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うるう年で月給や労働時間は得か損か。戸籍と年齢計算の違いや法令の根拠がなぜ「神武天皇」か

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
改めて注目(写真:イメージマート)

 今月は4年に1度「2月29日」がある「うるう年」。年366日となるわけで月給制で働いている者は果たして得か損をするのか。

 気にならない方も「2月29日」を探究すると自身に関係する労働法や就業規則、所定労働日など身近な決まりを再認識するきっかけになります。「年齢計算ニ関スル法律」と出生届に添付する出生証明書の年月日の違いもわかるのです。

 うるう年を置く理由が太陽暦と地球の公転周期と生じるずれの修正であるのは知られていますが、法令上の「閏年ニ関スル件」には昨日の「建国記念の日」で根拠とされる初代「神武天皇」が登場。その背景を探ると歴史上の面白さもあります。

労働基準法だと労働日は1日増える

 月給制で働いていて、うるう日が加わるとどうなるのかという疑問への基本的な解釈は、労働基準法(労基法)32条

・1項 使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない

・2項 使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。

から導き出されます。同法は使用者が絶対に守らなければいけない最低限のルールなので。

 務め先が法通り「1日8時間」としたら週の労働時間は上限40時間÷8時間=5日。「週」は暦週(日曜日から土曜日の7日)で計算するので、365日÷7日=52.14…週と割と簡単に計算できるのです。

 この前提で年間の労働日がわかります。52.14…週×5日=260.7…日。休日は105日。

 同じようにうるう年を計算すると366日÷7日×5日=261.4…日。つまり今年の労働日は1日多い勘定となるのです。休日105日は変わりません。

就業規則で年間の所定労働日数が決まっていたら休日が増える

 ただしこれらは法律の上限での話。実際には労基法が常時10人以上の労働者を使用する使用者に作成と労働基準監督署へ届け出を義務づける就業規則に法の範囲内に収まる「所定労働日数」を示しているはずです。定めていないと有給休暇を何日取るかといった設定が極めて難しくなるなど弊害が大きい。労働者の過半数で組織する労働組合または過半数を代表する者の意見を聴かなければなりません。

 まずは年間の所定労働日数が決まっているかどうか就業規則を確認します。ここが固定されていたら、うるう年の休みが1日多くなるはずです。

 決まっていない場合でも毎月の平均所定労働日ないしは時間を定めている場合もほぼ同じです。法定上限の260日勤務ならば×8時間÷12カ月で173.3……時間。実際には多くて170時間とするケースが目立ちます。するとうるう日を加えたら端数がオーバーするはず。

年間所定休日の決め方

 こうした定めがなくて年間所定労働日数を出すならばカレンダー(うるう年だと366日)から「所定休日」を引けばいい。結果を12カ月で割れば月平均がわかります。

 労基法は「始業及び終業の時刻」を「絶対的必要記載事項」としていて、ここで1日の労働時間を確認。他方、休日について法は35条で「毎週少くとも一回」「与えなければならない」とするのみ。単純計算で52日(週の数と同一)です。

 でも52休だと32条の上限「1日8時間・週40時間」を大幅に下回ってしまいます。そこで「始業及び終業の時刻」を短くしたり、維持したまま休日を増やしたりして両立を図るのです。それが年間の所定休日として就業規則で設定されます。

自分の「月給制」は「日給月給制」か「月給日給制」か

 ここまでは「月給制」を中心に論じてきました。これが日給制ならばうるう日に働いた分だけ多くもらえるはず。ただし自分が働く職場の「月給制」とは何かを意外と知らない方も多いので注意が必要です。

 月給制とは労基法が賃金の支払い方法として定める「毎月一回以上」の「毎月1回」がイメージされます。労働時間を単位とした定額制です。上記のように「労働時間」を決めているから欠勤しようが遅刻・早退しようが定額が払われるのが「完全月給制」。「うちは引かれる」で働いていたら実は「日給月給制」か「月給日給制」です。

日給月給とは1日単位で給料が計算され、月1回まとめて支払われます。実は「欠勤分が引かれる」のでなく「日給×出勤日」で月給が決まってるのです。だとしたら、うるう日に働けば日給制と同じく多めにもらえます。

月給日給は月にもらえる額こそ固定されていても欠勤などの働かない分(所定休日を除く)がそこから引かれる制度です。ただし手当は一定。

「年齢」は誰でも誕生前日が満了する前日午後12時

 うるう年が「1年365日」だと地球の公転周期と生じるずれを、4年に1度、1日増やして修正しているのは知られた話です。

 よく聞かれる「2月29日生まれの人の誕生日は?」は1902年に作られた「年齢計算ニ関スル法律」に準拠します。「年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス」と。誕生前日が満了する28日午後12時(=24時)が「その瞬間」。別に2月29日生まれだけでなく誰もが適用されているのです。

 ただ戸籍住民票は「2月29日生まれ」と生年月日が正確に反映されます。出生届自体は14日以内ですが、必ず添付する出生証明書を記入する医師や助産師が厳密に年月日を計るためです。自宅分娩などのケースだと子の父母などが記入するので若干の違いが生じる余地はあります。

「神武天皇即位」とグレゴリオ暦の平仄合わせ

 日本のうるう年がいつかを定めるのは1898年に勅令(天皇の命令。当時は法律と同等)として出された「閏年ニ関スル件」。冒頭から「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除……」と初代天皇から起算するとあって少々ビックリ。

 もっとも、この法令は明治新政府が「神武創業の始にもとづき」(王政復古の大号令)から始まっている建て前を尊重したから。神武天皇の即位は『日本書紀』に「辛酉年(かのととり)」と60年で1周する干支で示されるのみ。ただ『日本書紀』は2代天皇以降の即位年を記していて、それらを忠実に西暦へ反映したら紀元前660年となります。

 「閏年ニ関スル件」は、この紀元前660年をまず引いて西暦0年に一致させ、現行通り4年に1度をうるう年として100 で割り切れるれる年は28日まで、うち400 で割り切れる年のみをうるう年としたのです。当時も今も普遍的に用いられる太陽暦(グレゴリオ暦)の「400年間に97回をうるう年とする」に平仄を合わせています。

 ちなみに660年も4で割り切れるからいいじゃないかという言説も当時あったようです。ただ、そんな昔に「400年間に97回」が適用されていたというのは苦しい。ことが在位に関わる内容だけに天皇大権たる勅令で定めました。

「100 で割り切れるれる年の2月は28日まで」に気づいた「1900年」直前

 この件には前段が。明治に入るまで日本の暦は月の満ち欠けを基準に、一部太陽暦を交えた太陰太陽暦(旧暦)を用いていたのですが、これだと太陽暦より早く進行してしまいます。基本方針の「五箇条の誓文」で智識(文明)を世界に求めての国家発展をうたった新政府はグローバルスタンダードのグレゴリオ暦採用を決めて1972年12月2日で旧暦を止めて翌3日を太陽暦73年1月1日とする「改暦ノ布告」を出しました。

 それはそれで大混乱したのですが、今回は省略。新政府は発足当初お金が全然なくて旧暦のままだと翌年「うるう月」(年13カ月)に当たるため、月給の支払いを減らしたかった思惑だけは本稿に関わる内容なので付記しておきます。

 問題は「改暦ノ布告」時点で前述の100 で割り切れるれる年の2月は28日までというルールを織り込んでいなかったところです。その年である「1900年」が近づいてハッと気づき、ギリギリの1898年に「閏年ニ関スル件」を出して間に合わせました。

 近年では西暦2000年が400で割り切れる年であったため平年(28日まで)でした。次の100で割り切れる年は2100年。ずいぶんと先です。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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