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「株には手を出すな!」の発想からの株式投資

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

「株は危ないから、手を出すな」という古い家訓も、どこかの名家には、まだ有効なものとして伝承されてはいないでしょうか。これは、株は投機だという教えです。一方で、株式を使った資金調達は、産業金融に不可欠なものですし、株式投資は、社会的責任を負う機関投資家にとって、当たり前のものです。さて、株式は、投資対象なのか、投機対象なのか。

投資対象になり得ない株式の銘柄もある

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もっとも、正確にいえば、株式は投資か投機か、という問いのたて方は正しくない。そうではなくて、株式が投機の対象ではなくて、投資の対象になるための条件は何か、という問いを突き詰める必要があるということです。冷静に考えてみて、株式という名前ならば、全てが投資対象になるとは、誰も考えないでしょう。投機とみなされても仕方がない株式の銘柄もあり得るはずです。

いい例が東京電力です。誰がどうみても、東京電力の経営は、正常な状態にありません。巨額な、正確に見積もることすらできないほど巨額な、原子力損害賠償債務を負い、政府からの支援により債務履行をしている状況です。この政府支援額は、全額を弁済することになっているので、東京電力は、事実上、巨額な債務超過になっているのです。

しかしながら、東京電力の株式は、実質的な国有化後も、東京証券取引所に上場されています。ゆえに、株価指数の算出にも含まれています。なぜ上場が維持されたのかというと、東京電力は、事実上の債務超過ではあっても、法律上の債務超過ではないなど、東京証券取引所の上場廃止基準には、形式的に抵触していないからです。

東京証券取引所は、いうまでもなく、東京電力の株式の価値を判定する機関ではありませんから、上場維持基準が形式的に守られている限り、上場継続を認めるほかありません。上場企業であれば、東京証券取引所株価指数の算出にも自動的に含まれる。指数に含まれれば、指数連動の運用における投資対象になる。ゆえに、東京電力の株式は、立派な投資対象になる。そういう理屈ですが、さて、おかしくはないでしょうか。

投資対象を決めるのは、哲学であり良識

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東京電力の株式の価値を合理的に測定することは、おそらくは、不可能です。賠償債務の見積もりが不可能ですし、政治的に東京電力の処理がどうなるかも不透明です。はたして、現状の東京電力の株式がまともな投資対象といえるかどうかは、大いに疑問です。しかし、投機の対象としては、依然として時価総額が大きく取引量も多いのですから、それは面白いでしょうけれども。

東京電力の株式が投資対象か投機対象かは、客観的には決め得ないことです。まさに、投資の哲学の問題であり、社会的責任、人間の良識、さらには品位品格の問題でありましょう。私の哲学では、東京電力の株式は投機です。

一方、東京電力は、時価総額の大きな上場企業であり、株価指数にもそれなりの比重を占めるものである以上、立派な投資対象だという意見もあるでしょう。そのような見解を否定はしませんが、投資対象の価値判断に立脚すべき資産運用の古い王道とは、かなり異なる考え方です。

市場にあるものは全て投資対象だというのは、もともと、投資対象が先にあって、その市場が形成されたことからすると、かなり技巧的な考え方です。投資対象としての価値を失ったものは即座に市場から消え去るはずだから、市場にとどまっている以上、それは投資価値を保有し続けているのだ、という思考方法は、理念としての市場原理主義ですが、到底、現実の市場の姿とはいえないでしょう。

私はいいたい、東京電力の株式には手を出すなと。そして、投資対象の合理的価値判断が成立し得る条件について、その基準を厳格にしていけば、東京電力以外にも、手を出してはいけない銘柄がたくさんあるだろうと考えています。

もはや、原子力発電は投資対象ではない

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具体例をあげれば、原子力発電所をもつ電力会社の全てについて、将来の事業価値を測定することが困難になっています。原子力政策の将来についての政治的不確実性のもとでは、原子力発電施設の価値の測定すらできません。全損も含めた大きな減損の可能性を視野に入れる必要があるかもしれません。場合によっては、そうした可能性を考慮すれば、原子力発電所をもつ電力会社は、実質的な債務超過かもしれません。

総括原価方式の適用も、全く不透明になっています。燃料費等の上昇に伴う費用増、原子力安全基準強化による費用増なども、完全には電気料金へ転嫁できそうにないようです。さらには、これまでの電気事業法体制自体についても、抜本的な改革が政治的に決まっている一方で、その改正の具体的な内容については、漠然たる方向性以外、何もわかっていません。

さて、こうした状況下で、これら電力会社の株式の価値を合理的に評価できるかというと、それは不可能でしょう。全ては、政治が決めることなのですから。将来の政治の結果については、投機的予測は可能でも、経済合理的に評価することはできないと思われます。

私は、原子力発電所をもつ電力会社の全てについて、その株式には手を出すな、といいたい。

事業の不確実性の管理可能性

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事業には不確実性がつきものですが、その不確実性の合理的な測定ができないときは、投資対象にはなりにくい。一方で、大きな不確実性のもとでは、思惑で株価変動しやすいから、投機としては、面白い。これが、投資と投機の本質的な差です

投資が投機と区別されるためには、投資対象にまつわる不確実なものを、合理的な方法で測定できるかが鍵なのですが、その前提として、不確実性が、何らかの方法により、管理可能性のもとにおかれていることが必要です。測定可能性よりも、管理可能性のほうが重要でしょう。管理できているから、測定できるのですし、逆に、測定できなければ、できないなりの管理方法がなければならないからです。

例えば、原子力発電所の事故の可能性(最高度の安全基準のもとでも、不慮の事故の可能性は完全には排除できない)と損害額の見積もりなどは、測定不能な不確実性の代表例でしょう。ゆえに、法律によって政府の最終責任を定めておく必要があり、それが、我が国の場合、「原子力損害の賠償に関する法律」であったわけです。

今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故に関して、政府による法律の適用が正当なものであったかどうかについて、私には強い主張がありますが、曲がりなりにも、東京電力が存続し、損害賠償の履行ができているのは、この法律の手当てによるものです。

原子力損害の不確実性については、測定は不能でも、法律により政府支援の仕組みを作ることで、管理可能にしてあったのです。そのような前提でのみ、東京電力をはじめとする原子力発電をもつ電力会社の株式が上場され、立派な投資対象として機能してきたのですが、その前提の仕組みが今回の事故で揺らいでしまえば、投資対象でなくなるのは、当然といえば当然です。

企業金融の理論と株式の機能

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そもそも、企業金融の仕組みでは、株式は、予測できない不確実性を吸収するための安全弁として機能しています。安全弁がないと融資等の金融の仕組みが成り立たない。そこに株式の社会的機能があり、その機能が株式を投資対象にしている側面は否定できません。

株式による資金調達部分は、自己資本と呼ばれ、融資や社債による資金調達部分は、他人資本と呼ばれます。十分な自己資本の厚みがなければ、他人資本による調達はできません。その意味で、株式には、企業金融の全体的な構成のなかで、重要な意味があるわけです。しかし、そのことからは、直ちに株式の投資価値は出てきません。株式が債権者のための単なる担保のようなものでは、投資価値はないでしょう。

ここに、株式投資を考える上での一番重要な論点があります。つまり、株式は、融資や社債等の債権に劣後しているということ、即ち、不利な立場にあるということが、議論の出発点でなければならないのです。どうして、不利なものに投資できるのか。

株式というのは、事業が抱える不確実性を最初に吸収してしまうものです。東京電力についていえば、株価は、事故前と比較して、十分の一になってしまっており、大きく価値が損なわれました。しかしながら、社債については、確かに価格の下落はありましたが、利払いも償還も正常に行われていて、投資家の実損害はありません。融資については、時価評価もありませんし、債権区分においても正常債権にとどまっているわけで、銀行等の債権者には全く損害はありません。

この極端な差が、株式の基本性格です。事業には不確実性がつきものですが、それを株式が吸収しているので、融資や社債等の債権は、投資価値を失わないのです。つまり、債権に不確実性が及ぼす影響を、株式が制御しているので、投資価値が安定するわけです。一方、債権の価値が動かない分、株式のほうには、不確実性が増幅されたかたちで直撃するのですから、非常に危険な立場になるのです。東京電力の場合には、この差が顕著に出ています。

不利な立場にある株式が投資価値をもつ条件

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不利な立場にある株式が投資価値をもつためには、第一に、事業に関する不確実性が適切に管理下に置かれていることが必要です。これには、三つの意味があります。

一つには、事業政策において、経営者の適時適切なる判断によって、測定可能な不確実性が危険へと転化する事態を回避できていること。二つには、測定不能な不確実性が、制度的に管理下にあるか、経営能力的に管理下にあるか、いずれにしても、その所在が認識されて、適切な対応がとられていること。三つには、財務政策において、過大な債務の負担が小さな危険を増幅させて株式価値を危機にさらす可能性が回避されていること。この三つは、経営能力の問題です。株式投資においては、経営者の能力の判定が決定的に重要だといわれるのは、このことの意味です。

第二に、不確実性とは、正負の両方向を含むのですから、負の方向へ転じたときの損失の危険を意味するだけではなく、正の方向に転じて大きな利潤を生む可能性をも意味するということです。つまり、不確実だからこそ利益機会もあるのだという常識的なことです。それにしても、大きな利益の出ている、あるいは出そうな会社の株式に投資しようとすることは、これはもう、投資の基本ですよね。

不確実という意味での予定外の利益が、有利な外部環境等に恵まれただけの幸運にすぎないのか、経営能力によって、不確実な環境において、商機を確実にとらえたことに起因するのかは、これは、外見からは区別できません。まさに、不確実なのですから。それでも、投資の意図としては、利益が、経営能力や事業の仕組みの問題として、構造的に、つまり再現可能な状態で、生まれているような企業を選別しようとすることは、当然ですね。この意味でも、経営者が決め手なのです。

株式投資の基本理念と投資技術

では、具体的に、どのような属性を備えた銘柄が投資対象になるのかというと、馬鹿馬鹿しいことをいうようですが、優れた経営者が、優れた事業を、優れた財務内容で、経営している会社の株式になるのでしょう。馬鹿げたようですが、やはり、株式投資の基本理念は、ここへ行きつくしかないのです。なぜなら、投資の技法は、また別ものであって、技術的な論点は、この基本から始まるからです。

投資技法的には、優れた財務内容とはいっても、自己資本比率の高い会社は資本効率が悪いのだし、優れた事業が確立してしまうと、経営者の安住が生じて変革に弱くなるでしょうし、優れた経営者は、属人性が高いかもしれないわけです。それに、なによりも、こうした会社の株式は、割高になりやすいでしょう。こうした矛盾を解くのが、具体的な投資の技術です。

しかし、本稿は、投資の技術論を目的としておらず、株式投資の基本理念を語れば済むのですから、これで終わりにします。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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