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追悼 日本代表GK&主将だった田口光久さん

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
1982年キリンカップでの日本代表。強面だった田口さん(写真:山田真市/アフロ)

 Aキャップ59を誇る元日本代表GKで、同キャプテンも務めた田口光久さんが12日に呼吸不全で永眠した。

 私と田口光久さんのお付き合いがスタートしたのは、5年ほど前のことだ。ある有名ラーメン店が後継者問題に揺れており、<本家>を主張する両派それぞれの店でラーメンを食べ比べる、という企画が某週刊誌で立ち上がった。私はそれを担当した。

 現役時代は強面で鳴らした田口さんだが、引退後は『とんねるずの生でダラダラいかせて』に出演し、ラーメン好きを公言されていたので、思い切ってお願いしてみた。正直に述べるが、ダメ元のオファーだった。

 しかし、田口さんは「何でも出会いだと思っているので」と快諾して下さった。

 その後、"本業"であるサッカーのコメントを頂くようになった。本コーナーでもこんな具合でご協力を仰いだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20180404-00083531/

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20170912-00075458/

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20161116-00064463/

 お酒の好きな方で、よく飲んだが、2018年2月の誕生日を機に「俺、酒やめたんだ」とポツリ。同年の初夏にお会いした時、痩せたなと感じたが、快活な喋りは健在だった。

 

撮影:著者 最後にお目にかかったのは2018年6月6日だった
撮影:著者 最後にお目にかかったのは2018年6月6日だった

 田口さんのサッカーボールとの出会いは、近所に住んでいた少し年上の友に誘われて。彼のシュート練習にGKとして付き合わされていたら、そのまま本職になったと笑っていた。高校時代に頭角を表し、「秋田商業に田口あり」と全国区のプレーヤーになる。大学進学が内定していたが、「母子家庭だったから、母親に苦労かけられないと思った」と、卒業後は三菱重工サッカー部に入る。当時、三菱のゴールマウスは、メキシコ戦士(1968メキシコ五輪同メダリスト)である横山謙三元日本代表監督が守っていたが、その座を奪い、長く日本代表GKとしても活躍した。

 「謙三さんの控えだった時期は悔しくてね。俺は何でも口にするタイプだったから、1年目の終わりくらいに『何で使ってもらえないんですか?』って聞きに行ったんだよ。言葉にするってことはさ、それ相応のことをやらなきゃいけない。チームメイトとの戦いがあるんだから」

 そう語った田口さんの言葉には矜持が籠っていた。

 「日本のサッカー、もっともっと成長して、もっともっと盛り上がってほしいよね」

 いつだか寿司屋のカウンターで肩を並べた折に発した田口さんの声が、耳に残っている。

 享年64。どうぞ安らかにお眠り下さい。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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