【今日の蔦屋重三郎】大河ドラマ「べらぼう」の時代考証者が語る「蔦重と鬼平」
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の放送が今日から始まった。この記事では本作の時代考証をつとめる私が、物語の時代背景や風俗について毎回解説していくので、一年間よろしくお付き合いください。
「鬼平」突然の登場
本作は「江戸のメディア王」といわれた蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)を主人公とした物語であるが、第1話「ありがた山の寒がらす」では、いきなり長谷川平蔵宣以(のぶため)が登場して、視聴者を驚かせたことだろう。
長谷川平蔵宣以はいうまでもなく、のちに幕府の火付盗賊改をつとめて活躍した人物だ。作家池波正太郎の小説では、「鬼の平蔵」と呼ばれる辣腕をふるい、『鬼平犯科帳』という作品タイトルでよく知られている。
そんな「鬼平」こと長谷川平蔵は、若い頃に放蕩の限りを尽くし、銕三郎(てつさぶろう)という当時の名から「本所の鐵(てつ)」と呼ばれていたと伝えられる。そのことは、「京兆府尹記事(けいちょうふいんきじ)」という史料に次のように出ている。
「この人、度量が大きく小事にこだわらない性格だったため、父が倹約してたくわえた金銀も使い果たし、遊里へ通いそのうえ悪友と行動を共にして不相応のことをいたし、遊興に通じた大通といわれる者となった。その屋敷は本所二つ目にあったので、本所の鐵と仇名された、いわゆる不良だった」(意訳)
かなりの放蕩者だったことがうかがえる史料だが、そんな平蔵も28歳の時に父親が没したことで、ついに長谷川家の家督を継ぐことになる。
蔦重との出会い
平蔵の父親は、長谷川平蔵宣雄(のぶお)という名でまぎらわしいが、やはり火付盗賊改として、明和9年(1772)に起きた目黒行人坂の大火の放火犯を捕らえる大手柄を立てた人物だった。
行人坂の大火とは、「べらぼう」第1話の冒頭で蔦屋重三郎が花魁花の井たちを連れて逃げたあの火事である。その犯人を捕らえたのであるから、宣雄の評価は大いに高まり、同年のうちに京都西町奉行に出世栄進した。
ところが翌年、あろうことか宣雄は京都で在任中に病にかかり没してしまう。それで急遽、長男の銕三郎が平蔵宣以と称して家督を継いだのだった。
「べらぼう」では蔦屋重三郎が吉原遊郭で平蔵宣以と出会った際、悪友たちが「このたび長谷川家のご当主になられたんだからな、頭が高えんだよ!」と威張っており、ちょうどその時期であることがわかる。
安永2年(1773)のこの時、28歳の平蔵に対して蔦重は24歳。同じ時代を生きた二人が出会う劇的なシーンが第1話から描かれたわけだが、残念ながらこれは事実ではない。蔦重と平蔵が顔を合わせた記録は、歴史上には一切残っていないのだ。
ただ、平蔵は家督を継いだとはいえ、まだ放蕩時代の気分を引きずっていてもおかしくない時期ではある。当主になって金まわりがよくなり、吉原に悪友を連れて繰り出しても不自然ではない。そんな時、吉原の引手茶屋で働いていた蔦重との出会いがあったことは、十分にありうる話といっていいのである。
蔦屋重三郎をめぐる人間群像劇でもある「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」――。2025年は、そんな「べらぼう」の世界にどっぷり染まっていただきたいと思う。