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お腹の子どもが障害を持って生まれてくると知ったら…。妊娠を巡る実話を基に制作・主演し向き合った現実

斉藤貴志芸能ライター/編集者
『渇愛の果て、』より (C)野生児童

高校生の頃から「子どもが欲しい」と言い続けて、念願の妊娠。だが、出産が近づき、お腹の中の子どもは障害を抱えていることがわかって……。演劇プロデュースユニット「野生児童」を主宰する有田あんが脚本、監督、プロデュースに主演も務めた映画『渇愛の果て、』が本日公開された。友人の実話を基に妊娠・出産について取材を重ね、出生前診断や様々なカップルの本音など、きれいごとに止まらないリアルが織り込まれた。制作の過程で自らも妊活を始めた有田に聞いた。

世の中への違和感と演劇を融合させようと

――立命館大学時代、ストリートチルドレンと一緒に演劇をやろうとしていたそうですね。

有田 そういう夢を持っていただけですけど、きっかけは高校生の頃、『世界がもし100人の村だったら』をテレビで観て、ロシアのマンホールチルドレンの話をやっていたんですね。自分は画面越しに観る側でなく、直接関われないかと思いました。当時は大阪芸大で演劇を学びたいと考えていたんですけど、立命館なら国際関係学部があると先生が教えてくれて。そこで演劇サークルをやりながら勉強して、インターンシップでインドに行ったんです。向こうの幼稚園と小学校が一緒になったようなところで、先生として働いていました。

――最初から演劇に関して、エンタテイメントに社会性も踏まえる視点はお持ちだったんですね。

有田 大元は幼稚園の頃、母と一緒にドラマをよく観ていて「私はいつか出る側になる」と何となく思っていたんです。高校生の頃から、世の中に対する自分の違和感とやりたいことを融合させられないかと、考えるようになりました。そんなときに、サンクチュアリ出版を設立された高橋歩さんという方のエッセイを読んだんです。マザー・テレサハウスを訪ねたときの気づきとして、「いいことをしようとするのでなく、自分がやりたくて人のためにもなることを見つける」みたいな話が書かれていて。それを私は演劇でやっていこうと思ったのが、ベースにありました。

メディアとしての作品で社会と向き合っていけたら

――主宰する野生児童では統合失調症を取り上げた作品があったり、初監督の短編映画で認知症を描いたりもされています。障害児の出産を巡る『渇愛の果て、』もひとつの流れになりますか?

有田 野生児童ではエンタメの野球部の話や古典のリメイクもやりましたけど、福島の原発に関わる舞台に出たことがあって。演出家の方が「メディアとしての演劇」という考え方を話されていたのが、すごく納得できたんです。そこから、自分が抱えている違和感を演劇にしていくことに、取り組み始めた気がします。

――物語の中に現実を織り込む形で?

有田 もともとは『ハイスクール・ミュージカル』とか『glee』とか、わかりやすくスカッとする作品が好きなんです。ドキュメンタリーも観ることはありますが、私は自分の手法で社会と向き合って、作品を作っていけたらと思っています。

コロナ禍で舞台にこだわらず可能性を探って

――『渇愛の果て、』はもともと、野生児童の舞台として2020年に上演するはずが、コロナ禍で中止。映画にしたのは、より多くの人に観てもらいたい想いからですか?

有田 というより、その年は2月にも、所属していた劇団の舞台が3日前に中止になったりもしていたんですね。こんな理不尽で誰にもぶつけられない想いを、もう味わいたくない。先がどうなるかわからない状態で、役者とお客様のケアを考えながら舞台をやろうとしても、観る側も演じる側も私自身も不安で集中できない気がしていました。

――当時はそういう状況でしたね。

有田 それなら意固地になって舞台をやるより、エンタメとして可能性はないかなと。短編映画を撮って、次は長編をやってみたいとやんわり思っていたこともあって。ネガティブなことが続いたのをポジティブな挑戦に持っていきたいと、何日も考えて映画にすることを決めました。

もともと映画が好きだったんです

――舞台人として、映画にはどんなスタンスだったんですか?

有田 むしろ幼少期から、映画やドラマをめちゃめちゃ観ていて。金曜ロードショーや日曜劇場は録画もしていました。ジャッキー・チェンの映画は小学生の頃から観ていて、『マイ・フレンド・フォーエバー』や『マイ・フレンド・メモリー』も好きでした。『天使にラブ・ソングを』は英語がわからないのに歌うところだけリピートしたり、TSUTAYAでDVDを借りてロビン・ウィリアムスやジム・キャリーを好きになったり。ジュリア・ロバーツの『プリティ・ウーマン』も観て、『プリティ・ブライド』は映画館に観に行きました。

――王道ものは押さえていたんですね。

有田 洋画が多かったです。でも、新作が公開される『あぶない刑事』みたいな邦画も家族で観ていました。大学時代は中国映画も観るようになって、『初恋のきた道』でチャン・ツィイーさんに異常に憧れたり。逆に、舞台は大学までほとんど観たことがなかったんですけど、自分が演技をする方法は、演劇サークルしか思いつかなくて。先輩に劇団☆新感線やNODA MAP、大人計画のDVDを観させてもらって、面白い!と。そこからでしたね。

――では、映画を撮るのはある意味、原点回帰のような?

有田 そうですね。『エッシャー通りの赤いポスト』に出たとき、すごく楽しくて、スタッフさんたちと仲良くなって。「映画をやりたいなら声を掛けて」と言ってくれたのも繋がりました。「私、もともと映画好きやん。何でやってなかったん?」と、トライしてみることにしました。

「止まるもんか」と制作資金を回していって

――今回はプロデューサーも務めて、制作費のやりくりは大変だったのでは?

有田 大変でしたね。舞台も野生児童で5作やって、全部プロデューサーも兼ねていたので、似た感じかなと思っていたら、映像の資金はケタが違う(笑)。あとは、制作期間の長さ。今回は2020年から4年かけましたけど、当初はそこまで考えていませんでした。

――クラウドファンディングでも、目標200万円が170万円に止まって。

有田 でも、当時はコロナで文化庁の支援とか、東京都の「アートにエールを!」のプロジェクトとか、いろいろあったんですね。それを軒並み勉強しました。本作は妊娠がテーマということもあって、夏、冬、春に分けて撮ったのですが、最初の夏の撮影が終わったあと、9月に配信の演劇イベントも開催しています。同じく出生前診断と出産をテーマにしたので、作品をより深めて次の撮影にも繋がるし、映画のプロモーションにもなるので。翌年の12月には一番リスクのない形で私のひとり芝居をしたり、「止まるもんか」と何とか資金を回していった感じですね。

病室からの電話に何て言えばいいのかと

――主人公の眞希は友人の方がモデルとのことで、有田さんは劇中の親友グループの立場だったわけですか?

有田 そうですね。ただ、その友人とは小学校からのつき合いで、映画の4人組のSMみたいにグループLINEを作って、頻繁に連絡し合うようなことはなかったです。

――妊娠して出生前診断を受けて、生まれた子どもに障害があって……という一連は、実際に見てきたことですか?

有田 映画のように、子どもは指先がちょっと欠損しているかもしれないけど、元気に生まれてきそう。切迫早産があるかもと聞いていました。「緊急入院することになったわ」「頑張ってな」みたいなノリで話していて。それで出産予定が見えていたのに、連絡がなかなか来ない。そういうところでは、映画だと妹のナギ(渚)の立場でした。夜の遅めの時間に、たぶん病室から電話がかかってきて、眞希とナギみたいな会話は実際にしています。私も心配で先にダンナさんに電話をして、生まれてきた子の障害について聞いていたんです。

――劇中では、眞希が渚に「どう思った?」と聞いてました。

有田 私もそう聞かれて、何て言っていいかわからなかったです。ナギの台詞にした通り「あなたの体に何もなくて良かった。大変やったな」みたいに声を掛けました。オンラインでワークショップをしたときに、ナギ役の辻凪子ちゃんにもどう話すか聞いたんです。「やっぱり元気で良かったと思うかもしれません」とのことで、自分の体験プラス、キャストの言葉から脚本を書いていきました。

子どもが欲しくてもタイミングを見失って

――有田さん自身はその時点で、出産や子どもについて、どう考えていたんですか?

有田 眞希と一緒で、昔から子どもが欲しいと思っていました。理想では27歳くらいでできたらなと。でも、20代から30代前半は舞台にすごく意欲があって、映画でのキャリアウーマンの美紀のように、仕事を止めるタイミングを見失っていて。役者で言うと、何ヵ月後とかの作品が決まっていたら、終わるまでは妊娠をするのは難しくなってきます。ちゃんと考え始めたのは、この映画を作り始めてから。年齢と体は思っていた以上に関係があって、今のほうがすごく現実味を帯びた問題になっています。

――回想シーンで「家族を作りたい。3人で朝日を見んねん。それができたら幸せ」という台詞もありましたが、それは有田さんの想いが反映されていたり?

有田 そこまで思ってはなかったですけど、朝日は異常に好きなんです。泊まりに行くと、どんなに寝てなくても日の出を見ようと、4時半に起きたりしていて(笑)。そこを眞希に落とし込みました。

自分ごとでなかったのが危機感を持ちました

――この映画の制作に当たり、助産師、産婦人科医、障害児を持つ家族などに取材をしたそうですが、何人くらいに話を聞いたんですか?

有田 40人くらいですね。キャスト、スタッフには全員聞いて、それだけで30人はいるので。出演者の方たちには、本読みの前に質問を送っていました。「出産について考えたことはありますか?」「妊娠したら出生前診断を受けますか?」とか。スタッフさんにも打ち合わせで聞いたら、「うちの子は」「知り合いは」と、どんどん吐露してくださいました。

――有田さん自身が初めて触れたことも?

有田 妊娠や出産って、よく聞く言葉ですけど、自分ごととして捉えられていなかったんです。もっと知らないといけないと、危機感を持ちました。監修医の洞下(由記)先生に何回も取材するうち、自分の相談もするようになって、まず一度、体の検査はしておいたほうがいいと。どこまでやるかは考えるとして、自分に残っている卵子の数とか、卵管が詰まってないかとか、調べる検査はいっぱいあるんです。とりあえず簡易でいいから受けたらと、勧めていただきました。

――実際に検査を受けたんですか?

有田 3期に分けていた撮影の2期が終わった2021年の頭に、洞下先生の病院で受けました。2022年に結婚してからは、産婦人科にも通うようになって。だから今、検査とか薬の種類とか、すごくリアルな話になっています。4年前はここまで考えていませんでした。

中絶を考える人の状況も知りました

――「子どもがすごく嫌いな人がいるかもしれない」といった台詞もありますが、取材の中で、有田さんになかった価値観を知ったりもしました?

有田 私は子どもがめっちゃ好きで、姪っ子の写真や動画をよく見ていたんです。劇団で互いに見せ合ったりもしてましたけど、SNSにそういう写真が上がったりすると、「かわいい」と言わざるを得ないんじゃないかと、何となく気になっていました。特に男性から「何て言うのが正解?」みたいな話を聞くこともあったので。

――確かに、ただ反射的に「かわいい」と言ってるときもあります。

有田 あの「子どもが嫌いな人がいるかも」という台詞は、具体的に誰かから聞いたわけではないですけど、中絶を考えた方に取材した影響もあります。数年にわたる仲だったのに、お話を聞くまでまったく知らなくて。もし、その方の前で「中絶って良くないよね」と言ってしまっていたら、知らないうちにすごく傷つけていたやろうなと。

――劇中では、ぶつかり合いになった出産パーティーで、中絶の話が出ていました。

有田 状況を聞いていれば「その選択も考えざるをえなかったよね」と言えますけど、知らなかったら、何も考えずに中絶を批判してしまったかもしれない。それは取材の中で思いました。

安定期がいつか男性はわからないだろうなと

――特に男性の妊娠に対する考え方は、有田さんも取材して知ったことが多かったのでは?

有田 最初はいろいろな夫婦をベースにしながら、女性キャストをメインに書こうとしていたんです。でも、オンラインでの本読みのあと、役者さんたちに「考えこまなくていいので、最初に思った感想を聞かせてください」とお願いしたら、男性からは「こういう作品について、どう言えばいいのか難しい」という話が出て、それはそうやなと。女性の方には高齢出産とかいろいろなケースを聞いていましたけど、男性の視点が足りなかったと気づきました。

――完成した映画では、眞希の妊娠がわかったあと、夫の良樹が友人の竜にお祝いされて飲む、男性2人のシーンなどがありました。

有田 本読みのとき、良樹役の山岡(竜弘)さんに「お子さんが生まれることになったら、どんな感覚になると思います?」とか、竜役の松本(亮)さんに「友人にお子さんができたら、どう反応します?」とか聞いたんです。その中で出たのが、台詞にした「安定期っていつなのか」という話でした。確かに実は女性でもちゃんと知らないけど、わからないとは言いにくい。男性はなおさらだろうなと。そういうことをちょこちょこ入れて、「自分以外にも知らない人がいる」と肩の荷を下ろしてほしい。「わかってないのはあかん」とならなければいいなと思いました。

脚本を書きながら泣いていました

――本読みのあとに聞いた話を反映させると、台本はだいぶ改稿したんですか?

有田 10稿くらい行ったと思います。普段から、最初はザザザと1~2週間で一回書き上げるんです。構成とか伏線とか考えず、浮かんだシーンから。今回だと、冒頭か最後はこの画がいい、というのがありました。会話を書くのが好きで、そこから役者さんのクセや言葉づかいを見て、細かく修正していきました。

――この映画では、胸に刺さる眞希の台詞がたくさんあります。お腹にいる子に障害があると知って「心臓潰れそうやわ」とか、出産したら酸素ボンベが外せないほどの障害で「この(お腹の)中にいたのを、元からいなかったみたいにはできん」とか。

有田 「この中にいたのを~」は自分で書きながら泣いていた記憶があります。モデルの友人から、実際ご主人とそういう話し合いをしたのは聞いていました。「仕事を変えなあかんと思う」「ほんまにどうしていくん?」って。それは絶対に作品に取り入れたいと思いましたけど、具体的にどう返したかまでは、さすがに聞けなくて。「こう言われたら、こう言うよな」と、あまり止めずにダーッと書いていく中で、生まれた言葉もあります。「心臓潰れそう」は自分の言葉だったのか、友人に聞いたのか……。

――たぶん有田さんの中で、いろいろなものが混ざり合っていったんでしょうね。

有田 そうですね。あれは妹のナギに言った台詞で、距離が近い人と話すとき、「辛い」とか「苦しい」とか言葉にするのか。自分ならどう表現するかは考えた気がします。

しょうもないことも入れたくなるんです(笑)

――シリアスな展開の中、美紀の携帯の眞希からの着信音が叫び声だったり(笑)、クスッとなるところが出てきます。そこは関西人気質ですか?

有田 何なんでしょうね。たぶん自分の性格もあると思うんです。しゃべっていたら、ふざけたくなってしまう(笑)。あの着信音も、稽古では助監に普通にプルルルと言ってもらっていたんです。でも、何度かやっていると、役者が電話が鳴ることを予想してしまう。それを崩したくて、適当に「ワーッ!」とか言ってたんです。初めて聞く着信音に、自然とリアクションを取ってしまうのを見たくて。いらんことしぃなんですよね(笑)。これでもだいぶ省いたんですけど。

――ネタ的なシーンがもっとあったわけですか?

有田 ほんまにしょうもないことをやっていました(笑)。でも、それを全部省くのもどうかと。本筋は観る方が手をギュッと握り締めて、肩に力を入れなあかんテーマだと思うんです。だからこそ、力を抜けるところは極力抜きたい意図はありました。

長く一緒にいたい人には本音を伝えます

――野生児童でも実話ベースの脚本を書かれていますが、そういう作品で気を配ることもありますか?

有田 自分の価値観だけで、誰かが悪いようには書きたくないです。一見悪そうな人にも、裏の気持ちがある。極力、誰も悪くないから難しい、というふうにしたくて。四谷怪談をリメイクしたときも、大元の事件の参考資料を国会図書館で読んで、仲の良い夫婦から始まるお話だったから、お岩さんがTHE怖い人みたいには書かないようにしました。

――今回だと、先ほど出たパーティーのシーンは親友とぶつかり合っていますけど、まさに誰かが正しいという話ではなくて。

有田 ヤマ場に意見の衝突を持ってくるのは、私のよくやる手法かもしれません。すれ違うより、本音をちゃんとぶつけることで生まれるものがあるのが、好きな流れです。

――実生活でもそういうスタンスですか?

有田 長くつき合っていきたい人にはすべてを伝えて、めちゃくちゃ話し合います。恋愛相手でも劇団時代も先輩でも。わかり合えなくて当然と考えているから、サラッと仲良くしなくてもいい。「私はこういうときはこう思うタイプなんです」と言って、そういうのがしんどいと思う人とはたぶん合わない。素直に話せる人とのほうが長いつき合いができる、というのは昔からあります。

自分が妊活していることも公表しました

――ご自身の妊活については「孤独だった」とコメントされています。結婚を発表されたときは「鬼やさしい旦那さん」とのことでしたが、そんなご主人がいれば……という次元の話でもなかったですか?

有田 妊活するとなったら、いろいろな検査を受けて何度も採血をしたり、決まったお薬を決まった時間に飲まなければいけなかったり。普通にストレスが増えます。ダンナさんはわかってくれているけど、わざわざ毎回言ってもな……と思ったり。うまくいくかわからないから、周りの人にも妊活していることをすぐには言いませんでした。両親にも進めていってから話したんです。自分でこんな映画を作っているのに、やっぱり言い辛いことは体感しました。

――身内以外には、あえて言う必要はない気もしますが。

有田 妊活を始めたと周りに言って、うまくいかずに終わったら、どう気をつかわれるんやろ。自分の悲しさも倍増するかも。そう考えたら、言えへんことが多いですよね。たとえば注射を打つのが辛いって、誰かに言えるわけでもなくて、どんどんふさいでいってしまうんです。病院では助産師さんが話をじっくり聞いてくれても、家で不安になったらネットで調べるしかない。そうしていると、視界がどんどん狭くなっていきました。だから、映画の公開をきっかけに結婚したことも発表しよう、妊活していることもあえて公表しようと。私が言うことで、同じような境遇の方たちに「辛いことも口に出していいのかな」と思ってもらいたかったんです。

自分でも結論は出せていません

――最近だと、ご自分ではどんな映画を観ましたか?

有田 『大阪カジノ』だったり、『渇愛の果て、』と同じK’s cinemaさんで上映された作品を観ています。ドラマでは、記憶障害の脳外科医が主人公の『アンメット』ですかね。山岡さんから「ちょっと通じるところがある」と聞いて、観始めました。あと、クドカン(宮藤官九郎)さんが好きで前の『不適切にもほどがある!』だったり、1クールに1本は「これを観る」と決めています。

――個人的には『オッペンハイマー』を観終わったときの感覚が、『渇愛の果て、』と少し似たものがありました。もちろん全然毛色の違う作品ですけど、どちらもある結論に導くのでなく、「あとは自分で考えて」と投げ掛けられたような。

有田 『オッペンハイマー』は観たいリストにずっと入れてますけど、そうなんですね。確かに『渇愛の果て、』で結論は出せていません。エンドロール後のカットがお客様にはどういう表情に見えるのか、自分で編集していてもわかりませんでした。たぶん観る方によって違うと思うので、お任せします、という感じです。

いつか母が生まれた台湾で映画を撮れたら

――『渇愛の果て、』が企画されたのは4年前で、今はもう、次に発信したいテーマもあるんですか?

有田 今回、もともと舞台でやろうとしていた作品を映画にしたので、改めて舞台にしたらどうなるか、やんわり考え始めています。それから、また半分、自分の実話でもありますけど、不妊治療も言葉は知っていても、具体性を持ってなかったんです。年齢の問題だったり、実際にどんなことをしているのか、もう少し認知度が上がるといいなと思っています。長編映画はお金的にも期間的にも大変やったから(笑)、短編をやってみたいです。あと、もう1コやりたいことがあります。

――何でしょう?

有田 私はせっかく台湾の血を半分継いでいるので、母の実家がある龍山寺(ロンシャンスー)というカッコいいお寺の近くで撮影したいです。今、毎日ちょっとずつ中国語を勉強していて。将来、台湾で映画を撮るか、台湾の国立劇場で役者として舞台に立つか。それは絶対実現させたいです。

Profile

有田あん(ありた・あん)

1987年7月15日生まれ、大阪府出身。立命館大学、新演劇研究会劇団月光斜で芝居を始めて、2011年に上京。ENBUゼミナールで作・演出を始め、卒業後、劇団鹿殺しの劇団員になり、2023年に卒団。2015年に舞台活動を中心とするプロデュースユニット「野生児童」を旗揚げ。2019年に短編映画『光の中で、』で初監督。映画『犬も食わねどチャーリーは笑う』、ドラマ『うちの弁護士は手がかかる』などに出演。長編映画監督デビュー作『渇愛の果て、』が5月18日より公開。

『渇愛の果て、』

監督・脚本・プロデュース/有田あん 出演/有田あん、山岡竜弘、輝有子、辻凪子ほか 配給/野生児童

新宿K’s cinemaにて5月18日~24日、大阪・シアターセブンにて6月1日~7日ほか全国順次公開

公式HP

(C)野生児童
(C)野生児童

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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