李克強「最後の演説」と、李克強に握手を求めた習近平
3月5日、全人代で李克強国務院総理の最後の演説があった。司会を務めた趙楽際の不慣れさと、何度も言葉につまずく李克強、そして最後に李克強に握手を求めた習近平の姿から、習近平政権三期目を考察する。
◆高揚感を失わせた司会・趙楽際(ちょう・らくさい)
3月5日午前から始まった全人代(全国人民代表会議)は趙楽際(新チャイナ・セブン党内序列3)の司会で始まった。なぜ現在はまだ中央紀律検査委員会書記である趙楽際が全人代の司会をするのかというと、拙著『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』のp.43にある図表1‐3で予測したように、趙楽際は今回の全人代で全人代常務委員会委員長に就任する可能性が高いからである。司会をしているので、決定と言っていいだろう。
このような役割が趙楽際にはあまり向いていないと思われたのは「それでは只今より・・・を開始します!」と宣言するときの趙楽際の語調だ。
中国語では、開幕宣言は「現在・・・開幕――!」と表現するのだが、会議の規模や威厳性を表現するときに、この「開幕――!」の部分を他の発音よりも大げさに、大声で、少し時間を空ける形で発音することによって強調するものだが、この「開幕」が「現在・・・開幕・・・」的な、弱いトーンで終わったので、会場は一瞬白けてしまい、「勢いを削がれた」という表情が満場に溢れた。
出席した2951人の全国代表(=議員)はみな「現在…」という言葉が始まった瞬間に背筋を伸ばし、高らかに宣言されるはずの「開幕――!」に高揚感を抱こうとしながら耳を傾けたのに、尻切れトンボのように「開幕・・・」で結んだので、伸ばしていた背筋の行く場を失った空気が会場を満たしたのが、画面を通して伝わってきた。
趙楽際はもともと陝西省訛りがひどすぎて聞き取りにくかったため中央の仕事が回ってこなかったのだが、習近平はその陝西省訛りが逆に気に入ってチャイナ・セブンに昇格させた経緯がある。父・習仲勲が陝西省生まれで、革命戦争のときに延安を築いた人物であることから、習近平自身も文化大革命のときに自ら好んで下放先として「延安」を選んでいるほどだ。父親が鄧小平の陰謀で失脚させられたことをバネに昇進していった習近平としては、「陝西省訛り、大歓迎」ということだ(『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』のp.54【序列3位:趙楽際――習仲勲の墓をつくった男】に詳述)。
しかし、その訛りを標準語に訂正訓練してはいるものの、「標準語の発音の抑揚」にまで力が及んでいないということの表れだろうと、何とも笑いをこらえるのに苦労した。
全人代では「政府工作(活動)報告」や「2023年国民経済・社会発展計画草案報告(=GDP成長率目標値など)」、「(残る李強や丁薛祥など)国務院側の人事配置案」あるいは「国務院機構改革方案」など9項目のテーマが審議されるが、最初に審議される李克強による政府活動報告が初日の注目点だった。
◆何度も言葉につまずいた李克強「最後の演説」
李克強は国務院総理最後の仕事として、約1時間にわたる政府活動報告を行った。
冒頭から「2022年」と言うべきところを、「2020年」と言いそうになり、あわてて言い直して「2022年」と訂正した。こういった言葉の「つまずき」、「言い直し」などは全体で10回以上あり、演説の「切れの悪さ」が目立った。
特に、中国では「どの個所に来たら拍手をする」というのが決まっていて、人民大会堂の全人代会議場に集まった全員に、李克強が「読み上げる原稿」を文字化したパンフレットが予め配られている。そこには「拍手個所」の小さな印が付けられているときさえある。拍手も何秒間と決まっている。
その「阿吽(あうん)」のタイミングを李克強は何度もまちがえ(見逃し?)、拍手が始まったのに次の段落を読み上げたために中断し、あわてて同じ言葉を繰り返したり、拍手が終わってないのに焦って次の段落を読み上げたりするなど、「つまずき」、「言い直し」が繰り返された。
今年のGDPの予測値などのデータを読む段階に来ると、会場の参加者の多くはペンで手元にある原稿のデータをなぞって確認したりする姿を中央テレビ局CCTVは映し出した。そういった数値に関しては、日本のメディアでも十分に報道しているので、ここでは省略する。
◆最大の驚きは「層層加碼(ツェンツェン・ジャーマー)」に触れたこと
李克強の演説の中で最も驚いたのは「層層加碼(ツェンツェン・ジャーマー)」という言葉を使ったことだ。
これは2022年12月1日のコラム<中央のコロナ規制緩和を末端現場は責任回避して実行せず――原因は恐怖政治>や2022年12月7日のコラム<中国ゼロコロナ規制緩和は2021年1月から出ていた>に書いたように、中央政府が「コロナ規制緩和」を指示しているのに、地方政府が保身のため、その「規制緩和」を守らず、コロナ感染者が出るのが怖くて「ゼロコロナ政策」に執着した現象を指す。一般に中央が出した緩和策などに対して、保身のために「緩和させまい」とするだけでなく「下の層に行けば行くほど(層層)、もっと規制を強めようとする(加碼)」現象を指している。中国によくある現象だ。
日本では筆者だけしか主張しておらず、メディアで取り上げたのは2022年12月4日のBSテレ朝の「日曜スクープ」だけだった。筆者はその番組で解説を行ったが、「層層加碼」を特集した「日曜スクープ」のプロデューサーやディレクターたちの勇気と判断眼に敬意を表する。
何といっても、李克強が10年間の総括の中で、「地方政府の怠慢」として「層層加碼」を取り上げたのだから、それが中国にとっては如何に重要な事であったかがわかるだろう。
◆最後に李克強に握手を求めた習近平
日本のメディアには「日本人のための、日本人が喜ぶ、日本人だけに通じる中国論」というのがあって、それを率先して創り上げているのがNHKを含めた大手メディアで、大手がそう言うのならば怖くないとばかりに、他のメディアが一斉に真似をする。そのことを『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』の【おわりに――「日本人にだけ通じる中国論」から脱却しよう】で厳しく批判した。
その中の一つに習近平と李克強の権力闘争という「日本人好みの俗説」がある。
李克強は習近平の競争相手になるほどの力量もなく、「紅い革命の血」が流れているわけでもなく、カリスマ性においては比較の対象ではない。
日本人は習近平さえ下野すれば、中国が中国共産党による一党支配体制から逃れられるとでも思っているのだろうか?
李克強はバリバリの中国共産党員だ。融通が利かないというか、頑固で神経質。
演説をするときに手の中が汗びっしょりになるほどの汗かきで、筆者はその姿を、李克強がまだ国務院副総理だったときに間近で見ている。最近では汗を抑制するための漢方薬を服用していると、1950年代初期に通った天津の小学校のクラスメートで、後に医者になった友人から聞いたことがある。
習近平は父親の恨みを晴らそうという気持ちが強いだけで、李克強を敵視するようなことをしてはいない。その証拠に3月5日の、李克強最後の演説(政府活動報告)が終わって全員が退場する前に、習近平の方から李克強に手を差し伸べた。
その瞬間を、本社が香港にあるメディア「星島(singtao=シンタオ)カナダ」が写し取っている。以下に示すのは記事の中になる「習近平が李克強に、握手のための手を差し出している」写真だ。
李克強に続いて、隣にいた汪洋が会場を離れようとしたが、習近平が李克強に手を差し伸べているのに気が付いて、歩みを止めた。
以下に示すのは、その次の瞬間、習近平が求めてきた握手を李克強が受けている写真だ。2人よりも先に会場を出るわけにはいかないので、汪洋は立ち止まって、ポケットをまさぐるような振りをして二人の握手の間に立ち入らないように下を向いている。こういうところが、何とも汪洋らしく、心遣いが奥ゆかしい。
李克強の10年は終わった。
それは少しも不遇などではなく、国務院総理の職位を全うしたのだから、十分すぎるくらい十分だったはずだ。
毛沢東が革命に成功したのは、1930年代半ばに陝西省の延安に革命根拠地が残っていたからだ。他の根拠地はすべて国民党に占拠され壊滅していた。その延安は、習近平の父・習仲勲が築いたものだ。延安がなかったら毛沢東は革命に成功できず、中華人民共和国も誕生していない。すなわち、習仲勲がいなかったら中華人民共和国は誕生していなかったことになる。それくらい習仲勲の役割は大きい。
この「紅い革命の血」を引き継いだ習近平と、ガリ勉さんの李克強とでは、まるで比較にならない。中国にはまだ、あの革命で血を流した者たちの子孫が大勢いる。カリスマ性において、いまアメリカに潰されようとしている中国を背負っていける人間がどこにいるのか?
習近平くらいの「太々(ふてぶて)しいとも言える胆気(たんき)」がないと、中国はアメリカに潰され、中国共産党による一党支配体制は消え去るだろう。つまり、中国が崩壊するのだ。崩壊を望むなら、李克強を讃えるのもいいだろう。
日本は何を期待して「李克強の方が良かった」という感傷に走るのか。
習近平が丁薛祥のヒントも得ながら創り上げていった中国のハイテク国家戦略「中国製造2025」を、李克強が国務院総理の役割として2015年に発表したことを以て、「中国製造2025」は李克強のアイディアだとして、習近平が李克強を潰すために最近では「中国製造2025」を言わなくなったという複数の日本の報道を見て、驚愕している。
そこまでのこじつけというか、事実の捏造までをしてでも、李克強を「不遇の10年」と言いたがる日本のメディアは、すでに危険な水域に来ていると危惧する次第だ。