江戸時代の投資家「大梶七兵衛」が私財を投じた現代に残る遺産とは
生まれつきお金持ちで何不自由なく過ごしていた江戸時代の投資家・大梶七兵衛。
彼は、多額の私財を投じて出雲平野の開拓を行い、現代の出雲市の基礎を形成した人物です。
どうして、大梶七兵衛は私財を投じてまで出雲の開拓を進めたのでしょうか。
大梶七兵衛と言う人物
1621年、地主の家に生まれた大梶七兵衛。
生まれつき志が高く何事にも動じない性格で、優れた土木技術の持ち主でした。
そんな彼の悩みは、日本海に面した荒木浜一帯の砂丘と海から吹き付ける強い西風。
そして、降水量の少なさによる農作物への影響でした。
防風林の植林
作物の状況を見かねた大梶七兵衛は、まず防風林の設置に動きます。
日本海から吹く強風を利用した人工の砂山を築き、裏側に草を植えて苗木を固めていったのです。
この地道な作業を数年続けて10年が経ったころに、やっと防風林が完成しました。
水がないなら川を作ろう
さて、大梶七兵衛が次に取り掛かったのは水の問題です。
出雲は降水量の少ない干ばつ地帯で、用水路を通そうとしても、砂地が水を吸収してしまうのが課題でした。
そこで考えたのが、川床にむしろを敷いて、上から粘土で固めて水の吸収を抑えるというものでした。
結果は大成功。幅約6m・全長約8kmの「高瀬川」が完成したのです。
高瀬川は、底の浅い舟を活用した物流の活性化に貢献し、当時の交通も便利なものへと発展させました。
現代の出雲へ
大梶七兵衛はその後も出雲の発展のために、様々な事業をこなしました。
その痕跡は、現代の出雲平野の西部一帯にわたって当時の面影を残しています。