【敬老の日】に親孝行温泉――。親を見送ってから後悔しないための家族旅行
私のリアルな親孝行温泉
2018年の秋に父が半年ほど入院した。めっきり気落ちして、言葉数も少なくなった父に、これまで行った温泉旅行の写真を病院に持って行き、「また温泉に行こうね」と励ました。
ようやく、今年の春に日帰り温泉入浴が実現できた。入院生活により足腰が弱った父が心配で、父の入浴は私が見守るためにバリアフリー対応の貸切風呂を予約していた。だが父は「大きなお風呂で、手足をのばしたい」と一人で大浴場に入った。私の心配と準備をよそに。
父は温泉を満喫したおかげで、それまでついていた杖を大浴場の脱衣場に忘れてくるという有様。赤ちゃんのようなつやつやな肌をして、天真爛漫な笑顔でお風呂から出て来た。次は旅館に泊まることを約束して、病院に戻っていった。
それからというもの、父はみるみる回復し、間もなく退院。旅はなによりものリハビリであることを体現してくれた。
父はいまサービス付き高齢者住宅で暮らす。館内なら杖をついて歩けるが、長い距離になると車いすを利用する。宿泊先は段差がなければ楽だが、バリアフリールームにはこだわらない。ただベッドは欲しいという状態で、「要介護1」だ。
そろそろ涼しくなるであろう夏の終わりに、念願だった1泊旅行を計画した。
どの宿に行こうか、両親に相談すると、「ホテル小柳がいい」という。元気だった頃に訪ねた宿に、また行きたいというのだ。父は「あの子に会いてぇなぁ~」と言う。あの子とは、新潟県湯田上温泉ホテル小柳の若女将・野澤奈央さんのことだ。母も「他の旅館とどう違うかは、うまく言えないけど、小柳に行きたい」と言う。
若女将の野澤奈央さんは、越後の女性らしく情が深い。奈央ちゃんとは、頻繁に会っているわけではないけれど、困ると彼女の顔を思い浮かべてしまう、そんな人だ。もう10年近く前になるが、一度、両親と訪ねたことがあって、その後、両親は二人で再訪しているようだった。
前日、父に確認の電話をすると「は~い、元気で~す、大丈夫で~す」と声のトーンの明るさから楽しみにしていることが伝わった。
ランチは行きすがら立ち寄る予定だったが、あいにく日本各地で残暑が厳しかった日で、新潟も予報では35度。途中の立ち寄りで体力を消耗するなら、早くホテルに入ってランチをとることに決めた。ホテル小柳がランチをやっていてよかった。
メニューの中から、「ふだん食べてないから」と、両親はトマト風味の米粉パスタを注文した。いつもは和食中心の食事だから、久しぶりの洋食が嬉しそう。
ランチを終えて、少し疲れた顔をしてラウンジで休んでいると、両親が逢いたがっていた奈央ちゃんが来てくれた。
「お父さん、大丈夫? どう?」と、父の顔を覗き込む。奈央ちゃんを見た瞬間、両親の顔がほころんだ。道中の疲れが一気に吹き飛んだように、二人とも晴れやかな表情を見せた。
予約していたバリアフリールームに入ると、ベッド2台が置かれてある。父は少し部屋で休んでから、待望の大浴場へと行く。
「大きな風呂に大の字になって、ぽかんと浮かぶのが、何とも言えない」と言う。浮力で軽くなった身体は、健康だった頃を思い出させるからだろうか。
17時から展望貸切風呂を予約していた。両親2人で温泉に入る。私は見守り役だ。
ちらりと視界に入った父の背中はやせ細り、ドキッとした。子供の頃は、身長178センチの大きな父を見あげていたものだ。それが今では腰も曲がり、こんなに小さな背中になっていたなんて。胸の奥が痛くなる。それでも2人で並んで温泉に入り、にこにことした2人の顔を見ると、救われた。
あぁ~、来れて、良かった。
18時からの夕食は半個室を用意してもらった。人目を気にしなくてもいいし、会話もほぼ漏れることはない。
新潟で生まれ育ったくせに、お酒を飲まない3人は、またたくまに夕食をたいらげる。ホテル小柳名物の釜飯が炊けた頃、私は聞きたかったことを聞いてみた。
「お父さん、今の私はどんな風に見える」と。
父は真っすぐな人で、物事を俯瞰して冷静に見ている。だから迷うことがあれば、なんでも父に相談してきた。叱責されたこともあるが、いつも私の背中を押してくれた。この晩も、思うことを率直に言葉にしてくれた。それらの言葉は、きっと私の宝物になるだろう。
久しぶりに、ゆったりとした気持ちで摂る夕食。お酒を飲まない私たちの夕食は2時間程で終わった。この2時間というのが、父も疲れずに、会話ができるちょうどいい頃合いだった。
これまでも幾度も両親と共に温泉宿に泊まっているが、温泉に入って、ご馳走を食べている時だけは、お互いに本音を話してきたように思う。日頃なら照れて言えない「長生きしてね」も、この時なら言える。
夕食後、父は休んだ。母と私は露天風呂で夜景を眺めながらお喋りした。
「奈央ちゃんさ、迎えてくれた時に、『いらっしゃいませ』じゃなく『お父さん、大丈夫』って言ってくれたじゃない。ああいう心があるのがホテル小柳なんだいね」という母の言葉に、両親が奈央ちゃんに会いたいたがった本意が少しわかった気がした。
翌朝、朝食を終え、チェックアウトをして、奈央ちゃんに別れを告げた。
帰りのタクシーで「お父さん、どうだった?」と聞いた。すると父はこう答えた。
「あそこまで行けたと思うと、これからも生きていく自信になったなぁ~。病院にいた頃は悪い方にばかり考えていた。ホームに入ってからは、あそこから離れるのが怖くなる。だから今回で自信がもてたなぁ」
最後に苦笑いしながら、こう言った。
「あ~、おまえさんによく怒られた」
母も「あんたは、怖い」と大笑いだ。
親と行く旅行は、段取りも予約も仕切るのは私だ。父や母がどうにもできない我儘を言えば、イラつき、それを隠さないのは親に対する甘えだろう。
父よ、母よ、怖い娘を許して欲しい。
これまでも両親と旅をすると、必ず最後に父がぼやく。まだ元気だった2014年に九州で湯巡りをした時は、「あ~、一生分の風呂に入った~。しばらく風呂はいい」と言われた。私の湯巡りはそれほど強行軍なのか? 猛反省――。
そのぼやきも、全て思い出になる。
親が若返ることはない。いま元気でも、体の変調は突如やってくる。行けるのなら、いま計画を立てて欲しい。一日も早く行って欲しい。多少、強引にでも。強引さがなければ親孝行温泉はできない。
※ ※ ※
図らずも、この旅ではあんなに大きかった父の小さくなった背中で親の老いを目の当たりにした。これまで頼ってきた親に、頼りにされる番が近づいてきている。立場が逆転する状況を受け入れることに、正直、躊躇している。それはきっと父も同じはずだ。
親孝行温泉とは、親と子の立場の逆転という、互いにとって受け入れにくい心理状況でも、気持ちがほぐれ、笑いあえることができる時間なのかもしれない。これこそ、親孝行温泉の効力だ。
※2019年に刊行した『バリアフリー温泉で家族旅行(3) 行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)より抜粋