甘利氏の「説明責任」は不起訴処分で否定されるものではない ~注目される衆院選神奈川13区
岸田文雄氏が新総裁に就任し、10月1日に発足した自民党新体制で幹事長に就任したのは、「政治とカネ」問題、あっせん利得罪の嫌疑を受けて、説明責任を果たしていないと批判されてきた甘利明氏だった。
同月3日の記事【問われる「甘利幹事長」の説明責任、なぜ「特捜OB弁護士名」を明らかにしないのか】では、5年前に、週刊文春で疑惑が報じられて以降の経過、甘利氏の対応、あっせん利得罪の成否に関する問題点、刑事事件の捜査経過・処分の経過などを、改めて振り返り、自民党の政治資金、政党助成金等の配分権限を有する幹事長に就任した甘利氏が説明責任を問われていることを指摘した。
立憲民主党・共産党・国民民主党の野党3党は、「甘利幹事長あっせん利得疑惑追及チーム」を発足させ、上記記事で私が指摘する、甘利氏の問題について調査を担当した弁護士の氏名、調査報告書を明らかにするよう公開質問状を送付したが(10月5日【第1回公開ヒアリング】)、甘利氏側の回答は「私自身が事実関係を把握するために元検事の弁護士に第三者的立場から客観な調査を行わせたもので、公表を前提にしていない」として回答を拒否したとのことだ(10月6日【第2回公開ヒアリング】)。
甘利氏側は、幹事長会見やテレビ出演等で、「説明責任は果たした。検察が不起訴処分にしたことで既に決着している」として説明責任を否定する姿勢をとり続けている。
この問題は、企業不祥事などについての「組織の説明責任」ではなく、「個人の説明責任」の問題である。そもそも、「説明責任」は、どのような立場の人物について、どのような問題について生じるものなのか、「説明責任を果たす」とは、どういうことなのか、説明責任は刑事責任の存否やそれについての検察の起訴不起訴の処分とどういう関係にあるのか、「第三者の弁護士による調査」というのは、どういう意味を持ち、どのように扱われるものなのか。
これらの点について、根本的に考えて直してみる必要がある。
個人の説明責任とはどういうものなのか
「個人の説明責任」は、社会的影響力のある地位に就き、権限を有する人物が、政治家であれば有権者たる国民から、企業経営者であればステークホルダーから、その地位・立場にあることに疑問を持たれるような事象が明らかになった時に、その疑問を解消するために十分な説明を行い、理解・納得を得ることについての責任である。その説明責任が果たせず、批判に堪えられなくなった時には、「辞任」に追い込まれることになる。
内閣総理大臣(首相)は、行政の最高意思決定者として、行政全般にわたり強大な権限を有し、国民生活に対して重大な影響を生じさせる地位であることは言うまでもない。森友・加計学園問題、桜を見る会問題などの様々な疑惑で説明責任を問われながら、「突然の辞任表明」に至るまで、それを果たしていないと批判されてきたのが安倍晋三元首相である。
企業経営者も、企業不祥事が表面化した際、不祥事自体やその対応について経営者としての説明責任が問われるほか、経営者自身の個人的な非違行為についても説明責任を問われ辞任に追い込まれることもある。個人的問題であっても、その事業活動が国民生活や経済に大きな影響を及ぼす大企業であれば、非違行為について説明責任を果たせない人物が経営者の地位にとどまることにより、当該企業自体が、消費者・取引先等のステークホルダーからの信頼を失うからである。
与党自民党の幹事長の甘利氏にとって、URをめぐる「あっせん利得疑惑」についての「説明責任」についても同様のことが言える。「政党内の人事の問題なので、外部から批判される筋合いはない」というような声もあるが、論外だ。自民党の政治資金のみならず、国民の税金を原資とする170億円に及ぶ政党助成金の配分の権限を握る与党自民党の幹事長がどういう人物なのかは、国民にとっても重大な関心事だ。しかも、総理大臣となる与党自民党総裁が国会議員・党員による「選挙」で選出されるのと異なり、自民党幹事長は、総裁が「指名」するだけであり、民主的な手続を経て選出されたものではない。その権限の適正な行使を期待できる人物か否かに疑念が生じた場合は、説明責任を果たすことが求められるのは当然だ。
説明責任と刑事責任の一般的関係
甘利氏は、URをめぐる「あっせん利得疑惑」について刑事事件が不起訴で終わっていることを、説明責任を否定する理由にしている。しかし、【前記記事】でも述べたように、検察の不起訴処分というのは、公訴権を独占する検察官が、収集した証拠に基づき有罪判決が確実に得られるかどうかを検討した結果、その権限の行使には至らなかったということに過ぎない。政治家或いは当該政治家の事務所の行為が違法ではなかったことが明らかにされたわけではないのである。一般的に、不起訴処分は「説明責任」を否定する理由とはならない。
企業不祥事の例で言えば、ある企業で「品質データの偽装」が問題となり、「企業ぐるみの偽装」だとして経営者が告発され、捜査の対象とされたが、末端で行われていた行為で、経営者には認識がなかったとして不起訴になったという場合、刑事責任は問われないとしても、「品質データ偽装」問題がそれで決着するわけではない。企業として第三者委員会を設置するなどして事実解明を行い、ステークホルダーの信頼を回復することが必要となる場合も多い。この場合、刑事責任が問われないことは「説明責任」の否定にはつながらない。
政治家の例でいえば、安倍元首相にとっての「桜を見る会」問題が典型例だといえる。本来、各界で功労・功績があった人達を慰労することを目的としている公的行事であるのに、安倍後援会関係者が開場時刻前に何台ものバスで乗り付けて、ふんだんな飲食やお土産までふるまわれるなど、安倍後援会側の意向で「地元有権者歓待行事」と化し、公的行事が私物化されていたことがまず問題となり、それに加えて、安倍氏側が、その前日にホテルで開かれた夕食会で自ら費用を負担して選挙区内の有権者に利益供与をした公選法違反の疑いが生じた。
それに対する安倍首相の説明を、私は「詰んでいる」としたが(【「桜を見る会」前夜祭、安倍首相説明の「詰み」を盤面解説】)、それは、安倍首相が、政治資金規正法、公選法との関係で、「違法ではない」と説明しようとして苦しい言い逃れを重ねた末に、窮地に陥り、どうにも説明がつかない状況に追い込まれていた状況を表現したものだった。
しかし、「違法ではない」との説明が困難だからといって、必ずしも、安倍氏自身が違法行為あるいは犯罪に関与したとして刑事責任を追及されることになるわけではない。政治資金規正法違反・公選法違反で刑事責任を問うためには、それについて、特定の個人の行為と犯意が証拠によって立証されることが必要だ。
安倍氏が首相を辞任した後、検察捜査により、安倍首相の国会答弁が虚偽だったことが明らかになり、安倍氏の「説明責任」がさらに厳しく問われることになった。一方で、刑事責任については、秘書が政治資金規正法違反で起訴されただけで、安倍氏については不起訴となり、検察審査会で「不起訴不当」の議決が出され、検察が再捜査を行っているが、仮に、安倍氏自身が不起訴で終わったとしても、「説明責任」という面で、重大な問題があったことに変わりはない。
この問題については、刑事責任の問題は、問題全体の中の一部に過ぎない。刑事責任が問われないからと言って「説明責任」が否定されるわけではないのである。
甘利氏についての「説明責任」と刑事責任
では、甘利氏の問題では、刑事責任が問われないことで説明責任が否定されると言えるのか。
背景にあるのは、国会議員や秘書による行政庁等への「口利き」の問題だ。
行政庁等に不当な影響力を及ぼし、依頼者の個人的利益を図り、国会議員等も利益を図る行為が社会的批判を浴びたことから、そのような行為を処罰するために、2000年に議員立法で成立したのが「あっせん利得処罰法」だ。
しかし、国会議員等の政治家が、支持者・支援者等の国民から依頼され、裁量の範囲内の行政行為について行政庁等に働きかけて依頼に応えようとすることは、国民の声・要望を行政行為に反映させるための政治活動として必要なものでもある。
そこで、あっせん利得処罰法では、そのような政治活動全般を委縮させることがないよう、あっせんの対象を、「行政処分」と「契約」に関するものに限定し、国会議員等が「権限に基づく影響力を行使」した場合に処罰の対象を限定することで、「二重の絞り」をかけ、看過できない重大な事案だけが処罰の対象とした。
しかしそれは、そのように極めて狭い範囲に限定された「処罰の対象」に当たらない場合には何も問題がないことを意味するものではない。当該行為によって行政が捻じ曲げられ、国会議員や秘書の側が利益を得た事実はあるが、犯罪には該当しないこともあり得る。その場合は、「不当な口利き」への批判に対して、政治家としての説明責任が問われることになる。
甘利氏の問題については、秘書が、依頼者とURとの補償交渉に介入したこと、秘書と甘利氏本人が現金を受領した事実があったことが客観的に明らかになっている。
補償は「補償契約」によって決着するので、「契約」に関する「あっせん」であることは明らかである。また、「国会議員の権限に基づく影響力」についても、現職閣僚で有力な与党議員であるうえ、2008年に麻生内閣で行革担当大臣に就任した甘利氏は、2012年に自民党が政権に復帰して以降、組織の在り方や理事長の同意人事など、URをめぐる問題が与党内で議論される場合には相当大きな発言力を持っていたものと考えられ、「議員としての影響力の行使」も十分可能な立場だったといえる。
そういう意味で、甘利氏をめぐる問題は、二重の絞りがかけられ、ストライクゾーンが狭く設定されたあっせん利得処罰法の処罰の対象の、まさに「ど真ん中のストライクに近い事案」であった。
しかし、そのような事案であっても、甘利氏や秘書が、あっせん利得処罰法によって起訴され処罰されるためには、多くの立証上のハードルをクリアしなければならない。とりわけ問題になるのは、「議員としての影響力の行使」だ。それが可能な立場であっても、実際に「行使した証拠」がなければ、あっせん利得罪は立証できない。また、実際にUR側との交渉を行っていたのは秘書なので、秘書から、「交渉の事実を甘利氏に報告していた」との供述が得られなければ、甘利氏本人についての犯罪は立証できない。
一般的には検察の不起訴処分の理由は公表されないが、この件については、検察審査会が公表した「不起訴不当」を含む議決書を入手することができた。少なくとも、検察の一回目の不起訴の理由は推察することができ、議決書では、その不起訴が不当であることについて、具体的な事実に基づき、かなり踏み込んだ判断が示されている。
検察審査会「不起訴不当」議決の内容
あっせんの対象とされた案件には、
・2013年5月に、A社側の依頼を受けた甘利事務所が介入した後に、同年8月に約2億2000万円の補償金が支払われた案件(Ⅰ案件)と、
・URの工事によってS社所有の土地のコンクリートに亀裂が入ったことに関して、A社がURに産廃処理費用として数十億円の補償を要求した案件(Ⅱ案件)の二つがあった。
いずれも、当初の検察官の秘書についての不起訴理由は、「権限に基づく影響力」を「行使した」と認める証拠が十分ではないというものだったようだ。しかし、検察審査会は、
《あっせん利得処罰法違反における「その権限に基づく影響力を行使」したと認められるためには、あっせんを受けた公務員等の判断に影響を与えるような態様でのあっせんであれば足りる。当該議員の立場や地位、口利きや働きかけの態様や背景その他の個別具体的事案における事情によっては、公務員等の判断に影響を与えるような態様の行為と認め得る》
との前提に立って、両案件について検討している。
Ⅰ案件については、D秘書が、事前の約束もなしに独立行政法人C本社を訪れてその職員と面談して、本件補償交渉に関する内容証明郵便への対応を確認したことを重視し、
《D秘書は、衆議院議員で、有力な国務大臣の一人である被疑者甘利の秘書であるからこそ、応接室に通され、独立行政法人C本社の職員らと面談し、前記の確認をできたとみるのが自然》
《そういった行動が独立行政法人Cの判断に影響を与え得るものと判断しているからと考えるのが自然》
《独立行政法人C本社職員がわざわざ自らの業務時間を割いて、D秘書を面談し、補償交渉1に関する説明をしたのも、それをしないと不利益を受けるおそれがあるからと判断したとみるのが自然》
などとして、「権限に基づく影響力を行使」したと認める余地があると判断し
《検察官の判断は、納得できるものではなく、改めて捜査が必要であり、不当である》
としている。
また、Ⅱ案件についても、
《Bが継続して相談していたのはA社と独立行政法人Cとの道路建設工事の実施に伴う損傷修復等に関する補償交渉であること、多額の現金供与に経済的に見合う事柄は補償交渉2であることを考慮すると、この継続する現金供与の主要な目的は、A社と独立行政法人Cとの補償交渉2に関し、被疑者清島や被疑者鈴木においてあっせん行為をすることの報酬、謝礼であるとみるのが自然である》
《(Ⅰ案件の)補償金額が増額したことの対価としてBから被疑者清島に対し500万円もの現金が渡されたことも踏まえると、Bが、A社と独立行政法人Cとの補償交渉2について、甘利事務所によって独立行政法人C担当者の判断に影響を与えるような働きかけを求めていたことは容易に認めることができる。》
《被疑者Hも、Bにおいて、(Ⅰ案件と)同様に、甘利事務所による働きかけによってA社が主張する額の補償金が支払われるようあっせんすることを求めていることを知っていたからこそ、その対価として多数回に渡り現金の供与を受けていたと認めるのが自然である。》
として、受領した金銭等が、補償金の支払のあっせんの対価であったことの認識を認め、
《検察官の判断は、納得できるものではなく、改めて捜査が必要であり、不当である》
とした。
いずれにせよ、甘利氏のURをめぐるあっせん利得疑惑は、刑事事件の不起訴も、市民の代表である検察審査員の多くが納得できるものではなかった。この不起訴不当議決を受けて検察は再捜査し、再度不起訴にしたものの、まさに紙一重の判断であったと言える。「国会議員の権限に基づく影響力」を有すること、しかも、少なくとも秘書が受領した現金が、あっせんの報酬であったことは議決書で認められており、まさに、悪質な「口利き」であることは否定できない。甘利氏の政治家としての説明責任が否定されるものではないことは明らかだ。
第三者の弁護士による調査
そこで問題になるのが、甘利氏が言うところの「第三者の弁護士による調査」と説明責任の関係だ。
政治家個人について何らかの問題が表面化し、説明責任を問われた場合、事実関係を明らかにして説明することが求められる。そのためには、事実関係を調査することが必要となる。その説明内容が合理的で信用できるものでなければ、国民の納得が得られない。そこで、当事者の政治家本人に代わって、第三者の弁護士に調査を依頼するという方法が用いられることがある。
企業不祥事によって失墜してしまった社会的信頼を回復するため、企業等から独立した委員のみをもって構成され、事実関係を調査し原因を分析し、再発防止策等を提言するのが、「第三者委員会」であり、多くの企業不祥事で、日弁連の第三者委員会ガイドラインに準拠した形で設置されてきた。この場合、委員の構成、調査報告書を公表することは必要不可欠となる。
政治家個人が自らの問題について第三者の弁護士に調査を依頼した場合、弁護士名、報告書の公表が必須とまでは言えない。甘利氏が幹事長就任後に言っているように、弁護士調査は本人が事実を把握するためのもので、その結果は政治家本人が説明するというのも、それ自体が否定されるわけではない。
しかし、この問題は、甘利氏本人が説明するだけで済むものではない。特に問題なのは、甘利氏が自身も現金を受領したことを認めているものの、秘書とURとの交渉については全く認識しておらず、週刊文春の記事は「寝耳に水」だったと述べていることだ。その経緯について、週刊文春の記事では、依頼者は、
と証言したとされており、秘書とURとの交渉の録音記録にも
との秘書の発言が残っている。第三者の弁護士による調査が行われたのであれば、甘利氏への報告の有無・内容について秘書から聴取しているはずであり、その際、秘書とUR側との会話内容や週刊文春記事での依頼者の証言も参考にされているはずだ。
このような場合に、当事者である甘利氏が自らに有利な結論を述べただけでは、そのまま受け入れることができないのは当然だ。弁護士調査の結果に基づいて、秘書がどのように供述しているのかを示すことが不可欠だと言える。
しかも、「調査を担当した第三者の弁護士」について、甘利氏は、「特捜OBの弁護士」であると述べ、単なる弁護士以上の「信頼性」「真相解明能力」を強調している。そうであれば、その「特捜OB弁護士」というのが誰であるかを明らかにしなければ、そのレッテルに偽りがあるかどうかを判断できない。
「説明責任を果たす」とはどういうことなのか
以上述べたとおり、URをめぐるあっせん利得疑惑について、自民党幹事長に就任した甘利氏には、重大な説明責任があることは否定できないし、これまでの甘利氏の対応で説明責任を果たしているとは到底言えない。
では、甘利氏にとって、「説明責任を果たす」とは具体的にどういうことなのか。
それは、疑問を持たれていることについて、合理的で納得できる説明を行うことである。弁護士名や報告書を公表するのが最も端的な方法だ。それができない事情があるとすれば、考えられるのは、第一に、「特捜OBの弁護士」が行った十分な内容の調査報告書が存在するが、公表について弁護士の了解が得られない、という「弁護士の了解」の問題、第二に、調査をまともに行っていない、或いは、一応調査はやったが公表に堪えうる内容ではない、という「調査の内容」の問題である。
第一だとすると、調査報告書自体は公表しなくても、その内容を公表するなり、甘利氏自らが詳細に説明することはできる。十分な内容の調査報告書が存在するのであれば、そこには、そもそも、どのような経緯で、甘利事務所の秘書が依頼者側からURとの補償交渉を依頼されたのか、そのような依頼者を、なぜ、大臣室で甘利氏と会わせることになったのか、大臣室で現金を受領した際のやり取り、その後の現金の処理、URとの交渉についての甘利氏への報告の有無などについて、秘書の供述内容が具体的に記載されているはずだ。それについて、調査報告書の内容を、甘利氏が自ら説明すればよいのである。それが、甘利氏にとって「説明責任を果たす」ということである。
そのような、調査報告書に当然記載されているはずの事項について甘利氏が説明できないとすると、弁護士名・調査報告書を公表できない理由は上記第二だと判断されることになる。第二の理由だとすると、甘利氏は、説明責任を果たすことは不可能だということであり、自ら非を認めない限り、説明責任から逃げ続けるしかない。それが、自民党幹事長にあるまじき行動であることは明らかだ。
野党の「疑惑追及チーム」による「説明責任」追及の限界
甘利氏が自民党幹事長に就任したことを受け、疑惑追及のために急遽設置された、「甘利幹事長あっせん利得疑惑追及チーム」は、連日のように国会内で、関係省庁、URの担当者等を呼んでヒアリングを行い、その中で、甘利氏への公開質問状への回答内容を紹介したりしている。しかし、このような野党側の追及で甘利氏に説明責任を果たさせることができるかと言えば、ほとんど期待できないと言わざるを得ない。
最大の問題は、甘利氏の説明責任がいかなる根拠で生じているのか、「説明責任を果たす」というのがどういうことなのかということが理解されないまま、かなり的外れな質問が繰り返されていることである。
私は、2016年1月21日発売の週刊文春が、当時、経済財政担当大臣だった甘利氏のUR都市機構の土地売却への「口利き」をめぐる金銭授受疑惑を最初に報じた際、同誌の取材に、「あっせん利得罪が成立する可能性がある」とコメントし、それ以降、甘利氏の疑惑追及の中心となってきた。野党側の甘利氏の疑惑追及にも全面協力してきた。
これまでであれば、野党が甘利氏の疑惑追及を行うのであれば、法律面や、事実認定上の問題等について、まず私に助言を求めてくるはずだが、今回は、それは全くない。その一方で、疑惑追及チームのヒアリングの場では、私の名前や、「あっせん利得処罰法の処罰の対象の、まさにど真ん中のストライク」という5年前の私の発言を勝手に引用したり、私が指摘していることを「受け売り」したりしている。
そのヒアリングの内容を確認したが、率直に言って、残念としか言いようがない。
本件の問題の当時、甘利氏は経済再生担当大臣だったのに、「行革担当大臣」という過去の地位と取り違えたり、甘利氏が幹事長として判断すべき事項に関連づけて「参院選での自民党本部から河井夫妻への1億5000万円の資金提供」の問題も取り上げているが、「買収の共謀」と「買収目的交付罪」との区別もつかないまま、「決裁権者が買収の共犯に該当する可能性」について法務省担当者に執拗に質問して困惑させている。
なぜ、私に連絡をとらないのか、それは、疑惑追及チームの中心になっている立憲民主党が、8月に行われた横浜市長選挙で当選した山中竹春氏について「説明責任を全く果たしていない」として、私から批判されているからだ(【横浜市長選、山中候補の説明責任「無視」の立憲民主党に、安倍・菅政権を批判する資格があるのか】)。山中氏が市長選挙で当選し、市長に就任して以降も、私が選挙期間中から指摘していた問題はますます深刻化し、横浜市大の理事長・学長への不当要求問題、強要未遂事件の告発受理、経歴詐称問題に関する決定的な事実の報道などが続いているが、相変わらず、山中氏は質問にまともに答えない姿勢を続けており、立憲民主党側も、何ら対応している気配はない。
他党の政治家の説明責任を追及するのであれば、まず自ら「説明責任を果たす」ということを実践すべきであろう。
甘利氏「説明責任」は衆院神奈川13区有権者に対して果たすべき
前記のとおり、自民党幹事長は、党の政治資金、政党助成金の配分の権限を握る重要なポストだが、選挙によって選任されるわけではない。甘利氏が、唯一、選挙の洗礼を受ける場は、目前に迫った衆議院神奈川13区の小選挙区選挙だけだ。
自民党幹事長に就任した後も、「説明責任を果たした」と言い続けている甘利氏が、このまま何事もなく衆議院選挙を乗りきることができれば、それによって、甘利氏のこれまでの対応について、選挙を通して国民の了解が得られたことになる。それは、第二次安倍政権から長年にわたって続く、説明責任軽視、虚言で批判を交わす政治が、岸田政権下においても継続することを意味する。
甘利氏の「説明責任」への対応如何で「NO!」を突き付けることができるのは、衆院神奈川13区の有権者だ。大和市・海老名市・座間市・綾瀬市の人たちは、今後の日本の政治を左右する重責を担っている。