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【飯田市・三穂】おひとりさまのお出かけ先にもぴったり! 屋敷の中まで観覧できる重要文化財建造物

FUNE地域情報発信ライター(飯田市・上伊那郡・下伊那郡)

今回は、飯田市にある4つの重要文化財建造物のうちのひとつ「旧小笠原家書院(伊豆木陣屋、入館料大人300円)」をご紹介します。

江戸時代初頭に建てられた旧小笠原家書院は、落ち着いた場所が好き、自然が多いところが好き、由緒ある場所に魅かれる…といった方におすすめのスポットです。タイミングが合えば、施設に常駐しているスタッフの方からていねいな解説が聞けるので、歴史好きな方にももちろんおすすめの場所ですよ!

旧小笠原家書院とは

ルーツをさかのぼれば、甲斐源氏に至る武家の名門・小笠原氏。全国に支流や分家を持つ小笠原氏のうち、小笠原長巨(ながなお)を初代として、飯田市の伊豆木を根拠地とした旗本・伊豆木小笠原家の拠点となったのが、今回ご紹介する旧小笠原家書院(伊豆木陣屋)です。

陣屋とは、旗本が住んで仕事をしていた建物のこと。住まいでありながら、戦の時に役立つ物見櫓を供えるなど、城のような防御施設も兼ね備えていました。かつては全国に5000家余りの旗本陣屋が存在していたそうですが、そのうち現存しているのはこの旧小笠原家書院だけ。1/5000ってすごい確率ですね!

現在、見ることができるのは書院のみとなっています。

書院と玄関以外の城郭建築は、残念ながら明治5年に取り壊されたり、移築されたりしました
書院と玄関以外の城郭建築は、残念ながら明治5年に取り壊されたり、移築されたりしました

【旧小笠原家書院のすごいところ その①】 屋内や部屋に入ることができる

国宝や、重要文化財に指定された建物は国内にたくさんありますが、大体の建物が外観を眺めるのみ。一方、旧小笠原家書院では中に入って見学できるうえ、部屋の中などにも自由に立ち入ることができます。

昔のお殿様が住んでいたその場所で、あなたなら何をしますか?
昔のお殿様が住んでいたその場所で、あなたなら何をしますか?

また、この建物は建築方法にも特徴があります。
旧小笠原家書院の南側の3分の1は、崖の上に突き出している懸造(かけづくり)で建てられているので、床をよくよく見ると、床板の隙間から下の景色が見えてしまうことも。(高いところが苦手な方はお気をつけてください!)

中に入ることができるからこそ味わえる、ちょっとしたスリルも楽しんでみてくださいね。

写真では、床が光っているような感じに見えますが、実際に行ってみるとちらりと外の木々の緑が見えたりもします
写真では、床が光っているような感じに見えますが、実際に行ってみるとちらりと外の木々の緑が見えたりもします

懸造は京都清水寺にも同じ工法が見られるように、主に寺社建築に用いられる建築様式だということですが、長野県には案外寺社仏閣以外にもこの造りの建物が多く残されているようです。

400年前から変わらぬ姿。と考えると、素人目にもそのすごさがわかりますね
400年前から変わらぬ姿。と考えると、素人目にもそのすごさがわかりますね

【旧小笠原家書院のすごいところ その②】 来年で築400年!

ひとつの建物に見えている旧小笠原家書院ですが、実は玄関は元々別の場所にあったものを移築して書院にくっつけたもの。そのため建立された年代が厳密には違うのですが、メインの書院部分については、寛永初期(1624~1634年)ごろに完成されたことが判っています。

そのため来年2024年には、築400年の節目としてイベントなどの開催も予定している、とのこと。楽しみですね。

【旧小笠原家書院のすごいところ その③】 建材の品質が高い!

旧小笠原家書院は建築や工法の素晴らしさもさることながら、建築部材についてもとても貴重なものが使われているのだそうです。

この柱もとてもすごいんだそうです。
すごさ、わかりますか??

この柱の見どころは、年輪による木目の緻密さ。これほど細かい木目をもった木は、現代ではもう手に入らないんだそうですよ。もし、どうしても手に入れたかったら針葉樹林の中でも特別な老木で、また標高のごく高いところに生えている希少な木を見つける必要があるのだそうです。

なぜ、小笠原氏がこんな高品質な材木を入手できたのか? それは、江戸の城下町を建設するために国中から最高品質の材木が探されていたなかで見つけられた木材の一部なのではないか、と考えられているそうです。江戸城下にも、この旧小笠原家書院と同じような素晴らしい材木が使われていたのかもしれませんね。

旧小笠原家書院を駐車場からの道のりと、館の中を写真で紹介

見どころの多い旧小笠原家書院。紹介しきれなかった写真をここでご紹介します。

旧小笠原家書院と小笠原資料館の駐車場。飯田中村線道路沿い、興徳寺の向かい側に位置しています。

ここから旧小笠原家書院まで徒歩3分程度です。

道中で石碑を発見。大正5年につくられたという伊那節の一節が記されています。

暑い日でしたが、小川のせせらぎや水の流れる音がとても涼しげで、楽しいさんぽ道♪

まだ紫陽花もちらほら。

伊豆木小笠原家は、松尾城主だった松尾小笠原家の後裔だったと書かれています。ほかにも、この看板を見ると旧小笠原家書院の性格がよくわかります。

時代劇に出てきそうな雰囲気のある石垣。ロケ地にも良さそうですね!?

殿~!と叫びながら家臣が走る…時代劇のワンシーンのような空想がはかどる
殿~!と叫びながら家臣が走る…時代劇のワンシーンのような空想がはかどる

旧小笠原家書院を正面から眺めてみます。

立派な向唐破風造(むこうからはふづくり)の屋根装飾が印象的です。屋根はこけら葺になっていて、虹梁(こうりょう)と呼ばれる虹のようなアーチを描いた梁の上に小笠原家の家紋・三階菱(さんかいびし)のあしらいが見えます。名家の建物だけあって手が込んでますね!

書院の正面入り口から入ってすぐの場所にあるのは、接客用に用意された広々とした客間。室内を明るく保つために障子が多用されています。敷居の上にある障子は空に浮かぶ雲に見立てて、雲障子と呼ばれていたのだそうです。

飾り気のないように感じる室内ですが、実はさまざまなデザインや工夫など見逃せない凝った意匠が点在しています。

下の写真は、中国から輸入され、室町時代から江戸時代初頭にかけて関東地方で流通していたという通貨「永楽通宝」のデザインをモチーフにした釘隠し。現代的には、室内インテリアにお金のモチーフを使うのはちょっとありえない気がしますが、当時はおしゃれだったのか…他の意図があったのか…想像してみるのも楽しいですね。

織田信長の旗印にも永楽通宝のデザインが使われていたそう。このデザインがこの書院にあることと、この書院を建てた小笠原長巨が、織田信忠に人質として差し出されていた時期があったこととは関係があるのでしょうか
織田信長の旗印にも永楽通宝のデザインが使われていたそう。このデザインがこの書院にあることと、この書院を建てた小笠原長巨が、織田信忠に人質として差し出されていた時期があったこととは関係があるのでしょうか

部屋の広さと対比するという欄間。一般的な住宅の欄間とは比べ物にならないくらい大きいです。

主(あるじ)の部屋と客間とを隔てた杉戸。

主(あるじ)が読書に使用した花頭窓の付書院。

床の間に飾られた人形浄瑠璃の人形の絵。

書院の裏手から伊豆木の風景を眺める。広々と見晴らしが良いですね。

明治5年に建築された厠(かわや)も見えます。洋式トイレに親しみのある現代っ子は、こんなトイレを見たらびっくりしてしまうかもしれませんね。

旧小笠原家書院はすごいところだらけ! 夏休みの自由研究のテーマにも良いかも♪

桃山時代の特徴を色濃く残す旧小笠原家書院を見学してみると、約400年前に飯田市で暮らしていた武士たちの暮らしぶりや価値観を、肌で感じることができたような気がしました。

・伊豆木小笠原家初代の小笠原長巨はUターン移住者!

戦国時代の動乱を生き、旧小笠原家書院を建てたと伝わる小笠原長巨にとって、住まいの場所や仕事が自身の希望通りのものだったかどうかについては、細やかな心情までは知る由もありません。

しかし、一度は兄・小笠原信嶺と共に埼玉県に住んだ小笠原長巨が、再び生まれ故郷の飯田市に帰ることを決めたとき、その心に浮かんだのが郷土愛や、安堵、飯田市の美しい景色であったことを願わずにはいられません。

小笠原家についても興味が湧いたという方は、同じ敷地内にある小笠原資料館にもぜひ足を運んでみてください。

旧小笠原家書院
住所/飯田市伊豆木3942
電話番号/0265-27-4178
旧小笠原家書院と小笠原資料館の観覧料/高校生以上300円、小・中学生150円
営業時間/(3月1日~11月30日)9:00~17:00、(12月1日~翌年2月末日)9:00~16:00
定休日/月曜、祝祭日の翌日、年末年始
駐車場/あり
※公式ホームページはこちら
※ヤフー地図はこちら
※営業日時などにつきましては、訪問される前に最新情報をご確認されることをおすすめします。

最後までお読みいただきありがとうございます。今後も、飯田市・豊丘村の情報を月に10本程度のペースで発信していく予定です。ご興味のある方は、FUNEのプロフィールからフォローしていただけるとうれしいです。

地域情報発信ライター(飯田市・上伊那郡・下伊那郡)

飯田市・上伊那郡・下伊那郡のさらなる魅力を、さまざまなお店やスポットなどの取材を通してお伝えしていければと思っています。

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