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【九州三国志】祖先の軌跡と時の流れに宿る伝承!阿蘇氏の歴史をたどる旅

華盛頓Webライター
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阿蘇氏。その名は、阿蘇山の広大な風景を背景に、遥かなる神話の時代から続く物語を秘めております。

この氏族の起源は、『古事記』に記された初代天皇・神武天皇の皇子、神八井耳命(かむやいみみのみこと)に遡ります。

神八井耳命は、阿蘇氏の祖とされ、その子孫たちは九州の地で繁栄し、意富氏や火氏、大分氏といった同族と共に歴史のページを紡ぎました。

太田亮の説によれば、神武天皇が近畿地方に本拠を移した後、九州を神八井耳命に委ね、その子孫たちが各地で勢力を築いた結果であると言われています。

九州の地に根付いた阿蘇氏は、速瓶玉命(はやみたまのみこと)を始祖とする伝承を持ちます。

この速瓶玉命は、崇神天皇の時代に初代阿蘇国造として任じられ、その名が歴史に刻まれました。

速瓶玉命と妃・神雨宮媛命(かむさめひめのみこと)を祀る国造神社は、阿蘇氏の精神的な礎を今日に伝える存在です。

また、景行天皇の九州巡幸の際には、阿蘇都彦(健磐龍命)と阿蘇都媛が出迎えたという記録が残されております。

古墳時代には、阿蘇谷の東北部を中心に勢力を築いた阿蘇氏

その遺跡として中通古墳群が存在し、彼らの存在を物語る貴重な証拠となっています。

時代が進むにつれ、宣化天皇の元年には阿蘇仍君が飢饉対策のため派遣され、河内国茨田郡の屯倉から穀物を運ぶ任務を担ったことが『日本書紀』に記されているのです。

大化の改新後、阿蘇氏の歴史は一時的に断絶が見られるものの、再びその名が輝きを取り戻すことになります。

平安時代には、惟宣(これのぶ)を中心に武士団を形成し、阿蘇近辺を支配する存在となりました。

惟宣の孫・惟泰(これやす)は源氏方として治承・寿永の乱に参戦し、その功績により「阿蘇」の姓を賜り、一族としての名を確立します。

やがて鎌倉時代には、阿蘇社領が北条氏の管理下に置かれることで、幕府との関係を深める一方、惟次(これつぐ)が大宮司として補任されるなど、一族の力が増していきました。

その最盛期は南阿蘇から拠点を移した矢部郷(現・熊本県山都町)における「浜の館」時代であり、菊池氏や相良氏と並び熊本を代表する豪族として名を馳せます。

歴史の中で阿蘇氏が象徴するのは、単なる権力の象徴ではなく、神代からの伝統と文化を守り続ける不屈の精神でありました。

現代においても、その名は阿蘇神社を通じて語り継がれ、神々と人々のつながりを象徴する存在として存在感を放っています。

こうした歴史を知ることで、私たちは阿蘇の地に息づく時間の流れと、その背後に広がる壮大な物語に思いを馳せることができるのです。

いにしえの物語を胸に、阿蘇の地を訪れれば、風が運ぶ神話のささやきと、遥かなる祖先の息遣いを感じることができるでしょう。

それこそが、阿蘇氏の歴史を知る者に与えられた特権であり、祝福ではないでしょうか。

Webライター

華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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