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営業はスキルだ!誰もが無敗営業になれる、3つの質問と4つの力【高橋浩一×倉重公太朗】第1回

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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今回のゲストは、TORiX(トリックス)株式会社代表取締役CEO の高橋浩一さん。東京大学経済学部を卒業後、コンサルティング会社を経て25歳で起業し、アルー株式会社に創業参画しました。高橋さんは「商品なし・実績なし」の状態から、業界トップレベルの受注率で大企業との契約を勝ち取ります。 その後「自分で営業するだけでは組織の成長が伸び悩む」という課題に直面し、経営メンバーが現場に行かずとも、自律的にPDCAが回る組織体制と仕組みを構築しました。特別な才能が無くても身につけられる、「無敗営業」のノウハウとは?

<ポイント>

・飛び込み営業、テレアポで結果を出す秘訣

・うまくいかないことがあっても、何かのきっかけで視界が変わる。

・「自分が営業しないと売れない」という問題をどう解決したか?

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■人見知り克服のため、高校生で飛び込み営業を始める

倉重:今回のゲストは、TORiX株式会社の代表、高橋浩一さんにお越しいただきました。ご著書の『無敗営業 「3つの質問」と「4つの力」』は、重版が掛かってベストセラーとなっています。まずは簡単に自己紹介をいただいてよろしいですか。

高橋:高橋浩一です。TORiX株式会社は、大企業からベンチャー企業まで、事業開発や組織開発、研修、営業強化の支援を行っています。実はこういう仕事をすることを狙っていたわけではなく、想像もしていませんでした。

倉重:むしろコミュニケーションは苦手だったのですよね。

高橋:そうです。本にも書いていますが、人見知りが激しい性格でした。今でも覚えている幼少期の記憶は、幼稚園の送迎バスの集合時間に間に合うかどうかのギリギリのタイミングでトイレに行きたくなったことです。もうすぐバスが出るという時間でしたが、近くに用務員のおじさんがいたので、「ちょっと待ってもらえませんか」と一声かければ、多分バスは待ってくれたと思います。でも、話しかけるのが怖かったのです。

倉重:恥ずかしくて言い出せなかったのですね。

高橋:そうです。結局バスが行ってしまって、一人だけ幼稚園に残されたという寂しい思い出があります。それくらい、人と話すのが怖かったのです。「小学校のとき、隣の席の女の子に消しゴムを借りられなかった」ということも書いていますが、席替えをすると、隣の子と話せるようになるまで1カ月くらいかかりました。慣れたころにまた席替えがあるので、非常にゆううつだったのです。

倉重:コミュ障というほどではないけれども、コミュニケーションが得意ではなかったのですね。

高橋:そうです。自信のなさを克服したくて、高校1年生の頃に飛び込み営業のアルバイトを始めました。

倉重:「苦手なことを克服しよう」という思いで始めたのですか?

高橋:克服しようという大層な狙いがあったわけではないのですが、「ちょうど良かった」と思った記憶はあります。当時は学校の友達とのコミュニケーションをミスすると、次の日から学校に行けないくらいの強迫観念がありました。今振り返ってありがたかったのは、飛び込み営業は、一件目がダメでもすぐ次に行けることです。これは非常に素晴らしいシステムだと思いました。

倉重:飛び込みで何を売っていたのですか?

高橋:英会話学校のポスター貼りです。1枚いくらという完全成果報酬型だったので、最初はずっと0円が続きました。そのうち16歳なりに工夫してみるようになったのです。「ダッシュで行って、汗だくで頼んだら貼らせてくれるかな」とか、「おじいさん、おばあさんのお店だけに行こう」「優しそうな人を狙おう」というふうに考えました。でも、全然結果が出ません。それまではポスターが貼られていないお店ばかり狙っていたのです。

倉重:「ポスターがあるお店はダメだ」と思っていたのですね。

高橋:そうです。「先約済み」のような感じに受け取れるじゃないですか。回るところがなくなったので、すでに貼っている所へ行ったら、お店の人から「あのポスターは古いから取り替えて」と頼まれて、「その手があったか」と思ったのです。

倉重:目からうろこですね。

高橋:「営業は人に頭を下げて嫌な思いをしながら頼む」というイメージがありますよね。僕も基本的に迷惑そうな顔をされて嫌がられていました。そのとき初めてうれしそうなお客様に出会って、喜ばれることがあるのだなと思ったのです。

倉重:初めてやりがいを感じた瞬間ですね。

高橋:やりがいまでいうと大げさですが、物の見方が少し変わりました。その次からターゲットを変えて、すでに貼ってあるお店ばかりを狙って、「もう古くなっているから取り替えませんか」というアプローチにしたのです。そうすると何軒かに1軒かは貼り替えてくれます。

そのうち、ポスターを2枚貼っているお店に気づきました。1枚いくらの契約なので、2枚貼ってもらえば単価が倍になります。「2枚貼らせてください」と頼んだら時々「いいよ」と言ってくれる人がいました。「1枚ならいいよ」と言われた場合でも、0枚に比べたらいいですよね。次は「3枚貼らせてください」と頼んでみると、「2枚だったらいいよ」と言ってくれるところが出てきました。

倉重:最初から少し多めに言ってみたのですね。

高橋:4枚までいくとさすがに怒られたので、3枚が限界だなと思いました。このようにいろいろ工夫してみる楽しさを高校1年生の時に体験したのです。今振り返っても、失敗が許される環境で創意工夫をしながら営業できたのは非常に良かったと思います。

倉重:高校生のアルバイトであれば、失敗してもバイド代が少なくなるだけの話ですものね。

高橋:社会人は遊び感覚で仕事をすると怒られますが、学生はそのほうが楽しいし、うまくいくこともあります。

倉重:最初のトレーニングとしてはいいかもしれませんね。

■ガチャ切り連発のテレアポで成果を出すには

高橋:飛び込み営業が結構楽しかったので、大学生の頃はテレアポのアルバイトをしました。

倉重:テレアポも、すぐにうまくできるわけではないですよね?

高橋:最初はガチャ切りの連続です。「何分切られずに持つか」というゲームをしていたのですが、なかなか結果には繋がりません。当時は壁にテレアポのランキングが貼られていたので、1位の人の横に行ってみました。そうすると、1位の人なりのトークをしているわけです。

倉重:できている人の分析をしたのですね。

高橋:そうです。午前中は、1位の人の横にずっと座って話を聞いて、午後は席を替わって、その人のやり方をそっくりまねしました。

倉重:例えばどのようなやり方でしたか?

高橋:僕がうまくいかなかったときは、「アポをもらえませんか?」「いつだったら大丈夫ですか」という質問をしていました。1位の人は、「お伺いしたいのですが、7月3日の午後と7月4日の午後ならどちらかがいいですか」というふうに話していたのです。

倉重:クローズな質問にしてしまうのですね。

高橋:今振り返るとテレアポの初歩的なテクニックだと思うのですが、大学生ですから、「そういうやり方があるのだ」という発見があったわけです。1位の人のやり方を真似したら少しアポが取れたので、「2位の人は違うのかな」と思って、翌日は2位の人の横に行って同じことを繰り返しました。

倉重:まったく営業できないところから、できる人の真似をして、工夫をしながらトレーニングしていったのですね。

高橋:そうです。その時に、「1位と2位と3位の人は、個性は違うけれども根っこは同じだ」と感じる瞬間があったのです。例えば自信があるように話す。アポの許可をもらう前に候補の日程を出す。それから「○○をしている会社です」ということをきちんと伝えて安心感を持ってもらうということです。でも話し方は全然違いました。そういう経験を、高校、大学でしたことが後になって非常に生きてきたと思います。

■コンサルティング会社への入社後、25歳で起業

倉重:大学でテレアポをして、その後はコンサルになられるのですよね。

高橋:そうです。新卒で入ったのがコンサルティングの会社でした。大学の頃はあまり勉強をしないで留年をしていた口なので、とにかく鍛えられる会社へ行きたいと思い、ハードワークと言われている会社に入りました。自分自身は非常に直感派なのです。ありとあらゆる人生の大事な決断は1分以内で決めてしまうので、ある意味で「きちんと考える」ということは苦手意識がありました。そこを会社で鍛えられると思ったのです。

倉重:深く考えるトレーニングをしてみようと。

高橋:そうです。会社に入ったら、考えることに関して非常に厳しい人たち周りにいて、思いつきで物を言うと、「こら」と怒られるわけです。その会社で働く中で、「パターン認識」という考え方が身につき、「テレアポでしていたことは、こういうテクニックだったのか」ということが整理されてきました。社会人2年目になる時に、大学の先輩から「起業をしようか」と声をかけられて、15秒くらいで「いいですよ」と言ってしまって。

倉重:早めですね。

高橋:コンサルティング会社は比較的給料がいい業界だったのですが、独立したらお金がなくなりますから、月収15万という状況でした。

倉重:では25歳くらいで起業メンバーになったということですね。最初から狙ってそうしたのですか? それとも流れですか。

高橋:流れです。「ダメならアルバイトをすればいい」と思って、深く考えていませんでした。

倉重:そこからどうして営業のコンサルという道に進んだのですか?

高橋: 3人の役員で会社をスタートしたとき、僕は学生時代に公認会計士の勉強をしていたので、財務担当でした。会計士の勉強は途中で挫折したのですが(笑)。どちらかというと安直な役割分担ですね。ただ、僕はテレアポのアルバイトを楽しんでいた経験があるので、だんだん受注が取れて、いつの間にか管理側というより営業全般を見る立場になりました。

倉重:これも狙っていたのではなく、たまたまそうなったということですね。

高橋:そうです。ベンチャー創業直後は全員営業という感じでした。最初に役割を決めていたのですが、始まってみると、毎日全員がテレアポを100件くらい入れていました。

倉重:最初は何の会社だったのですか?

高橋:人事系の教育ベンチャーです。研修を売るという感じでしたが、3人とも24、25、26歳という同世代で経験もありません。僕は社会人の最初の2年半でお金をためていなかったので、当時必要だった資本金のために借金をしました。お金がない上に、月収は15万です。すごい勢いで貯金が減っていく生活で、後がありません。アドレス帳に登録した人に、アイウエオ順に電話をかけて「仕事はありませんか」と聞いていったら、ナ行まで来たときに、「あなたは変なことをしているらしいけれども、そういうのは恥ずかしいからやめたほうがいいよ」と言われました。

倉重:誰に言われたのですか?

高橋:要は知り合いに営業をかけていたのです。僕の学校の同期はみんな大企業などのいい会社に入っていたので、ツテを紹介してくれないかと頼んでいたら、「みっともないとうわさになっているから、やめたほうがいい」と言われたのです。

倉重:それはかなりつらい体験ですね。

高橋:それから3年ぐらいたって実績ができてくると、大企業に勤めている友達や先輩から逆に相談などを受けるようになりました。「人の物の見方は3~4年たつと変わるのだな」ということが体験を通してわかったのです。うまくいかないことがあっても、何かのきっかけで見える視界が変わります。

倉重:その研修会社は、無事に業績は伸びていったわけですよね。

高橋:そうです。ただ、最初のころは非常に属人的で、ベンチャー経営からするとあまりよろしくない成長の仕方でした。最初の3年くらいは自分を売っているような感じで、新しく営業職を採用しても全然売れなかったのです。

倉重:高橋さんでないと売れないと。

高橋:そうです。とにかく自分のまねをしてもらおうと思って、話している場面をビデオに取ったり、音声を文字起こししたりしたのですが全部ダメでした。

次にしたことは目標管理です。「売上目標を〇〇とすると、今〇〇足りない」という数字を出しました。目標の数字から現在の数字を引くとギャップが出てきます。数字を残りの営業期間で割ると、1日当たりどのくらい売上が増えなくてはいけないかがわかります。それをグラフで書いて、「1日〇〇円の売り上げを増やさないと赤字だよ」「みんな息を吸っているけれども、1秒間〇〇円かかっているよ」と言っていました。

倉重:嫌な上司ですね(笑)。

高橋:とにかく全然結果が出なかったので、非常に焦っていたのです。毎日朝一番に会社に行って売上状況を印刷し、営業全員の人の机に置いておきました。最低ですよね。

倉重:非常に労働時間が長そうですね。

高橋:労働系に詳しい倉重さんの前でお話をすると、「それはまずいのでは?」と言われるかもしれません。

倉重:スタートアップの時期は仕方がないです。

高橋:結局、何をしてもうまくいきませんでした。最終的には売上規模の大きい順番に、部下とセットで訪問して回りました。どれだけがんばっても目標に届かず、全部の道がふさがってしまったのです。締め会の場で全員に反省の弁を述べたのですが、営業の人たちは全員下を向いていて、非常に肩身の狭い思いをさせてしまいました。年末に営業の人に「僕のやり方が良くなかった」と話したら、「では私が皆さんに意見を聞いてあげます」と言われました。全員のメーリングリストに「意見を求む」というメールが送られ、1時間で大変な数の返信が来たのです。

倉重:みんないろいろ思っていたのですね。

高橋:批判や文句ではなく、「もっとこうしたらいいのではないか」というアイデアもたくさんきました。もう少し辛らつな言葉が来るかと思いましたが、全くそんなことはありません。営業会議でも、「皆さんの意見を聞きたいと思います」と言ったら、会議の最初に「何があっても反論はしないでください」というニュアンスのことをお願いされました。

倉重:よほど普段は言い返す感じだったのですね。

高橋:当時はみんなを論破してしまっていたので、「自分が正しい」という想いが根底にあったと思います。それがみんなに意見を言いづらくさせてしまっていたのです。会議の最初に、「絶対に反論しません」と宣誓したら、非常にいい会議になりました。「もしかすると、みんなに任せたほうがうまくいくのに、自分がふたをしてしまっていたのではないか」と思い、することを全部逆にしてみたのです。これまで信用できないから自分が同行していたのですが、行きたい商談ほど行かないようにしました。

倉重:任せてみたのですね。

高橋:マネジメント論では王道だとは思うのですが、恥ずかしながら、当時の自分にはそういう世界が見えていなかったのです。まだ20代でしたので、よく分からないまま日々必死に仕事していたという感じでした。そこから、「信じて任せるとうまくいく」「現場から離れれば離れるほど業績が上がる」という状態になったのです。

倉重:成果が出てきたわけですね。

高橋:今まで、「自分が行かないとうまくいかない」と思っていたのですが、「自分が介入しないほどうまくいく」という体験をリアルにして、世界観が変わりました。

(つづく)

対談協力:高橋浩一(たかはし こういち)

TORiX株式会社代表取締役CEO

東京大学経済学部卒業。ジェミニ・コンサルティング(後にブーズ・アンド・カンパニーと経営統合)を経て25歳で起業、企業研修のアルー株式会社に創業参画(取締役副社長に就任)。 商品なし・実績なしの状態から、業界トップレベルの受注率で自ら従業員1000名以上の大企業を50件以上、新規開拓。

  その後、創業者が自分で営業するだけでは組織の成長が伸び悩むという課題に直面し、「営業経験なし」「社会人経験なし」のメンバーが毎年入社してくる中で、経営メンバーが現場に行かずとも、自律的にPDCAが回る組織体制と仕組みを構築。売上・利益とも大きく向上させ、3名でスタートした会社は6年で70名規模に。同社上場への成長プロセスにあたり、事業と組織の基盤を作り上げる。

 2011年にTORiX株式会社を設立し、代表取締役に就任。 これまで、上場企業を中心に50業種3万人以上の営業強化を支援。行動変容を促す構造的アプローチに基づき、年間200本の研修、800件のコンサルティングを実施。8年間、自らがプレゼンしたコンペの勝率は100%を誇る。2019年10月、『無敗営業 「3つの質問」と「4つの力」』を出版 (発売半年で4万部)。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒 KKM法律事務所代表弁護士 第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長、同基礎研究部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)副理事長 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 紛争案件対応の他、団体交渉、労災対応、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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