「最後に売れたら、それでいい」。ゴミ清掃会社勤務の芸人「マシンガンズ」滝沢秀一を支える有吉弘行の言葉
8年前からゴミ清掃員の仕事を始めたお笑いコンビ「マシンガンズ」の滝沢秀一さん(44)。2018年には清掃員の日常を綴った著書「このゴミは収集できません」を上梓し、漫画などの関連書籍を含め10万部以上を売り上げるヒット作に。先月には新刊「やっぱり、このゴミは収集できません」を出しました。新型コロナウイルス禍における清掃員の現実。そして、自身を支える先輩芸人からの言葉。今の思いを赤裸々に吐露しました。
「ゴミはうそをつかない」
清掃員の仕事を始めて8年になるんですけど、仕事を始めたきっかけは妻の妊娠でした。出産するんでとにかくお金が要ると。ただ、当時からお笑いの仕事もあんまりなかったので、アルバイトをしてお金を作ろうとなったんです。
その時、僕が36歳。アルバイトの募集要項を見ると、年齢制限が「35歳まで」となっているものが多くて、アルバイトを探すにしても、これだけ見っかんないんだと愕然としていたら、友だちがゴミ清掃の仕事をやっていると。尋ねてみたら「全く問題なく大丈夫」とのことだったので、常勤で働くことになったんです。
最初は短期的なアルバイトのつもりだったんですけど、そこから3年くらい経っていて。自分の体感として「これは、芸人として売れねぇな…」と思ったんです(笑)。
周りは芸人としてどうやって売れるかを話している中、その輪に入れない自分がいる。だったら、もっと清掃員の仕事と向き合ってみよう。そう思って、ツイッターでゴミ清掃の“あるある”をつぶやくようにしてみたんです。“雨の後のダンボールはコンクリートのように重い”だとか。
そうしたら、事務所の先輩の有吉弘行さんがリツイートしてくれて。有吉さんが喜んでくれるんだったら、毎日つぶやいてみよう。そう思ったのがきっかけですね。それを続けていたら、白夜書房さんからツイッターのダイレクトメッセージで連絡をいただいて「本を出しませんか」と。なんというか、時代ですよね(笑)。
ま、実際の話、この仕事をしていると、いろいろなことを目の当たりにもします。会社のゴミも回収するんですけど、きちんと分別してない会社もあるんです。シュレッダーのゴミの中にビンや缶を入れてたり。これって、本当にナニな話なんですけど、そういう会社の多くは、ほどなく潰れてるんです。ゴミって、なかなか深いと思いますよ。その人、その団体の性質を表してるというか。ゴミはウソをつかない。
見えない恐怖
清掃員及びゴミ関連の仕事。そして芸人の仕事。この割合で言うと、10:0です(笑)。今、お話をさせてもらっているこの取材もゴミのことを話しているのでゴミ関連ととらえてるんですけど、今、純然たる芸人の仕事というのはね、ゼロです。週5日、朝からしっかり清掃員の仕事をして、残りの日にこういう取材や講演などをさせてもらっている感じです。
ま、コロナもあって、イベントもなかなかできないというのもありますけど、コロナがなかったとしても、ほぼほぼ芸人の仕事はゼロでしたけど(笑)。
でもね、コロナはゴミ清掃の仕事にとっては密接に関わってくる問題です。今もですけど、特に最初は恐怖でしかなかったですね。何も分からなかったですし、僕らもテレビで見るくらいの情報しか得られませんでしたから。
マスクを家に入れたくないから、ゴミ集積所に置いていく人が結構いたんですよ。もちろん仕事ですから、それもきっちりと拾わないといけない。一つ一つの作業が、正直、恐怖なんです。
あとは、労働時間が目に見えて長くなりました。というのはね、僕が管轄しているエリアで言うと、ゴミの量が倍近く増えましたから。
一つの要素は外出自粛です。ずっと家にいる。となると、必然的にゴミの量は増えますから。あとはね、断捨離。片づけゴミ。時間があるから、せっかくだからとたくさんの方がやってましたから。それこそ、普段では考えられない量でしたよ。
それと、感染者数が増えていく中、自宅療養の方もいらっしゃいますからね。同じゴミに見えても、もしかしたら、感染している人のおうちから出ているものかもしれない。これは絶対に見分けられないですし、ゴミとして出されている以上、しっかりと処理をするしかないんですけど、どこに何があるか分からない。見えないウイルスだからこその恐怖は正直、常にあります。
僕は家族もいますし、目からも感染するとも言われたので、防塵マスクにスキューバダイビングするようなゴーグルをつけて、防御するようになりました。
仕事仲間の中には、テレビを見ないという人もいました。テレビを見て情報を入れると怖くなるので、いっそのことテレビを見ないと。いったん怖がりだすと、仕事にならない。仕事ができないと生活できない。だったら、情報を入れない。すごいメンタルです。良い悪いではなく、それが現実でした。
「ありがとう」が増えた
あとね、これはとても言い方が難しい部分もありますけど、コロナによって、僕らの仕事の見られ方が変わりました。
端的に言っちゃうと、8年前はもっと見下されてました。言っても、僕は8年しかこの仕事をしてませんけど、そのずっと前から働いてきた年配の方々は、もっと、もっと、もっと、感じてきたことだと思います。ベテランの人たちの中には「オレらは人目についちゃいけない仕事だから」って口に出して言う人もいます。
そういった空気が、コロナ禍で変わってきたように思います。コロナ自体はもちろん大変なことだし、これも簡単には言いにくいことなんですけど、非日常になると、日常のありがたさが分かるというか。
この状況下で、ゴミが回収されなかったらどうなるのか。こんな中でも回収してくれてるのはありがたいことだ。そう思ってくださる人の割合が増えたというのは感じています。
これまで「ありがとう」と言ってくれるのはマンションの管理人さんくらいだったんです。でも、今は街中の人もけっこう言ってくれます。皮肉というか、思いもよらないというか、何がきっかけでどうなるか分からないものだなと。
8年やったくらいの僕が言うのはおこがましいんですけど、これまで積み重ねてきた先輩たちの苦労が報われたような気もしています。
先輩からの言葉
芸人の世界でも本当に先輩には恵まれていると思います。僕がずっと心に留めている言葉があるんですけど、それが有吉さんから言ってもらった「最後に売れたら、それでいい」というものです。
5年ほど前にお寿司屋さんに連れて行ってもらった時に、ふと、おっしゃったんです。特に、前後の会話の文脈に関係なく、いきなりその言葉をポンと言われて。
当時はゴミ清掃の仕事は始めてはいたけど、それを発信したりはない時期で、ツイッターでのつぶやきもやる前です。ただただ、生活費を得るために清掃の仕事をやって、でも、お笑いも辞めずにやっていて。その状況を見て、有吉さんが何かを思ってくださっていたのか、本当に唐突におっしゃったんです。
もし、日ごろから僕の何かを見ていてくださってのことならば、より一層ありがたいですし、もしくは、何も考えてなかったかもしれませんけど(笑)、どちらにしても、その言葉は大切に心に置いてあります。
そして「ダチョウ倶楽部」のリーダー、肥後(克広)さんから言われたこともありまして。それが「ヘラヘラして帰ってこい」ということでした。
芸人としてなんとかして売れようとする中で、例えば、奇をてらった赤メガネとかをかけて、キャッチーにしようとしたとしますよね。でも、それが当たらなかった。そして、やっぱり赤メガネを外そうとなった時、周りの芸人の目もある。照れくさい。バツも悪い。赤メガネをかけていたことをシレッとなかったことにしがちなんです。でも、そうじゃない。「赤メガネ、ウケると思ってやってみたんだけど、ダメだったよ」とヘラヘラ笑える人間になれと。
これを言っていただいたのは、ゴミ清掃の仕事を始めた頃ですかね。東高円寺にある居酒屋さんで飲んでる時に言ってもらって…。この言葉は芸のみならず、人生の指針として心に留めています。
ただ、この前、リーダーにこの話を言ったら、何一つ覚えてなかったんですけどね(笑)。「オレ、そんなこと言ったか?本当にオレだったか?」と。ま、もしかしたら、それも変形の“ヘラヘラ”だったのかもしれませんけど。
今回、本を出させてもらったのも、すごく大きな話をすれば、日本のゴミを少なくしたい。その思いがあるんです。ま、少しですけど、芸能もかじってますんで、そのあたりも使いながら、皆さんに少しでもゴミへの意識を持ってもらえたらなと。
芸人仲間で本を読んでくれた人間から「今まではそこまでゴミのことを考えてなかったけど、滝沢が回収してるんだったら、ちゃんと考える」と言ってくれたりするんです。隣のおじいさんの丹精込めて育てたキャベツをもらったら芯まで食べなきゃと思うみたいに(笑)、そこに人の顔が見えたら、少しでも意識するきっかけにはなるのかなと。
あと、今後の芸能の仕事で言うと、今は相棒(西堀亮)が俳優みたいなこともやっていて、僕は小説みたいなのを書いたりもしてるので、僕が脚本を書いて、彼が役者としてそこに出る。そんなことができたら面白いかなとは思っています。
ま、となると「マシンガンズ」として、もう2分の2でお笑いをやってるヤツは誰もいなくなるんですけどね(笑)。ただ、ま、形はどうであれ、最終的に皆さんに喜んでもらうことができればと。そう思っているんです。
(撮影・中西正男)
■滝沢秀一(たきざわ・しゅういち)
1976年9月14日生まれ。東京都出身。太田プロダクション所属。東京成徳大学在学中の98年、カルチャースクールで出会った西堀亮とお笑いコンビ「マシンガンズ」を結成。「THE MANZAI」で認定漫才師に選ばれるなどコンビとしての実績をあげつつも、2012年、ごみ収集会社で常勤を始める。14年に「かごめかごめ」(双葉社)で小説家デビュー。18年、エッセイ「このゴミは収集できません」(白夜書房)が話題となり、漫画「ゴミ清掃員の日常 ミライ編」(講談社)、絵本「ゴミはボクらのたからもの」(幻冬舎)なども出版される。今年9月には新刊「やっぱり、このゴミは収集できません」を上梓した。