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【河内長野市】谷村新司さんの生誕地は河内長野!3歳まで過ごしたとされる長野温泉付近の今。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

ある方からの情報によれば、全国自治体行政サービス改革度ランキング2023で河内長野市が全国1位なのだそうです。その上、昨年2022年度も1位とのことで、2年連続トップの座にいるとのこと。住んでいる立場として、これはとてもうれしいニュースでした。

画像提供:河内長野市民のTakuさん
画像提供:河内長野市民のTakuさん

その同じ日、偉大なアーティスト、シンガーソングライターの谷村新司さんが亡くなられていたというニュースを聞いたときには、逆に大きな衝撃を受けました。

図書館の資料にあった昭和29年ごろの長野温泉マップ
図書館の資料にあった昭和29年ごろの長野温泉マップ

その谷村さんが、この河内長野市で生まれたという情報は以前から知っていました。ご両親が戦争による疎開で親戚の経営している長野温泉の旅館に身を寄せていた時に谷村さんが誕生したそうで、1948(昭和23)年12月11日生まれ。3歳まで河内長野(当時は南河内郡長野町)に住んでいたそうです。

また河内長野に住んでいる方からの情報ですが、ご両親は長野商店街に谷村靴店というお店を営んでいたというのもあります。ただし谷村さんが4歳の頃には大阪市内に引っ越しをされており、親族の旅館も生家も、あったとされる商店街のお店も今は残っていません。

ここで朝日新聞の連載「人生の贈りもの」の2020年1月8日付の紙面にて、谷村さんが河内長野について語っている部分があります。

画像提供:河内長野市民のTakuさん
画像提供:河内長野市民のTakuさん

谷村さんは住んでいた当時の記憶がほとんどないそうですが、親族が住んでいるために引っ越し後も小学生の頃に河内長野に遊びに行った時の記憶が残っており、そのことが書かれていました。一部引用します。

駅から坂を下り橋を渡っていく道はよく覚えていますね

さらに次のような言葉が続きます。

川が三差路のように集まった角にある旅館で、すごく眺めがよかった。いつも川の音を聞いて川遊びをしていました。

駅近くの川が三差路のようなところというのはどこなのかすぐにわかりましたので、今回谷村さんが幼少のころ見たであろう場所に昨日の夕暮れ前に行ってみることにしました。

駅から坂を下り橋を渡るということで、当初は東口の横にある坂で黄金橋を渡ったことではと思いましたが、そのあとの言葉や色々な情報を調べるとこの坂ではないようです。

こちらの坂のことだと考えられます。画像では見えにくいですが、ここは下り坂になっています。

まっすぐいくと2方向にありどちらなのかになると分かりにくいですが、とりあえず左側の道を歩いてみます。

石川に架かる落合橋です。

橋の近くには河原に降りる階段があります。谷村さんは川の音を聞いて川遊びをしたと語っていますので、下に降りてみましょう。

何時も橋の上から様子は見るのですが、意外にここを降りるのは初めてかもしれません。

河原に降りてきました。この先に谷村さんが「川が三差路のように集まった」と語った場所があります。

見えてきました。三差路こと、石川と天見川の合流地点です。川に人影が見えます。

なんと川で水遊びをしている若者がいます。昨日は昼間少し暖かったとはいえもう10月中旬なのになんと元気な事か!恐らく谷村さんも幼少の頃にはこうやって川で遊んでいたのだと想像できます。

三差路の前に見えるのがイズミヤです。複数の方の情報からイズミヤ近くに谷村さんの生家があったとのこと。

先程の旅館図を拡大しました。角にある旅館だと楠翠閣になりますが、そこが谷村さんの親族の旅館だったかどうかは明確な情報がなくわかりません。ちなみに今はマンションが建っているあたりです。

そのマンションの下あたりに、レンガの跡があります。楠翠閣の痕跡の一部でしょうか?温泉の水道管ではという情報もありますが、これも今となってはよくわかりません。

余談ですが、長野温泉の泉源は画像で左側の建物群が途切れて草が生えているあたりにあるそうですが、今この泉源を使っているのは河内長野荘だけとのこと。

現存するあとふたつの旅館は、現在は料理旅館です。右側に見える看板の場所が八重別館で、左側の黄色がかった建物はおばな旅館 富貴亭です。

もうひとつの道を歩いてみましょう。複数の情報から見ると、この道の近くに谷村さんの生家があったとのこと。

こちらの建物は長屋風です。もちろんこれが谷村さんの生家ではありませんが、古民家なので、イメージとしてこれに近い建物が近くにあったのかなと想像しました。

ちなみにこの長屋風の古民家は錦水工房という名前がついていて、いろんな教室やカフェなどが日替わりで営業されています。

こちらの橋の名前は錦水橋です。

イズミヤの建物が見えます。手前の建物の奥に清教学園があります。余談ですが清教学園が現在地に移転したのは1967(昭和42)年で、イズミヤ河内長野店が誕生したのが1972(昭和47)年なので、谷村さんがこのふたつの建物を幼少の頃には見ていなかったようです。

ただ谷村さんは大人になってから、アーティスト活動としてラブリーホールでコンサートを何度も行なっていたようなので、そのついでにかつての生家だったところを見に行ったのであれば、上の画像の風景を見ていた可能性があります。

ふたたび三差路になっている川の合流点に来ました。さきほどの楠翠閣跡地の画像左側にはマンションが建っています。

画像は図書館の資料で見つけた昔の長野商店街の様子
画像は図書館の資料で見つけた昔の長野商店街の様子

中国など国際的に有名なアーティスト谷村新司さんが他界されたことは非常に残念なことですが、そんな素晴らしい方が河内長野で生まれたというのは、住んでいる者にとっては何となくうれしい気がしました。

石川と天見川の合流点(川の三差路)
住所:大阪府河内長野市長野町
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩5分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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