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【京都府長岡京市】危険な暑さ続く中、地下水100%の水道供給施設に涼を求める! ガラシャや秀吉の水?

HOTSUU地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 京都も連日、猛暑を超える猛暑が続いていますね。危険な暑さなんて言葉初めて聞きました。2022年8月2日には最高気温37.7度を記録したそうです。8月3日もまた37度を超える暑さでした。そんな中で、地下水100%の水道供給施設があると聞きつけ、探索に出かけました。

 元々、長岡京市は地下水脈の豊富なところとして知られます。サントリーの京都ビール工場などがあるのもそのためだとか。同市の上水道は、一般家庭には、地下水50%に京都府の水50%を足して消毒を施したブレンド水が供給されています。ただ100%の地下水を塩素などで消毒しただけの水道水が市内の3か所にだけ供給されています。

 1か所目は、勝竜寺城公園内にある水道供給施設で、2006年(平成18年)の12月に完成しました。歴史的な文献には登場しませんが、おそらく戦国から安土桃山時代に、細川ガラシャもこの地下水を飲んだであろうということから「ガラシャおもかげの水」と命名されました。

 2か所目は、2013年(平成25年12月21日)に、市の給水開始50周年と新駅開業を記念して、阪急西山天王山駅前広場に完成した施設です。こちらは、なんと、「秀吉(備中)大返し力水」と命名されています。なかなか大胆に名付けられていますね! 

 由来は、ご存じの通り、1582年(天正10年)6月、中国地方平定の最中、本能寺の変を知った羽柴(豊臣)秀吉が、備中高松城(現在の岡山県北区)からこの天王山周辺まで、約200キロメートルを大軍を率い、10日で大返しして、明智光秀を打ち破ったという逸話です。この時、秀吉軍の兵士たちもこの地域の地下水を飲んだであろうとのことですが、残念ながら歴史的文献には登場しません。

 ところで、 この中国大返しは、何故秀吉がわずか10日で帰ってこれたのか様々な論争があるようです。「密使をとらえたのも、決断の速さも出来過ぎているのでは」との疑問から、「秀吉は、変が起きるのを知っていたのでは」との説、いやいや、すでに姫路城を拠点にしていた秀吉にとって、「大返しのルートのインフラ整備は出来ていたので、たやすいことだった」という説。まあいろいろですね。

 3つ目の施設は、2014年(平成26年)7月14日に、阪急西山天王山駅前の調子馬ノ池公園内に完成しました。この施設もまた、給水50周年を記念し、(公財)長岡京水資源対策基金からの援助を受けて整備されました。調子八角には、西山から満々と水を湛える三角形の小さな池がありました。昭和30年代まで地元の生活用水だったようです。諸説がありますが、この池で小倉神社の祭りのさい稚児を乗せる馬を清めたと伝承されていることから、「馬ノ池の水」と命名されました。

 いずれの施設にも、ペットボトルなどを持って、水を汲む地元の人たちの姿が時折見られます。この日も、「馬の池の水」を汲みに来ていた親子連れのお母さんが「まろやかやし、ここの水でコーヒーを淹れると美味しいんですよ」と話されていました。現代の水道施設ですが、歴史ロマンを感じながら、美味しい水を飲むというのも一興でしょうか!

 「ガラシャおもかげの水」 長岡京市勝竜寺12(勝竜寺城公園内) 「秀吉(備中)大返し力水」 長岡京市友岡4丁目22 高速長岡京(阪急西山天王山駅東口改札前)「馬ノ池の水」 長岡京市調子2丁目1(阪急西山天王山駅前の調子馬ノ池公園内)

地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 「YAHOO!ニュース ベストエキスパート2024 地域クリエーター部門 特別賞」を受賞 京都をこよなく愛する地域ニュースサイト号外NETの京都市担当タウンクライヤ―です。四国から大阪の元地方紙記者。観光ガイドをしながら京都時空観光案内2024(観光ガイドのための京都案内マニュアル)全19巻や「やさぐれ坊主京を創る 前田玄以の生涯」(京都文学賞一次審査通過)はじめ、京都を題材にした小説なども執筆しています。

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