国民民主党を離党し、新党を立ち上げようとする前原誠司氏の“罪と罰”
新党名は「教育無償化を実現する会」
国民民主党の前原誠司代表代行が11月30日、同党の嘉田由紀子参議院議員や斎藤アレックス衆議院議員、鈴木敦衆議院議員とともに離党し、今年6月に立憲民主党を離脱した徳永久志衆議院議員を加えて新党を結成することを表明した。午後4時から国会内で会見を開き、新党名を「教育無償化を実現する会」とすることを公表。その顔には「ようやくここまでたどりついた」といった晴れ晴れ感が漂っていた。
実際のところ、その一報を耳にしても唐突感はほとんどなかった。むしろ、「前原氏は今までよく持ちこたえてきた」と、ある意味の感慨さえこみ上げた。「政党交付金目当ての新党結成」とか、「日本維新の会に合流したくても、比例復活議員は既存の政党には移動できないので、新党結成となった」などといった“ためにする批判”は、これまでの経緯を見ていないものだ。実際には昨年2月以降、前原氏はいつ国民民主党を離党してもおかしくはなかった。
国民民主党は2022年度予算案に賛成した。衆議院予算委員会で採決のあった2月21日、予算委員だった前原氏の代わりに質問に立ったのは、玉木代表だった。そして翌22日の衆院本会議で同予算案は可決されたが、前原氏は「腹痛」を理由に欠席した。「政府の方針を表す本予算に賛成したら、野党の意味がなくなる」と、後に前原氏は筆者に語っている。
「自民党に代わる政権担当能力のある政党」を目指したが……
よって11月24日に京都新聞が前原氏らの離党と新党結成を報じた時、前原氏が「補正予算の賛否を理由に、重大な政治決断をすることはありません」とSNSのX(旧Twitter)で否定したのも当然だ。政治家にはそれぞれの「美学」があり、前原氏はとりわけその拘りが強い。それは1993年の衆議院選で初当選以来、前原氏が抱き続けている「自民党に代わる政権担当能力のある政党を作る」ということに他ならない。
そしてその思いは30年たった今でも、実現しないままでいる。政治の表舞台に立つことが多かったが、不運が何度も重なった。前原氏はこれまで政党の代表に2度就任したが、いずれも足を引っ張られている。最初は2006年の永田メール事件で、2005年の衆議院選に自民党から出馬した堀江貴文氏から武部勤幹事長(当時)に金銭授受があったというメールを、永田寿康衆議院議員(当時)が国会で追及。しかしメールが偽物と判明して永田氏は議員辞職し、後に自殺。前原氏も代表を辞任した。
2度目は2017年9月に民進党代表に就任した時だ。前原氏は右腕たる幹事長に山尾(現在は菅野姓)志桜里氏を抜擢したが、週刊誌で不倫疑惑が書き立てられて党内は混乱に陥った。そのタイミングを狙ったかのように、安倍晋三首相(当時)が衆議院を解散し、前原氏は民進党の生き残りをかけて小池百合子東京都知事と希望の党を立ち上げたものの、結果的に党がバラバラになってしまった。
その反省を含めて今回の新党立ち上げは、「衆議院選が年内に行われないことを確認した」とのことだった。ただし前原氏にミスがなかったわけではない。ひとつは古巣に「仁義」を切らなかったことだろう。
党内ではコミュニケーションが欠如していた
前原氏は離党表明会見に先立ち、榛葉賀津也幹事長の事務所に離党届を提出しようとしたが、来客に対応中の榛葉氏に受理を拒否された。午後6時からの会見で、榛葉幹事長は「アポもなかった」と憤る。
そもそも玉木代表には、事前に一言もなかったのだ。京都新聞の拙速な報道を受けて、玉木代表は28日の会見で、「直接電話して聞いた。離党しないと言っていた」と述べたが、両者のコミュニケーションの欠如がうかがえる。
もっとも両者の意思疎通が十分ではなかったのは、今に始まったことではなく、昨年4月に勃発した参議院選での日本維新の会との相互推薦合意書問題でもそれが露呈している。国民民主党は京都選挙区では日本維新の会が公認する楠井祐子氏を推薦し、日本維新の会は静岡選挙区で国民民主党の推薦候補の山崎真之輔氏を推薦するというものだったが、問題はその他の箇所だった。
文面には「その前提として両党は、『身を切る改革』を実行し、その実現のために尽力する」と記載されていたが、これは国民民主党の了承を得ていなかった。また「政権交代を実現」との記載も、日本維新の会との“連立宣言”と受け取られかねず、「日本維新の会は地域によって支持を判断する」とする連合の意向に沿うものとはいえなかった。なおこれについては前原氏が「早計だった」と自らミスを認めることで事を収めたが、内心に忸怩たるものが残らなかったはずがない。
それを垣間見たのは、11月24日に開かれた国民民主党の代議士会だ。補正予算を可決する本会議で賛成討論に立つことになっていた斎藤アレックス氏が、玉木代表に促されて一言述べる間、同じテーブルの端っこに座った前原氏はずっとうつむいてペーパーを読んでいた。そこだけ異質な空間のように感じたのは、筆者だけではないはずだ。
前原氏のもうひとつのミスは、口止めすることなく事前に日本維新の会の馬場伸幸代表に離党を伝えていたことだ。馬場氏は前原氏の会見より早く、新党の名前を漏らしている。
「口は災いの元」というようにこれは完全なルール違反で、新たな出発をしようとしている前原氏らにとっても良くないことだ。何よりもぎりぎりまで彼らの離党を知らされなかった国民民主党には大きな屈辱になりかねない。
維新に合流は困難か
もっとも、これは両者の極めて親しい関係ゆえに生じたアクシデントだろうが、だからといって前原氏らが日本維新の会にすんなり合流できるとは限らない。もちろん日本維新の会は、京都で大きな影響力を持ち、2区で余裕で勝ち抜けられる前原氏には合流してほしいはずだが、小選挙区で勝てず比例復活した他のメンバーについてはどうか。2021年の衆議院選で日本維新の会は近畿ブロックで10議席を獲得したが、この時の惜敗率から見て徳永氏と斎藤氏は比例区で救済は可能だろう。しかし彼らにより当選圏から漏れる人たちは不満を抱くはずだ。ましてや日本維新の会にとっての次期衆議院選は、30議席増と大躍進した2021年より苦しいものになるという予想がある。
こうした現実は誰よりも前原氏らが自覚しているはずだ。それでもなお国民民主党を脱して新党を作ろうとしているのは、「自民党に代わる政権担当能力を有する政党を作りたい」という前原氏の夢の実現のために他ならない。果てしない夢を背負って、「教育無償化を実現する会」は船出しようとしている。いったん帆を上げた以上、引き返すことはもう許されない。