外国人技能実習生の問題を切り口に、異国で働く人間の孤独な魂を描く。 日中の新鋭が語る
近浦啓監督の長編デビュー作となる『コンプリシティ/優しい共犯』は、北米最大の映画祭、<トロント国際映画祭>でワールド・プレミア上映されると、釜山、ベルリンと世界で重要視される国際映画祭に正式出品を果たした1作だ。
近年、これだけ世界の名だたる映画祭を渡り歩いた日本の新人監督のインディペンデント映画はあまり記憶にない。
世界で反響を得たことを物語るように、作品は現実世界を鋭く見据える社会性をおびた内容である一方で、人々の心をとらえる映画のエンターテインメント性も備え、そうとうな強度を持つ。出会ってほしい日本映画と素直に思える。いや、正確には日本と中国の合作映画になる。
偶然だが必然のような出会い
手掛けた近浦監督と、主演を務めた中国の俳優、ルー・ユーライはまず出会いをこう振り返る。
近浦「僕の親友で中国人の映画作家、フー・ウェイが、今回の作品の話をしたとき、一緒にプロデュースをするといってくれて、最終的に共同プロデューサーを務めてくれることになりました。そのとき、彼が『中国シーンの撮影の出資も含め、キャストのオーディションも主導してくれると』と申し出てくれたんです。
それで主演のオーディションとなったとき、いくつか候補を出してくれたひとりの俳優がユーライでした。
面談したのは北京のホテル。10名程度の役者を僕が日本に帰る飛行機の時間までギリギリまでやっていたのですが、ほんとうに最後に会ったのが彼でした。そこで彼をみた瞬間、もう心は決まったというか。『彼しかいない』と思ったんです。
一通りの面談が終わったときには、彼に提案をしました。『1年先に長編の撮影するから、その前にまずスピンオフ的な短編の脚本を書くので、それで一緒に作ってみないか』と。で、実際に1カ月後ぐらいに、彼を東京に呼んで『SIGNATURE』という短編を撮りました」
ユーライ「僕自身はオーディションで監督と話すだけだと思っていたので、短編映画の話と、長編の話まで切り出されたときは、びっくりしましたね。正直、驚きましたけど、とてもありがたいと思いました」
近浦「そうだと思います(苦笑)。でも、会って彼の目を見て、もう自分が思い描いていた登場人物にぴたっとはまっている。イノセンスそのままでノスタルジックな雰囲気もあって、『もう彼しかいない』と。だから、その場で試しに短編を一緒に作ってみようという話しをしてしまいました。
そのあとですけど、実際に『SIGNATURE』を作るという段階になったとき、僕が好きな短編を彼に見せようと思いました。その中で選んだ1つが、カンヌ国際映画祭の60周年記念のために世界各国の著名監督たちが映画館をテーマに作ったオムニバス『それぞれのシネマ』に入っている、チャン・イーモウ監督の『映画をみる』でした。
すると彼が『僕はこれに出ているよ』といった。いまとなっては失礼だったと思いますが、当時はユーライの経歴とかまったく知らなかった。だから、『うそでしょ』みたいな対応をしてしまったんですけど、彼は『役者としてデビューした直後に出演した』と。
そのときに、『映画をみる』に登場する準主役の若い青年の顔と、目の前にいるユーライの顔が重なった。自分は無意識の中で、この役には『映画をみる』の青年のような人物を求めていて、だからユーライに会った瞬間『彼だ』と感じたんだなと思いましたね」
こうした偶然のような必然の出会いを経た二人はまず短編『SIGNATURE』に挑む。いきなり長編ではなくまず短編から始めた理由をこう明かす。
近浦「その段階ですでに長編の脚本の第一稿は出来上がっていました。その後、脚本のブラッシュアップはしましたけど、だいたいの青写真は出来上がっていました。だから、すぐに取り掛かることも可能といえば可能でしたが、僕にとって日本人以外の人と一緒に作品を作ることは初めてのことで。
通常のとき、僕と彼は英語でコミュニケーションするんですけど、細かいところはやはり通訳を入れないと意思疎通ができない。文化も違いますしから、いきなりリハーサルもしないで長編にいくのは、僕にとっても彼にとってもあまり得策ではないのではないかと思ったんです。それで、まずは小手調べじゃないですけど、お互いにコミュニケーションをとって互いを知る上でも、まず短編から始めるのがいいんじゃないかなと思ったんですよね」
ユーライ「僕としても日本の撮影がどういう形で進められていくかなど、わからないことだらけ。ですから、まず短編というのは非常にありがたかったです。
そして『SIGNATURE』が非常にいいかたちで撮影ができた。この経験が『コンプリシティ/優しい共犯』に挑むにあたっての大きな自信になったことは確かです」
外国人技能実習生を題材にしたのは狙ったわけじゃない
そのユーライが演じるのは、技能実習生として来日したものの、劣悪な職場環境から逃げ出した中国人の青年、チャン・リャン。不法滞在者となった彼は、リュウ・ウェイという他人に成りすまし、蕎麦屋で働き始める。作品は、異国の地で働くことになった若者が直面する厳しい現実と孤独を見つめていく。
日本で外国人労働者の問題がさかんに報じられるようになったのはここ2年ぐらいのこと。そういう意味で、この主題はタイムリー。だが、先述した通り、近浦監督はほぼほぼの脚本を2016年にすでに書き上げている。
近浦「技能実習生の問題が報道されるようになったは確か2018年ぐらい。法改正などもあって、政権に対する批判も集まっていた。
その直後、中国国内でもそのことがよく報道されるようになりました。ですけど、そのとき、僕らはすでに撮影を終えて1年が経とうとしていました。
だから、『タイムリーな公開になりましたね』とよくいわれますが、狙ったわけではないです。
自分の作る作品は、あくまでも個人に根差しているのだけれど、なにかしらの普遍性、ユニバーサルなものであってほしいと思っています。そう考えたとき、その物語の向こうに社会がしっかりと結びついていないといけない。
ですから、映画監督、映画作家としては今、社会で何が起きているのかに関しては常に興味を持つようにという意識はあります。
たとえば10年前、5年前と比べて、いま何が変わったんだろうとか、そのことをドメスティックな視点だけではなくて、世界の中での日本という視点で物事を見るようにしている。
その中で、この技能実習生の問題はかなり早くから僕は興味を持っていました。僕自身は、2014年ぐらいから、これはどうなのかと思っていた。
直接的に興味をもったのは2014年の冬ぐらいに、ベトナム人の技能実習生が研究機関で除草効果を測定するために飼っていたヤギを殺して食べたというニュースです。これは僕にとっては強烈なニュースで、なんで少しのお金があれば肉を食べられるのに、なぜ殺して食べたのかなと。
殺して食べるということは人間の非常にプリミティブな行動だと思います。そして、殺して食べた彼は『おなかが空いていたから』と非常にシンプルでこれもプリミティブな理由を明かしている。この事実を前にしたとき、『日本にいる技能実習生たちになにが起こっているのか』と思って、取材を始めました。
ただ、決してその問題を映画の中でどうにかしようという思いで撮っていません。それについて告発や言及したいわけではない。
『タクシードライバー』のような映画というか。『タクシードライバー』は、ベトナム戦争が終結後のアメリカの社会の闇や帰還兵の心の闇のようなものが物語の背景にある。でも、それがテーマではない。あくまでもトラヴィスという男の物語。でも、彼を見ることによって、何かしらこの時代の社会の問題や闇が後ろに見えてくる。そういう映画になればなと思いました」
ユーライ「僕自身は、この技能実習生の問題はあまり知りませんでした。ただ、似たようなテーマに関する作品をいくつかみたことがありました。
その中でも、中国で大反響があったドキュメンタリーがあったんですけど、それは20年にわたって日本で働く中年男性の話で。彼は家族をサポートするために中国には帰れなくて、ひとりで離れて働いていて、家族にまったく会えない。それで、アメリカに娘が留学することになって、20年ぶりに空港で娘に会うといったような内容でした。
正確には技能実習生の話ではないのですが、中国人で日本で働いているところは共通する。そういったことも踏まえながら、自分なりにこういう現実について調べていきました」
このチャン・リャンの存在は、技能実習生という枠組みを超え、異国で労働することの過酷さや難しさを浮かびあがらせる。
近浦「これはかつての日本人も経験している。ブラジルに移住した時代がありましたし、アメリカに移住した時代もあった。さまざまな岐路に立たされて自国以外に移住する選択肢を取る人々がいる。ホームタウンを離れざるえない事情もあります。
チャン・リャンはこうした状況を背負った人間ですから、とても難しい役だったと思います」
ユーライ「チャン・リャンと僕の重なるところはあまりないかもしれない。ただ、技能実習生ではないですが、実は中国の若者たちにも似ている状況があると思いました。
いま、中国でも地元には働く場所がなくて、新天地でいちから働く状況が当たり前にあります。若い人たちを取り巻く状況は、昔とかなりかわっていて、変化が求められる。そこは共通するところがあるのではないかと思いました。
あと、撮影のときのわたしが置かれた状況というのも、チャン・リャンとつながるところがあるのではないかと思いました。わたし自身もはじめて日本にきて、はじめての環境の中で、しかも異国の地で撮影に挑むことになる。共演するのも藤竜也さんをはじめ、初めての方ばかりです。これも、チャン・リャンと重なるのではないかと思いました。そういうひとつひとつをつなげていって、役に反映させていったところがあります」
近浦「もうひとつ加えると、日本シーンで彼のセリフはものすごく少ない。そのセリフが少ない中で、かつ自分の国の言葉じゃない言葉をしゃべることで、説得力があるキャラクターを作っていかなくてはならない。それも難しかったと思います。
ただ、今、彼がいったように、彼自身が撮影現場で置かれているシチューエーションがある種の『ストレンジャー』で。そういったところをうまく重ねてくれたんじゃないかなと思いますね。現場で彼に演技に関して何か、もっとこうしてくれ、ああしてくれって言ったことはほとんどなかった。それは方向性を共有できていたからだと思います」
名優、藤竜也とのかけがえのない時間
そうした過酷な状況に置かれたチャン・リャンにときに厳しく接して仕事を教える一方で、言葉や国の壁を越えて理解を示すのが、蕎麦屋の店主、宏。その宏は、藤竜也が演じている。
藤竜也の存在は、近浦監督にとってもルー・ユーライにとっても特別だったという。
ユーライ「実は大学で映画を学んでいるとき、藤さんが出演している映画を何度もみていました。藤さんの演技はとてもすばらしく、わたしの中で特別な俳優のひとりとして心にきざまれていました。
ですから、今回、藤さんとご一緒できることはうれしいと同時に、自分にとっては信じられない気持ちでいっぱいでした。
憧れの存在であり、尊敬する俳優でもありましたから、はじめは緊張していたんですけど、藤さんはとてもナチュラルでジェントル。一般の人と撮影するときも、気さくに接して、その場の雰囲気をいい方向へ導いていってくれる。なので、自分としてはなにも不安はなかったですね」
近浦「僕の中で、俳優・藤竜也は特別な存在です。唯一無二の存在だと思っています。
実質的な僕の映画デビュー作である短編『Empty House』にも出演していただいたのですが、僕にとって特別な時間でした。
藤さんは映画俳優。1960年代の日活の時代から一貫して日本の映画の文化を作ってきた方だと思っています。もちろん、ほかにもそうした存在の俳優さんはいますが、僕にとってはほかに類似しない存在が藤さんです。
実際に一緒に作品を作ってみて、その気持ちはさらに増しました。また、海外の映画祭に作品が選ばれて上映されたときに、藤さんが出演していることに対して、多くの人から感激の言葉をいただきました。そのとき、その存在の大きさを改めて実感したというか。世界の映画文化に根付いている存在と感じました。
そのような恩恵を、僕たち日本人監督は受けているんじゃないかなと思います。日本映画の歴史と文化を世界に伝えてくれた日本映画の先人たちに改めて感謝しました」
世界を視野にいれた二人の今後
長編デビュー作にして世界で反響を得た近浦監督。一方、ルー・ユーライも国際派俳優として活躍の場を拡げながら、昨年発表した長編監督デビュー作が高い評価を得、監督としても脚光を浴びる。すでに世界を見据えた活躍を体現しているように思える二人には、これからさらなる飛躍が期待される。果たして、二人は今後、どんなビジョンを描いているのだろう?
近浦「映画の作家でありたい。また、インディペンデントな存在の作家でありたいと思っています。作品の規模の大きさとは関係なく、クリエイティブ、ビジネスの両面においてある程度の独立性を確保していきながら映画を作っていきたい。
そうあり続けるため、生き延びていくためには、国内資本のみによる製作で、国内市場だけをターゲットにすることでは、それなりの規模の作家映画を撮り続けることは難しいと思っています。ですから、日本だけではなく、ほかの国でも受け入れてくれる可能性を模索していきたいと思います。
極端にハイブロウな作家主義的な作品は、観ることのは好きなのですが、僕自身が作っていきたいものとは違います。映画芸術の一端を成すような作品でありながら、同時に大衆性も持てるような映画を追求していきたい。それがこれからの自分のチャレンジだと思っています。
ユーライ「映画は、いろいろな人間のさまざまな人生をみせてくれる。それこそが映画のすばらしさだと僕は思っています。なので、自分は監督としても、俳優としても、そういう作品に関わりたいと思っています。人の心を動かすような作品にひとつでも多く携わり、俳優としても監督としても表現できていけたらと思っています」
世界から注目されるアジアの才人である二人が今後、どのような挑戦をするのか期待したい。
『コンプリシティ/優しい共犯』
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