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電波が飛び交った関門海峡、腸捻転とその解消の歴史

華盛頓Webライター
crdit:pixabay

1960年、テレビの全国ネットが広がっていくと、地方局はキー局とその関連の新聞社の系列に収まるようになりました。

しかし中には地域独特の事情もあって、地方局の出資資本と系列局が捻じれていたこともあったのです。

この記事では福岡・山口地方の放送局であった腸捻転と、その解消の歴史について紹介していきます。

電波が飛び交った関門海峡

1960年代、関門海峡を挟んで福岡県と山口県に広がる放送エリアは、まさに混沌の舞台でありました。

両県のテレビ局は、まるで複雑に絡み合った蔦のように、キー局とのネットワークを紡いでいました

日本テレビ(NNS)、TBS(JNN)、フジテレビ(FNS)、NETテレビ(現:テレビ朝日、ANN)、さらには東京12チャンネル(現:テレビ東京、TXN)などが、それぞれの影響力を誇示しつつ、福岡と山口の放送局に揺さぶりをかけていたのです。

両県ではネットチェンジが何度も行われ、まさに放送戦国時代を彷彿とさせる有様でありました。

福岡県では、RKB毎日放送(TBS系列)や九州朝日放送(KBC、当初はフジテレビとNETテレビのクロスネット)が覇権を競い合い、一方で、テレビ西日本(TNC)は日本テレビ系列として孤高の地位を築こうとしていました

山口県では、山口放送(KRY、日本テレビ系列)が福岡の放送局たちと手を結び、北九州市と下関市を含む関門地区で共に放送を行っていたのです。

この地区は、まるで海峡を跨ぐごとく、福岡と山口の放送が入り乱れ、独自の文化を築いていました。

当時、福岡県内でも福岡市と北九州市では異なるチャンネルが割り当てられており、RKB毎日放送と九州朝日放送は、それぞれTBS系列やフジテレビ系列の番組を主に放送していました

しかし関門地区では、テレビ西日本の日本テレビ系列が強い影響力を持ち、複雑なネットワークがさらなる混迷を招いていたのです。

山口放送は関門地区でも自前の放送を目指して免許取得を試みましたが、最終的には出資に留まり、徳山本局とは異なる独自の編成を組み立てていました。

1960年代も後半に差し掛かると、関門地区の放送ネットワークはさらに激しく変動しましたテレビ西日本は依然として日本テレビ系列に属し、九州朝日放送フジテレビとNETテレビのクロスネット体制を維持。

一方、山口放送下関に関門テレビ支局を設立し、これが徳山本局とは別の独自編成で番組を放送するという妙技を見せました。

この地域の電波規制と福岡の放送局との関係から、フジテレビとNETテレビの番組が多く放送されていたのです。

関門地区の放送は、福岡と山口が手を取り合い、電波の海を行き交う壮大な文化劇場となっていました

NETテレビ(現:テレビ朝日)の学校放送についても一悶着がありました。

当初は九州朝日放送が放送していたのですが、番組内容を巡って両者が対立し、ついには打ち切り学校放送はRKB毎日放送に引き継がれることとなりました

その後も、九州朝日放送はNETテレビの番組をこつこつと放送し続け、ついにはNETテレビのフルネット局となったのです。

この歴史が影響して、RKB毎日放送は今も民間放送教育協会(民教協)に加盟し、教育番組の制作や放送に携わっています

時は流れ、1970年代に入ると、ネットチェンジの嵐はようやく収まり、福岡と山口の放送ネットワークも整理されていきました

しかし、この海峡を跨いだ複雑なネットワークの歴史は、地域の放送文化に今なお深い影響を与え続けています

福岡と山口の放送局が現在でも「関門局」という名称を誇らしげに掲げているのも、この時代に刻まれた混迷の歴史を物語っているのです。

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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