い関係性があるのか聞かれたので、考えることにしよう。

 そもそも「ずんだ餅」とは、宮城県を中心とした東北などで作れられる菓子で、枝豆をすり潰し、塩と砂糖で味付けした餡を餅に搦めたものである。「牛タン焼き」、「笹かまぼこ」とともに、「三大仙台名物」のひとつとして知られている。

 「ずんだ」そのものを料理として用いたことは、江戸時代中期頃には確認できる。しかし、当時の「ずんだ」は今のように甘くなく、砂糖を用いて甘くしたのは、幕末頃だといわれている。

 当時、甘いものは貴重だったので、日常的に口にすることはできなかった。農家などでは、お盆の時期に「ずんだ餅」を作り、ご先祖様に備えていたのである。

 ところで、「ずんだ餅」の「ずんだ」の語源については、以下に示す説がある。

①「豆打(ずだ)」という豆を潰す言葉が訛り、「ずんだ」と呼ばれるようになったという説。
②伊達政宗が陣中で枝豆をすり潰して「ずんだ」を作ったいう逸話があり、枝豆をすり潰す際に用いた「陣太刀」が訛り、「ずんだ」と呼ばれるようになったという説。
③「甚太」なる者が「ずんだ餅」を作ったので、その名の「甚太」が訛り、「ずんだ」と呼ばれるようになったという説。

 いずれも決め手に欠けるが、中でも注目されるのは、②の伊達政宗が関係したという説だろう。この説は広く人々の間に浸透したが、今は俗説として退けられている。決定的な証拠がないのである。

 この件に限らず、戦国武将と食文化を関係付けた逸話はほかにもあるが、おおむね疑わしく、きちんとした根拠がないものが多い。たいていは、俗説や創作にすぎないのである。

 そもそも戦国武将が特定の食べ物を開発したとは考えられず、多くは庶民レベルで作っていたものだろう。それがいつの間にか名物になったとき、宣伝も兼ねて「あの戦国武将も!」と創作したものと思われる。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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