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「津波ごっこ」で震災を受け止める子ども アンパンマンに救われたあのとき #あれから私は

坂本昌彦佐久医療センター小児科医長 日本小児科学会指導医
一緒に医療支援していた男性看護師が子どもたちと作成した「ありがとウサギ」の貼り絵

「先生聞いて。うちね、津波のあと、荷物取りに家に帰ってタンス開けたら、中からカレイ(魚)がいっぱい出てきたんだよ。」

「それ聞いてうちも家戻ったら、家がなかったー。あはは。」

2011年3月、東日本大震災が発災して2週間ちょっと経った頃。私は認定特定非営利活動法人AMDAの緊急医療支援チームの一員として岩手県大槌町に入り、小児科医として仕事をしていました。冒頭のやりとりは、支援に入った避難所の大槌高校で仲良くなった高校生たちの言葉です。会話を聞いたときには戸惑いましたが、彼らは屈託のない笑顔で、周りの状況を笑い飛ばしていました。小学生の子どもたちも校庭を走り回り、その様子が避難所の雰囲気を一時的であれ、少し柔らかいものにしていたことを記憶しています。

非常事態のなか、子どもたちが笑顔で過ごせるようにと模索した日々から10年。しかし先日の福島県沖を震源とする地震は東日本大震災の余震で、震災が過去の話ではないことを思い知らされました。災害時に子どもたちの笑顔を守るために医療者や周囲の大人は何ができるのでしょうか。「津波ごっこ」遊びをする子、米のとぎ汁を飲み続けることで放射性物質を除去できると信じた子――当時の医療支援を通じた子どもたちとの触れ合いを思い起こしながら、子どものケアに必要なことをあらためて考えたいと思います。

当時の大槌町の様子。被害が大きく、町全体で800名を超える死者が出て壊滅状態でした
当時の大槌町の様子。被害が大きく、町全体で800名を超える死者が出て壊滅状態でした

災害時、子どもたちに必要なのは「普段の様子で過ごせる」環境

高台にあったことで難を逃れた大槌高校は、町でもっとも大きな避難所のひとつで、500名以上の方が避難されていました。子どもたちも多くいましたが、当時の災害派遣医療チームには小児科医がほとんどおらず診療態勢が整っていない状況。そこでNGOの仲間と一緒に高校の給湯室の一角で臨時の小児科診察室を立ち上げ、子どもたちを診ることにしたのです。

給湯室を改造した小児科診察室。幸い感染症の流行もなかったため、そこまで混雑せずゆっくりと話を聞くことができました
給湯室を改造した小児科診察室。幸い感染症の流行もなかったため、そこまで混雑せずゆっくりと話を聞くことができました

避難所には元気な子どもたちが多かったのですが、静かに過ごしたい高齢者の方もいらっしゃいました。そのためチームメンバーの助産師さんの提案で、子どもたちがのびのび遊べるようにと高校の弓道場を使ったプレイルーム作りが始まりました。

もっとも、この取り組みには、子どもたちの遊び場だけでなく、保護者同士の情報交換の場を作ろうという目的もあったのです。「避難所での子育て」の不安を、当事者で共有することで少しでも軽くできれば、と考えました。

近年、災害時に子どもたちに必要な環境について、多くの提言がなされています。

避難所の子どもたちに必要な環境とは、「普段の様子」に近づける環境だと言われています。

ユニセフのガイドブックや内閣府の避難所運営ガイドラインの中でも、キッズスペースや授乳スペースの設置を検討することについて言及されており、「遊び場を作る」ことの重要性がうかがえます。

今でこそ当たり前になったキッズスペースですが、当時はそのようなガイドラインもなく、手探りで試行錯誤の連続でした。しかし、保護者から「避難所で常に子どもと一緒だと気は休まらないが、子どもが楽しそうに遊んでいると安心できるし、自分自身も束の間の休息を取れる」とお礼を言われたときは私たちも安心しました。

プレイルームの様子。毎日多くの子どもたちがにぎやかに過ごしていました
プレイルームの様子。毎日多くの子どもたちがにぎやかに過ごしていました

災害時に起こる子どもの変化 「異常」ではありません

避難所では、震災後に全くしゃべれなくなってしまった女の子の相談を受けました。夜泣きがひどくなってしまった子もいました。

プレイルームで、横倒しになったおもちゃの電車を一瞥し、さらりと「これ、つなみでたおされたの」という男の子もいました。

こうした変化は、今では災害後にはよく起こるものと知られています。同じ話を何度も繰り返したり、災害を再現する「地震ごっこ」「津波ごっこ」の遊びをすることもあります。初めてこうしたごっこ遊びを目にした保護者はとまどい、「そんな不謹慎な遊びをやっちゃダメ」と叱ってしまうかもしれません。

しかしこれは、子どもが子どもなりに災害を受け止め、体験を消化するために必要なプロセスと言われています。「異常な行動」ではなく、「非常時においては正常な行動」です。そんなときは、その行動を否定するのではなく、大人が時間を作って一緒に遊び、話をして、抱きしめてあげることが大切なのですね。

振り返ってみると、大槌のプレイルームはそういう機能も持ち合わせていたと思います。

ケアが必要な子を見つけるために 「健診」で作る相談の場

当時は災害後超急性期から亜急性期に移行するタイミングで、現地には心のケアの専門家もぽつぽつと入ってきていました。心のケアが必要な子どもの中にはプレイルームにやってこない子もいます。そういった子たちをどのように見つけ、専門家につなげばいいだろうか。夜は理科室で寝袋に入り、電気もなく真っ暗の中、緊急医療援助という限られた枠組の中でできるサポートは何だろうとメンバーで議論を繰り返しました。

悩んだ結果、自然に話を聞ける場を作ろうと、小児科外来で「健診」という形で体重と身長を測りつつ、心のケアや保護者の相談に乗れる態勢を整えることに。問診票を付けた手作りの健康手帳も作成し、避難所の各部屋を巡回して受診を促す呼びかけも行いました。

結果、数日間で3~4名の心のケアが必要な子どもを専門家につなげられたと記憶しています。

手作りの健康手帳。中には体重・成長曲線に加え、当時日本小児科学会が推奨していた項目で問診票をつけました。
手作りの健康手帳。中には体重・成長曲線に加え、当時日本小児科学会が推奨していた項目で問診票をつけました。

その中の一人の女の子の事を今でもよく覚えています。

その子は体重が3週間で5kg減っていました。彼女は、被災地で瓦礫となった家に毎日物を探しにいく父親が頑張っているのだからと、日中配給された食事を食べずにいたのです。お父さんが帰宅する夜まで待って、一緒にご飯を食べるためにがまんしていたのだと保健師から報告されました。

思わず涙が出ました。

がまんの影響だけで体重が減ったかどうかは分かりません。しかしあの当時、大人だけでなく、子どもたちもみんな毎日を精一杯頑張っていました。

災害時、子どもたちは大人が思う以上に大人に気を遣っています。今振り返ると、平気そうに見える子どもほど、ケアが必要なのだと改めて思います。

「子どもたちのヒーロー」が与えてくれる安心感

プレイルームのお手伝いを始めて数日後。海外の支援団体からもおもちゃが届きましたが、それらを眺めながら、何か足りないものがある、そんな思いを抱くようになりました。

小児科には必ずあるもの。

そして小さな子どもたちが待ち望む絶対的なヒーロー。

それはアンパンマンでした。

アンパンマンがいるから注射をがまんする。

アンパンマンが応援してくれるから薬もちゃんと飲む。

僕ら小児科医は、これまで診察の中で、どれほどアンパンマンに助けられたか分かりません。

非日常的な環境で不安な子どもたちに、慣れ親しんだヒーローの登場で少しでも笑顔になってもらおうと、SNSで友人にアンパンマングッズを送って欲しいと呼びかけました。すると、話があっという間に拡散し、何十人もの方がグッズを送ってくださったのです。話を聞きつけた横浜アンパンマンこどもミュージアムも協力してくださり、数百点を超えるグッズが送られてきました。

子どもたちがアンパンマンを目にしたときの喜ぶ顔は今でも決して忘れられません。普段の診察室でおもちゃを見つけて喜ぶ「いつもの子どもたちの笑顔」がそこにはあり、「普段と同じ様子」に安堵したことを覚えています。

アンパンマングッズに喜ぶ子どもたち
アンパンマングッズに喜ぶ子どもたち

当時、アンパンマングッズを集めた取り組みが紹介された新聞(読売新聞2011年4月13日東京朝刊 28頁)
当時、アンパンマングッズを集めた取り組みが紹介された新聞(読売新聞2011年4月13日東京朝刊 28頁)

災害時のデマに傷つく子どもたち 情報の正しい取捨選択を

その後、私は3週間の岩手での活動を終えたのち、福島の会津地方に移り、1年間小児科医としての仕事を続けました。

その中で覚えているのは、「米のとぎ汁」のお話です。

ある日、小学校高学年だったか中学生の女の子が「下痢が止まらない」と言って診察室にやってきました。彼女も家族と共に県内避難してきた一人でした。

よく話を聞いてみると、インターネットで「米のとぎ汁を飲めば放射性物質が体外に出る」という話を聞き、家族みんなで毎日頑張って飲み続けていたところ、お腹を壊してしまったのでした。

米のとぎ汁で放射性物質を体外に排出できるという科学的根拠はありません。しかし不安のなか、色々な情報にすがりたくなったのでしょう。

根拠に基づかない医療情報は時に人の健康を害してしまいます。

それは当時も今も変わりません。新型コロナ禍で多くの根拠に基づかない情報が乱れ飛ぶ昨今、改めて情報の取捨選択の重要性を感じています。

子どもの笑顔を守るために 災害時に必要な3つのステップ

アメリカ小児科学会は、災害時の避難で受けたストレスからの回復に必要なステップとして以下の3点を挙げています。

1.まずは体力を温存 

十分な飲食と睡眠を取って体力を取り戻すことは、不安や悲しみなどの感情を落ち着かせる第一歩です。

2.日常生活の回復

家族の散歩や、寝る前のお話など、日常のルーティンを回復させることは、以前の感覚を取り戻す役に立ちます。

3.快適な場所と情報の提供

情報がないことは大きな不安につながるため、適切な情報提供は非常に大切です。

避難所では、少しでも普段の環境に近づけ、安心できる環境を整えることが大切です。また子どもたちは周りの大人自身が安全、安心であることに依存していることを忘れてはいけません。大人が自分自身をケアすることは、子どもたちのためにも大切なのです。

災害時に安全、安心な状態で過ごすために、災害前の準備も大切になってきます。

災害準備とは①計画を立てること②避難準備キットを作ること③情報を得ることです。

アメリカ小児科学会Webサイトより
アメリカ小児科学会Webサイトより

この3つの具体的な方法について、私たちの「教えて!ドクタープロジェクト」で、子どもの防災情報としてまとめています。ぜひこの機会にお子さんの状況に合わせた防災準備ができているか見直してみてください。

私が、できる限り正確な医療情報を発信したい、医療者も診察室の外にも出て活動すべきだと考えるようになった原点が2011年の岩手と福島での経験でした。現在の「教えて!ドクタープロジェクト」ほかの活動につながる大きな一歩となったのです。

この記事も、震災を風化させず、来るべき次の災害に備えるためのきっかけになればと願っています。

大槌高校の生徒たちから帰途にもらったTシャツ。一生の宝ものです。
大槌高校の生徒たちから帰途にもらったTシャツ。一生の宝ものです。

※写真はすべて筆者撮影

【この記事はYahoo!ニュースとの共同連携企画記事です。】

佐久医療センター小児科医長 日本小児科学会指導医

小児科専門医。2004年名古屋大学医学部卒業。現在佐久医療センター小児科医長。専門は小児救急と渡航医学。日本小児科学会広報委員、日本小児救急医学会代議員および広報委員。日本国際保健医療学会理事。現在日常診療の傍ら保護者の啓発と救急外来負担軽減を目的とした「教えて!ドクター」プロジェクト責任者を務める。同プロジェクトの無料アプリは約40万件ダウンロードされ、18年度キッズデザイン賞、グッドデザイン賞、21年「上手な医療のかかり方」大賞受賞。Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2022大賞受賞。

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