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売れた要因のひとつは「え」の歌声――城田優の原点

てれびのスキマライター。テレビっ子
「風の詩人」を歌う城田優(「STAY HOME with ANZA」より)

多部未華子、木村多江、浦井健治、そして城田優――。

彼らの共通点をご存じだろうか。

いずれも1993年から2005年まで上演された「美少女戦士セーラームーン・ミュージカル」(通称:「セラミュー」あるいは「セラミュ」。2013年からネルケプランニング主催で復活した“ネルケ版”と区別し、俗に“バンダイ版”などと呼ばれる)に出演経験のある俳優だ。

「セラミュ」は現在でいう「2.5次元ミュージカル」の先駆けであり、その礎を築いたといっても過言ではない作品だろう。

いまやミュージカル界を代表する俳優となった城田優は「ミュージカルがここ数年流行ってきてテレビで活躍している俳優さんが参加してくださることも多くなったんですけど、僕は最初からやってます!」(テレビ朝日『徹子の部屋』2017年12月12日放送)と胸を張り、この作品が自分の「原点」だと言って憚らない。

城田:初めてのお芝居、初めての歌、ダンス、殺陣……。いろんな要素が一気に入ってきて、もうそれこそ人生で初めて食事ができないくらい。余裕がなさすぎてなのか、その当時は何も喉を通らないくらい。頭がいっぱいいっぱいで。マントさばきとかスティックさばきとか、シルクハットやバラを投げるとか、そういうことも含めて実はやることが多くて。「セーラームーン・ミュージカル」と言うと子供向けミュージカルと思われがちなんですが、実際めちゃくちゃちゃんとしてて。

出典:NHK『あさイチ』2020年10月2日

落ち続けたオーディション

今でこそ唯一無二の存在でミュージカルや舞台はもとより、映画・ドラマなどの映像作品から、歌手としての音楽活動まで幅広い活躍を見せている城田だが、デビュー当初は、その唯一無二な存在ゆえ苦しんだ。

小さい頃から芸能の仕事に憧れ、13歳の頃に芸能事務所に入ると、オーディションなどに参加し始めるが、ことごとく落ちてしまった。

スペインの血を引いた丹精でエキゾチックな顔立ちと、14歳で既に180センチを超えていたという背の高さが逆に仇となったのだ。

「カッコ良すぎる」「背が高すぎる」「もう少し顔が薄ければね」などとハッキリと言われたという。海外からの転校生のような役どころでしか使えないというのだ。実際に自分は日本の学校に普通に存在しているにもかかわらず、「君みたいな人はいないんだよね」とドラマなどではいないことにされてしまう。容姿という変えようもない部分で自分の存在を否定されてしまったのだ。どんなに褒め言葉として「カッコいい」と言われても、それを褒め言葉として受け入れることができなくなった。

そして16歳のとき、ようやく受かったのが「美少女戦士セーラームーン・ミュージカル」のタキシード仮面/地場衛役だった。すると評価が一変した。

「優は絶対舞台向きだよ! 背も高いし、彫りも深いから、舞台映えするから!」

先輩俳優から絶賛され、初めて自分の居場所ができたのだ。

「僕は歌がやりたいんです」

コロナ禍の緊急事態宣言のさなか、バンダイ版「セラミュ」でもっとも長くタキシード仮面を演じた2代目の望月祐多(1994~98年)、6代目の浦井健治(2001~02年)、7代目の城田優(2003~04年)が揃うという“夢の共演”が実現した。

それは小坂明子のYou Tubeチャンネル「小坂明子のちいさな家」で配信された「STAY HOME with ANZA」の第3弾(2020年5月23日)。これは、初代セーラームーン役のANZA(当時・大山アンザ)がアシスタント役となり、小坂明子が歴代セラミュ俳優をゲストに招いた番組だ。

小坂明子のYou Tube配信番組「STAY HOME with ANZA」で歴代タキシード仮面が共演した一場面
小坂明子のYou Tube配信番組「STAY HOME with ANZA」で歴代タキシード仮面が共演した一場面

小坂明子といえば一般的には「あなた」をヒットさせた歌手というイメージかもしれないが、「セラミュ」の世界ではカリスマ的存在。

バンダイ版「セラミュ」の音楽の作曲をほぼ一手に引き受け、全456曲を制作した(主題歌「La Soldier」は特にファンから愛されアニメ版でも使用された)。

昨年、「小坂明子45周年記念」として行われたライブ「美少女戦士セーラームーン Music History」が、バンダイ版「セラミュ」終了から十数年経った現在でもチケットが即完するほどの人気だ。2020年に開催予定(コロナの影響で2021年に延期)だったメドベージェワも出演することで話題の「美少女戦士セーラームーン Prism On Ice」の音楽を手がけるというニュースもファンを喜ばせた。

「STAY HOME with ANZA」にゲスト出演した城田は、当時、既に身長が190cmに達していたため「特大サイズ」と呼ばれ、代々受け継がれていたステッキやマントなどの衣装も作り直してもらったなどと裏話を披露。

俳優陣の歌唱指導もしていた小坂は、「優くんは『僕は歌がやりたいんです』って言ってたよね」と回想する。

城田: 歌とかでも周りに評価されてなかった中、小坂先生にはすごく褒めていただいたんですよ。「優くん、歌、素晴らしい!」って。特に「風の詩人」っていう曲(ギターを弾きながら歌う「セラミュ」初の弾き語り曲)を歌っているときとか。レコーディングしているときに「優くん、絶対に(歌を)やっていったほうがいいよ!」って後押しをしていただいたんですけど。

いまだに弾けますからね。(と、ギターを出して「風の詩人」を歌い始める)

死ぬほど練習したんですよ。めっちゃ好きな曲で。(自分の)コンサートでも実は歌わせていただいたことがあって。レコーディングした当日のことも覚えてますし、個人的にCDを出したいとか、歌を歌いたいとかというのがひとつの夢だったので、「セーラームーン・ミュージカル」のCDの中に自分のソロ曲が入るっていうのがすっごく嬉しかったですね。

出典:小坂明子のちいさな家「STAY HOME with ANZA」(2020年5月23日配信)

これを聴いて、現在はロックバンド・HEAD PHONES PRESIDENTのボーカリストとしても活動するANZAは「優くんの甘い歌声ってすごい独特。残るのよねえ」と感想を漏らすと、小坂が身を乗り出して城田優の歌声に対する持論を語る。

小坂: 私、優くんが売れる理由の一つにね、え・け・せ・て・ね…。“え行”(「え段」)で売れてる歌手だと思ってる。

城田: なにそれ(笑)。初めて聞く。

小坂: たとえば、「あいうえお~♪」って歌ったとするじゃない? そうすると「え」だけポジションが変わるのよ、優くんて。「え」のところだけ上がるんですよ。その「え」がものすごく“売れる声”なのよ

城田: 売れる声!(笑)

小坂: “うまい声”と“売れる声”があるわけ。すごい“え行”に惹かれる

出典:小坂明子のちいさな家「STAY HOME with ANZA」(2020年5月23日配信)

「初めての現場がそこでよかった」

最初はミュージカルのスゴさって何?という感覚だった城田優だったが、やればやるほどそのスゴさを実感していった。

「当時の僕は本当に何もできませんでした。体もバキバキに硬くて、背筋も悪くて、身長もコンプレックスと思っていた。お芝居もダンスも殺陣も全部下手くそだった。だから出遅れている存在として毎日のように居残り練習をしていました」と当時を回想する城田。

城田: 同世代の出演者が多いので楽しい現場なのかなと思いながら、稽古に入ったのですがメリハリのある現場であり、ミュージカルにおいて必要要素が全て含まれていたので、初めての現場がそこでよかったなって思っています。2年後卒業したとき、始めた頃と卒業するときの映像を見比べたら全然違うものになっていたというか、成長していることがわかりました。

出典:「モデルプレス」2018年10月24日

この舞台の殺陣師・幸村吉也から言われた「優、舞台っていうのはやればやるほどどんどん怖くなるんだぞ」という言葉を、ミュージカル界を代表する俳優のひとりとなった今まさに実感しているという。

城田: 「セーラームーン」に出演できたことを今僕は本当に誇りに思っています。「セーラームーン」のおかげでいろんなことに救われたし、熱意のある指導者たちが集まっていた場でした。初めての演出家があの人でよかったな、初めての殺陣師があの人でよかったな、初めての振付師があの人でよかったなって、思うことばかりです。

出典:「モデルプレス」2018年10月24日

(※記事中の画像は「小坂明子のちいさな家」で配信された「STAY HOME with ANZA」の画面を筆者がキャプチャしたもの)

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ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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