国債急落の要因はリスクプレミアム
長期金利は主に中央銀行の政策金利によってある程度決定づけられるとみられるが、政策金利の動向から、かい離して動くケースもある。この場合の長期金利の決定要因には何が影響しているのか。これにはリスクプレミアムと呼ばれるものが関係している。
そのひとつの典型的な事例として、2010年あたりから始まった欧州の信用危機によるギリシャ、ポルトガル、スペインなどの長期金利の急騰がある。特にギリシャの長期金利の急騰、つまり国債価格の急落要因はギリシャの財政そのものへのリスクであった。だからこそ格付け会社の格下げに敏感に反応したのである。
リスクプレミアムという言葉が少し誤解を生みそうだが、これは何らかのリスクが国債に生じ、そのリスク相当分が長期金利に上乗せされることで、その余計な上乗せ分をプレミアムという言葉で表現している。プレミアムモルツのプレミアムとは意味合いが異なる。さらにそのリスクプレミアムのなかで、財政悪化等が意識されたものが財政リスクプレミアムと呼ばれるものとなる。
いまのところ戦後の日本の債券市場では、財政リスクプレミアムが長期金利にオンされたケースはほとんどない。ただし、それ以前には存在していた。
たとえば、満州事変以降、外貨建ての日本国債は価格が急落し利回りは大きく上昇していた。「国債の歴史」によると、1969年償還の四分利付英貨公債の金利は、禁輸出が再禁止された1931年12月に8.25%に、資本逃避防止法が施行された1932年7月には9.26%、日銀の国債引受が始まった1932年11月には9.69%、さらに1933年2月には10%を越えた。第二次大戦が勃発した1939年9月に20%を超え、日独伊三国同盟が締結された1940年9月は21%となった。同月の東京市場では同クーポンの国債はオーバーパー、つまり額面を上回っていたものの、ロンドン市場での価格は額面のわずか25%であった。
また戦後においては、1998年末に資金運用部ショックという国債の急落があったが、これは厳密にいえば財政リスクプレミアムがオンされていたとの見方ができるかどうか難しい。きっかけは日本国債を大量に保有し買い入れていた資金運用部の国債買入れが減額するという、国債需給に関わるものであった。その年にムーディーズが日本の格下げをしていたように、小渕政権による財政拡大政策による財政悪化の懸念も確かにあった。ただし、格下げのタイミングでの国債売りは限定的であった。さらにこの年に長期金利がはじめて1%を割り込み、その反動が出たとの見方もできる。
資金運用部ショックは1999年2月の日銀のゼロ金利政策により収まった。国債需給面では銀行などの余裕資金等をみれば十分にカバーできるものであり、政策金利が超低位に抑えられていたことも意識され、長期金利の反動は2%台で抑えられた。
財政リスクプレミアムというものが数値化できるものかどうかは、市場参加者の思惑次第なので難しいが、仮にこの際に発生していたとしても一時的なものであったと思う。このころ私も債券ディーラーとして国債を売買していたが、財政悪化というよりも、目先の需給面への懸念とともに、揺れ動く当局者の発言等を材料視していた記憶があった。
物価が上がり、景気の回復があっても政策金利が上がるとの見通しが立たない限り、そしてリスクプレミアムがオンされない限り、日本でも現在の長期金利の低位安定は維持されるとの見方も可能か。また日銀の金融政策で出口が見えたとしても、ゼロ金利の解除にはかなり時間がかかるとなれば、長期金利の急激な跳ね上がりも考えづらいことになる。
問題はリスクプレミアムの部分となる。ここに関わるのはもちろん市場参加者による国債への信認度ということになる。そこに懸念が生じた際には、政策金利の水準とは関係なく長期金利が暴れだす可能性はありうる。