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リニア中央新幹線の2027年開業断念 JR東海はなぜ川勝平太静岡県知事に「負けた」のか?

小林拓矢フリーライター
リニア中央新幹線と川勝知事の考えは相入れなかった(提供:イメージマート)

 先日、川勝平太静岡県知事は辞職願を提出した。報道によると、相次ぐ失言関連についての反省は見せているものの、それが知事をやめる主要な理由ではないとのことだ。

 川勝知事がやめる大きな理由として、JR東海がリニア中央新幹線の2027年品川~名古屋間開業を正式に断念したからというものがある。

 リニア中央新幹線の工事開始で起こりうる大井川水問題を社会に訴え、有識者会議を開かせ、その過程でJR東海のこの問題への対策をより厳格なものにし、環境へのリスクを軽減させるようにアセスメントをきっちりやらせるようにした。

 その結果として、リニア中央新幹線の開業は延期になった。

 もともと、川勝知事はリニア中央新幹線賛成派だった。

 しかし、大井川の水問題など、自らが知事を務める静岡県の環境が破壊されるのではないかと考え、JR東海に対して異議申し立ての姿勢を示すことになった。

 ただこれは、当然のことだろう。

みんなが同じような考えを持っているわけではない

 JR東海のイデオローグとして知られる故・葛西敬之名誉会長は、高速鉄道により東海道メガロポリスを発展させてそれにより日本の世界的地位を確固たるものにする、というのが基本的な考え方だった。地方よりも都市、個人よりも国家、「力」というものを重要なものだと考えていた人物である。国鉄改革時には革マル派系労組と手を組み、その後切り捨てたというマキャベリストの側面もある。もちろん政治的には保守派、安倍晋三元首相の後見人として知られた。

 そんな葛西の考えの中心に、リニア中央新幹線がある。これにより日本は発展し、世界的な存在感を示すことができるようになるという強い思いが、JR東海に企業独自の事業としてのリニア中央新幹線の建設を実施しようという決断を下す材料となった。

 整備新幹線は国の意向が強く、鉄道・運輸機構が主体となって建設を進めている「国家プロジェクト」であるものの、リニア中央新幹線はJR東海という民間企業が国を後ろ盾に進めている「国家的プロジェクト」である。「的」の一文字は大きいのだ。

 一種の「国士」タイプの考え方の持ち主であった葛西。自民党の政治家の多くは共感し、また都市部の大企業経営者などは支持する考え方を持っている。

 しかし、世の中のみんながこのような考えを持っている、ということはそもそもありえない。

 安倍元首相がいた自民党でさえ、派閥の集合体のような政党であり、多様な考え方の持ち主がいる。都市にも地方にも、豊かな人にもそうでない人にも、自民党を支持している人はいる。一枚岩の組織ではない。

 大井川水問題の影響を受ける静岡県は、どちらかというと地方で、日本を下支えするような地域である。工業や農林水産業がさかんなところだ。

 そんな地域を大切にする、ということで川勝知事は「富国有徳」を掲げて県政を担ってきた。

 この政治姿勢は、静岡県民の多くに支持された。

「富国有徳」の地、静岡県
「富国有徳」の地、静岡県写真:アフロ

川勝知事と「対話」はできなかったのか?

 川勝知事は、経済史の研究者から政治家に転身したことで知られている。これまでの歴史の見方が陸地を中心とした見方だったのに対し、海の視点からの「海洋史観」の考えを広めた。『文明の海洋史観』などの著書で知られる。世界システム論のイマニュエル・ウォーラーステインや、『地中海』で知られるフェルナン・ブローデルなども論じ、経済史研究の中で大きな存在を示した人物である。早稲田大学政治経済学部で教授を務めた。

 深い学識に裏打ちされた世界観を背景に、川勝知事は静岡県政に取り組んだ。

 そんな川勝知事が、地域の環境が破壊される可能性があるという事態を、みすみす見逃すということはない。水資源の問題は地域社会の根幹的な問題であり、この件が解決できないことには工事はまかりならないというのは、ある種の「知識人」として筋が通った考え方といっていい。

 この国の多くの研究者などは単なる「専門家」であり、決して「知識人」ではない。しかし、いまや希少となった「知識人」が知事を務めていたのが、静岡県である。

 JR東海は、「知識人」と対話するということを意識していなかった。大井川水問題が取りざたされ、場合によっては地域が危機的な状況にあるかもしれないというときに、勇気をもって巨大企業による国家的プロジェクトに立ち向かった。こういうときに立ち向かえることは「知識人」の資格としては必須である。

 大井川の水資源のことが問題になり、有識者会議が長きにわたって開かれている間、自然環境に関するテクニカルな話がずっと続いた。自然科学、というよりも工学的な話がメインだった。

水資源の豊かな大井川
水資源の豊かな大井川写真:イメージマート

 それ自体は、リニア中央新幹線計画を実現するためには、必要なことである。ただこれは「論破」の材料にはなっても、「対話」の材料にはならないといえる。

 JR東海は、川勝知事の世界観や地域観に対して、本気で向き合おうとしていたのだろうか? 残念ながらそれができていたとはいいがたい。

 そもそも、JR東海に川勝知事の早稲田大学時代の教え子が勤めていないのか、ということは問いたい。学生時代に川勝氏のもとで学び、その歴史観や世界観をJR東海の経営陣に伝えることができる人物がJR東海にいてもおかしくはないはずだ。そういう人物の手を借りて、川勝知事と対話する姿勢を作っていくことも必要だったと考える。

 JR東海は、技術的な話をすることはできても、文明論・世界観の話をすることが残念ながらできていなかったというしかない。これができない限り、川勝知事を説得することはできなかった。

 リニア中央新幹線が2027年に開業できないことが確定し、環境問題などが発生しないように対策がきっちり立てられる見通しが立ったという状況の中で、川勝知事は辞職する。政治的にうまくいかなかったから辞職するのではない。川勝知事がJR東海にリニア中央新幹線の2027年部分開業を断念させ、静岡県の環境を守らせることが確定したから、その勝利を祝して堂々と辞職するのである。

 JR東海は、川勝知事と対話できずに負けた。対話すべき事柄を見極められずに負けた。有識者会議ではJR東海の意見はかなり通ったものの、それはむしろ技術的なことを解決したのにすぎないのである。

フリーライター

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。鉄道関連では「東洋経済オンライン」「マイナビニュース」などに執筆。単著に『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)、『JR中央本線 知らなかった凄い話』(KAWADE夢文庫)、『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。共著に『関西の鉄道 関東の鉄道 勝ちはどっち?』(新田浩之氏との共著、KAWADE夢文庫)、首都圏鉄道路線研究会『沿線格差』『駅格差』(SB新書)など。鉄道以外では時事社会メディア関連を執筆。ニュース時事能力検定1級。

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