作家・桐野夏生さんが語った最新作『オパールの炎』とジェンダーへの取り組み
実際の事件をフィクションにした作品も少なくない桐野夏生さんは、素材やテーマが私の編集する月刊『創』(つくる)とも接点があるし、日本ペンクラブの会長としての活動を含めて敬意を表している作家だ。その桐野さんの最新作『オパールの炎』は、1970年代に話題になった中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)の榎美沙子さんをモデルにした小説だ。桐野さんがその運動をどう捉えていたか、またジェンダーをめぐる話題など、お話を聞いた。
榎美沙子さんを当時どう見ていたか
――桐野さんの作品は実際に起きた事件をもとにしたものも少なくないと思いますが、読んでいてリアリティがすごいと感じたのが『夜の谷を行く』でした。連合赤軍事件を扱った小説なので興味を持って読んだのですが、リアリティを確保するためにかなり取材を行うわけですね。
桐野 永田洋子さんや他の方の手記を読んだりしました。資料はたくさんありますからね。あとは想像で書いています。
――その点でいうと、最新作の『オパールの炎』も榎美沙子さんという実在の人をモデルにしているわけですが、こちらは独特の作り方をしていますよね。
桐野 モデル小説ではありますが、今回は実像が全然わからなかったんですね。資料もないし情報もない。関係者に会えるかと思ったんですけど3人しか会えませんでした。だから、主人公のノンフィクションライターがいろんな人に会って話を聞いて、人物像を立体的に組み上げていくという構成にしました。
そんなふうに証言のような形で組み立てていくというのは、私の場合は今まではあまりなかったですね。有吉佐和子さんの『悪女について』という、みんなが証言していくみたいな作品がありますが、ああいうのを一回やってみたいなとは思っていました。
――榎美沙子さんを取り上げたのは、小池真理子さんと対談した時に榎さんの話が出てきたのがきっかけで、編集者から榎さんをとりあげてみないかという提案があったということですね。榎さんといえば1970年代に中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)の活動で有名だった女性ですが、桐野さんは当時はどう見ていたのですか? 彼女の運動には賛否両論ありましたね。
桐野 当時私は現役の大学生でしたが、榎さんについては評価していました。正しい主張だなと思っていました。
――日本ではウーマンリブという運動があって、その後フェミニズムにつながっていくわけですが、榎さんの中ピ連は過渡的に登場して、やたら目立っちゃって批判的な見方も多かったですよね。
桐野 パフォーマンスなんかは行き過ぎだという声もあったけれど、私は結構面白く見ていました。よくあんなふうにできるなと感心したし、ちょっと小気味いいとも思っていました。主張も正しいと思っていました。ただ宗教団体を作ったあたりから関心がなくなりました。
フィクションと実話が交錯
――その榎さんをモデルにした人物を主人公が追っていくというのが今回の『オパールの炎』ですが、『婦人公論』に毎月連載していく過程で、榎さんを実際に知っていた人から連絡があって話を聞く。その話自体も作品の中に取り込むといったことをしていますね。
桐野 榎さんの元夫とか3人の方にお会いしたのですが、一番印象的だったのが、榎さんと一緒にロシア語を習っていたという女性で、榎さんに会った時の手帳を見せていただいたのですが、そこに榎さんが肉筆で自分の連絡先を書き込んでいたのですね。榎さんの肉筆を見たのは初めてで感動しました。
塙玲衣子に、美味しい料理を聞いたので作ってあげると言われて、行ってみたら料理は豚肉の生姜焼きだったという話も実話で、その方が話してくれたのです。
――実話とフィクションが交錯するわけですが、そういうやり方も最初から考えていたのですか?
桐野 なんでも入れていこうという気持ちはありました。できれば、真実に近いことを知って、それからモデル小説として組み立てていきたかったんですが、資料もほとんど残っていなくて五里霧中のまま始まっていますので、全部取り入れてやっていこうという感じですね。私としてはちょっと珍しい作り方をしていると思います。
――フィクションとして登場してくる塙玲衣子の関係者というのも、相関図が書けるくらいに次々と出てきますね。
桐野 いろんな人の証言集みたいな形にしていこうと思うということは編集者に相談しました。
最初はロンド形式といいますか、話を聞いた人から次の人の話を聞いていくという形にしようと思ったんですけど、それはすぐに行き詰まったので、そうでない形にしました。育った土地に行ったり、糾弾された被害者に会ったり、あるいは一緒に運動していた仲間に会ったりとかも、その都度いろいろと変えていこうと思っていました。
――でも、榎美沙子でどうでしょうかと編集者に言われてそれを実現するというのも大変じゃないですか?
桐野 ああ面白いな、と思って引き受けました。
――ところが調べてみたらあんまり資料がなかったので、逆にああいう形式を考えたと。
桐野 まあそういう言い方もできますね。本当によく調べてくださったんですけど、情報が全くなかったのです。93年ぐらいからプッツリ消息がわからなくなる、30年くらい情報がない、という感じですね。
「解放」を掲げる運動の中での女性差別
――『オパールの炎』は、そういう展開の仕方の面白さと同時に、当時の中ピ連とかフェミニズムについても考えさせられる作品ですね。榎さんのやったことに対する評価も含めて、作者である桐野さんの考えは、最後の章の「私はなぜ塙玲衣子を書こうと思ったのか?」で主人公が語っているわけですね。
桐野さんはジェンダーの問題などについてもいろいろな発言をされていますが、一度お聞きしようと思っていたことがあって、『夜の谷を行く』を出された後に、渋谷のロフト9で連合赤軍事件の元関係者たちとシンポジウムをやったことがありましたね。客席で聞いていたんですけれど、その時に、楽屋で元活動家の男性たちが女性差別的な物言いをするので反発を感じたみたいなことをおっしゃってたでしょう。
桐野 確か壇上で永田洋子さんがブスだとかそのようなことを植垣康博さんがおっしゃったんですね。もともとそういうふうな言説ってあったじゃないですか。永田洋子はブスで僻んでたみたいな話とか、女性同志への嫉妬が同志殺害の原因だったという見方が。中野判決(1982年の中野武男裁判長の1審判決)が有名ですけれども、それを上書きするようなことを植垣さんがおっしゃったので、それは嫌だということは、その時、言ったかもしれません。
私が書いたことって全然そうじゃない、女たちの方の話じゃないですか。そんなこと全く考えてない男側の論理だったから、ちょっとむっとしたというのはあったかもしれません。
――シンポジウムでは植垣さんの名前は出しませんでしたが、いずれにせよ他の登壇者をあんなふうに批判するというのもすごいなと思いました。元々ウーマンリブの運動って、解放を唱えている運動の中で活動家の男たちが女性を差別しているじゃないかという糾弾から始まったわけですよね。そのことを思い出させるシチュエーションでした。
桐野 植垣さんはそれをウケると思っておっしゃったのですが、私はあの本の中でも中野判決を批判しています。それなのに反省してない。
――『創』では植垣さんに何度も登場してもらっていますが、きさくで、そういうことをざっくばらんに言ってしまうキャラクターで、そこが好かれていたところでもありました。
桐野 悪気がないことはわかります。たぶんサービス精神なんです。それはわかるんですけどね。
『夜の谷を行く』を書く時に、当時静岡でやっていた植垣さんのスナックにも編集者と一緒に取材に行きました。植垣さんの話はその時も面白かったし、獄中でお書きになったものも面白く読みました。
彼だけ分離裁判でしたね。植垣さん、今はどうされているのでしょう。
――2年ほど前から健康を害して、結構重篤な状態が続いていると聞きました。そのへんの情報は関係者も敢えて公にしていないようですが。
国家による規制と大衆的検閲の怖さ
――桐野さんは雑誌連載をいくつかやっていて、順次書籍にまとめていくのですが、同時並行で3つぐらい連載をやっていますね。
桐野 3つが限度です。3つ書いている時は、追加取材もあるし、なかなか次の作品には行きにくいですよね。1つ終わって次の取材までの間にちょっと休んで…みたいな感じです。1つ終わると今度は別の作品について考えようかなみたいな感じで、常に動いてる感じです。
――『夜の谷を行く』にしろ『日没』にしろ最後の終わり方がえーっという感じですよね。ああいう落としどころは早い段階で決めておくのですか?
桐野 『夜の谷を行く』では、途中の取材で、保母さんとか看護師さんを集めてそこでコミューン的に子供を育てようと考える企画もあったというふうな証言を聞いて、そこから大きく方向転換したんです。自分でもびっくりです。こういう話になったのかと思って。
私は作品が円を描くようにぴしっと終わるのはあんまり好きじゃなくて、ほったらかしで終わるみたいなのが好きなんです。読者の方には不親切かもしれません。『夜の谷を行く』は、わりとうまく収まったと思うんですけれど。
――『日没』は最初からあの終わり方を考えていたんですか。
桐野 『日没』はとにかく作家の収容所の話にしようということで、ストーリーというほどのものが最初から決まっていたわけではないし、最後がああいうふうになるというのも再校の時に決めたのです。
――表現の自由をテーマにしようというのは決めてあったわけですね。
桐野 コンプライアンスが今きつくなっていて、多くの作家は気にしています。これ書いていいのか悪いのかとか、悩む人も多い。結局自粛の方向に向かうのがよくないと思っていました。結構大問題だと思ってたので、思わず書いてしまいました。
――そのコンプライアンスについては、昨年芥川賞を受賞した『ハンチバック』の市川沙央さんとオンラインで話された読書バリアフリー問題のシンポジウムでもおっしゃってましたね。
桐野 本で書いた表現がウェブではそのまま使えないことも多くて、わりと平板になるというかどこにも支障がないような表現になっていくことがあるのですね。書籍のデジタル化とともにコンプライアンスを意識して表現がツルツルになる。今後、作品をどんどんウェブで発表していくようになると、コンプライアンスがきつくなるんじゃないかという懸念があることを話しました。
ただ、紙の本にこだわっていてはダメという市川さんの主張も本当にその通りで、それまで気がつかなかったから衝撃でもありましたが、ウェブ化に伴うそういう問題と、両方考えていかなければいけないと思います。
――ただ桐野さんご自身は、そういう規制は受け入れずにという考え方ですよね。コンプライアンスとか嫌いですよね。
桐野 はい。小説はフィクションですからそこは自由にしていいんじゃないかと思います。もちろん何でも書いていいというわけじゃありません。ただ国家の規制については昔から多くの人が闘ってきたけれど、一般の人々が規制するというのはわかりにくい。国家の検閲はある意味わかりやすいんですけれど大衆的検閲は怖いと思います。まさに『日没』は、そういうつもりで書きました。
女性作家たちのジェンダーへの取り組み
――『オパールの炎』はジェンダーの問題に関わるわけですが、桐野さんは日本ペンクラブの初めての女性会長ということで就任の時に大きく報道されました。
桐野 最近女性初というのが多いですからね。でもペンクラブ会長の場合は遅かったと思います。文芸は男性規範による社会ではありましたから。今はもう破られつつあると思いますけれども。
ペンクラブ内でも女性作家委員会を中心にその問題を議論してきて、今度9月8日に「日本のハラスメントを考える」というシンポジウムでステートメントを出すことになりました。
(注:9月8日のシンポとステートメントについては下記記事を参照。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/bf8bd1d65c693aae639aa18a2e194bf026fe2056
#MeTooの流れをくむ女性作家たちの性暴力批判「宣言」!これはとても意味のある動きだ)
――女性作家委員会の取り組みもすごいですよね。篠田節子さんや柚木麻子さんら女性作家がシンポジウムでその問題についてあれだけフランクに話すというのはこれまでなかったような気がします。
桐野 あんまりないと思います。私たちは性加害に対するイベントをずっとやってきました。そして、映画界での性加害が大きな問題になった時に、映画やドラマに原作を提供する女性作家として、ハラスメントに対してステートメントを出された山内マリコさんらと一緒に、9月8日には、全共闘的に言うと「総括」をして、新たなステートメントを出しましょうということになりました。
――桐野さんがペンクラブの会長で、日本文藝家協会でも林真理子さんという女性作家が会長になって、時代が変わりつつあるということでしょうか?
桐野 直木賞の選考委員も女性が多いですし、やっぱり変わってきていますね。
――『真珠とダイヤモンド』のように週刊誌連載だと大変だったと思いますが、『婦人公論』は月刊だから、『オパールの炎』は月1のペースで進行させたわけですね。いろんな組み立てをやっていくには良いペースなんですか?
桐野 わりといいですね。書き出してから3日ぐらいで書くので、締切の4~5日前ぐらいから考え始めます。
――アイデアが思いつかなくて悩み苦しむことはそれほどないのですか。
桐野 あんまりないですね。時々、前のことを思い出せなくて、人の名前を間違って指摘されたりしますが。
――桐野さんの作品は結末がすごいのでこれは相当前から考えてるのかなと思っていましたが。
桐野 意外とそうでもないんです。
『オパールの炎』の場合も、榎美沙子さんについてこれだけ探しても資料が出てこないのは何だろうと考えていたら、昔の『週刊宝石』の記事だったかに脅迫容疑みたいなことがちょっと書いてあったので、もしかして脅迫罪で訴えると脅しを受けたんではないかなと考えたのです。あれだけ企業を糾弾したりしていたらありうる話じゃないですか。だからあのような話にしたのですが、実際はわかりません。謎です。
――その展開を含めて、ぜひ『オパールの炎』を多くの人に読んでほしいですね。