上手に借りる人が上手に運用するのだ
企業経営において、資金調達の費用と、調達資金で取得した資産等を稼働して得られる収益とを比較したとき、後者が大きいことは自明の前提です。これは家計についても同じで、適切なローンの利用は、生活の豊かさを増し、資産の取り崩しを回避させて安定的な資産形成に貢献するはずです。
不動産投資の原型
土地を保有している人にとって、融資を受ける等の方法で資金調達をし、そこに住宅を建てて賃貸に供することは、古くから根強い人気のある代表的な利殖方法であり、不動産投資の原型ともいえるものです。さらに一歩を進めて、土地を保有していない人にとっても、資金調達をして土地建物を取得して賃貸に供することは、豊かな手元資金があるなど、無理のない弁済計画を組める限り、普通で健全な不動産投資の方法です。
しかし、その延長として、融資残高を強引に伸ばそうとする銀行等の営業手法と結合し、不動産業者によって投資用物件の取得勧誘がなされるときは、弁済計画に無理のある融資が組まれやすく、不動産市況の小さな変動等に対しても弁済不能による破綻を生じて、投資家が損失を蒙ることもありますが、こうなれば、健全な投資というよりも危険な投機と呼ばれるべきです。
投資と投機の境目
借金して株式投資を行うことは少しも珍しくなく、信用取引として立派に制度化されていますが、多くの場合、信用取引は投資というよりも、投機に属することです。しかし、注意すべきは、不動産投資と同じことで、借金をして投資をすること自体が投機なのではなくて、投機性は借金の利用方法にあるわけで、弁済計画に無理がなければ、借金して株式投資しても、健全な投資であり得るばかりか、投資効率を高める優れた手法にすらなり得ます。
では、どのような借金の方法が投機的なのでしょうか。例えば、信用取引によって株式を買うとして、そのこと自体は、少ない元手で資金効率を高めて投資することですから特に問題なく、株価が下がって証拠金を追加しなければならない状況においても、手元資金に余裕があれば必要額を払い込めばいいだけのことですから、信用取引が危険な投機になるのは、手元資金に余裕がなく、追加証拠金を払えなくて強制手仕舞いに追い込まれるときだけなのです。
つまり、投機性の原因は、借金して投資すること自体ではなくて、借金の仕方、より具体的には、期限の利益を喪失する可能性なのです。なお、期限の利益の喪失とは、追加証拠金を払い込めない状況が典型なのですが、約定された義務を履行できないときに、満期の取り決めとは関係なく、即座に債務の弁済義務が発生することです。当然に、期限の利益を失えば、投資を清算するほかなく、そうした状況は、一般に、含み損失の発生しているときなので、損失確定が生じやすいわけです。
逆にいえば、期限の利益を失う可能性が排除されている限り、負債の利用は投資効率を高めるのですから、投資の技術も重要ですけれども、負債を上手に利用する技術も、それに劣らず、あるいは、それ以上に重要なのだということです。
企業経営の要諦
経済の基本原理として、企業経営においては、株主に対して負う資本利潤率よりも、負債の金利は必ず低くなります。逆に、この原理が成立していないのならば、企業経営は正常な軌道から外れた状況にあるわけです。故に、正常な状態のもとでは、負債の利用は必ず資本の稼働を効率化させて資本利潤率を高めますが、資本と負債の適正な比率の決定、いわゆる最適資本構成の問題は残ります。
即ち、負債比率を高めると資本利潤率は上昇しますが、過度に高めれば業績の小さな変化に対しても債務超過に転じる可能性を生じ、負債比率を低めれば財務安定性は増すものの、資本効率が悪化して資本利潤率の低下を招くので、資本稼働の効率性と財務の安定性との均衡点として、最適資本構成、即ち、資本と負債の最適な比率があるはずだということです。
故に、企業経営者には最適資本構成を維持すべき責務があるのですが、注意すべきは、資本の減少は、自社株買いや配当により経営の自由裁量で行い得て、負債の減少も、経営努力でなし得るのに対して、資本と負債の増加は、賛同してくれる出資者と債権者抜きにはなし得ず、その実行は経営環境に大きく依存していることです。例えば、株価が低迷していて、純資産倍率が一倍を下回る状況では、時価発行増資は困難なのです。
故に、資金調達の能力が企業経営を左右するのです。企業経営にとって、株価が高く維持されていて、株式の発行による有利な資金調達が常に可能であること、危機的状況、あるいは大きな変革期に際して、負債調達が困難なときにも、事業や資産の譲渡によって即座に資金調達できる、あるいは劣後等の仕組みによって資本性のある負債を調達できることなど、機動的な資金調達を行い得ることは、決定的に重要な要素なのであって、上手に資金調達できる企業が競争を制して勝利を手にするのです。
家計の最適資本構成
家計においても、理論的には、最適資本構成、即ち、保有総資産に対する適切な負債比率があるはずですが、その決定における最も重要な要素は住宅ローンなのであって、債務を負担して住宅を買うことについて、持ち家願望という心理的要因を排除して、純経済的に賃貸との比較優位を考えるとき、決定的論点は、住宅所有は一種の投資なのですから、その理論的な投資収益率はローンの金利を上回るのか、仮に上回るとしても、住宅よりも収益率の高い投資対象があるのではないかいう点に帰着します。
つまり、債務を負担しながら投資することについては、弁済計画に無理がない限り少しも問題ではないのですが、持ち家が適当な投資対象なのかという点については、よく考えられるべきです。いうまでもなく、借金して株式等に投資すべきだということではなく、例えば、賃貸を選択して、住宅ローンの頭金として用意した資金を投資信託等による長期資産形成に回すこととの比較優位について、十分に検討されるべきだということです。
負債の適時適切な利用
金融庁が推奨するように、老後の豊かな生活のための資産形成は若いころから始めたほうがいいのですし、あるいは、相続等により大きな資金を手にしたときも、当面の使途がないから預金ということではなく、当面の使途がないからこそ資産形成に投じたほうがいいわけですが、他方で、教育資金等の様々な家計の必要から一時的な資金需要が生じるわけで、それに応じて形成途上の資産を取り崩すのは極めて非効率であって、そこでは適宜適切に負債が利用されるべきです。
また、制度的な工夫も必要です。確定拠出企業年金、NISA、iDeCoなどの資産形成のための制度については、積立額の一定限度内において、資金の借り入れを行える仕組みが導入されるべきです。加えて、金融機関においては、顧客の真の利益のために資産形成事業の成長発展に努めるとともに、顧客資産の一定限度内において、利便性の高いローンの提供がなされるようにすべきです。
不利な条件でなら、誰でも借金できるでしょうが、有利な条件で資金調達することは簡単ではありません。企業経営において、競争力を規定する大きな要因は、資金が必要なときに、必要な金額を確実に最も有利な条件で調達できることであるように、家計においても、上手に借りられること、則ち、金融機関の立場からみたときに優良な顧客としての属性を備えていることは、極めて重要なことなのです。