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いま、大切なのは絶対萎縮しないこと~ 秘密保護法成立後の日本社会

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

◆ 特定秘密保護法の強行採決をふりかえる。

秘密保護法の強行採決から1週間以上が経過した。国会前を多くの人が取り巻いて反対していたというのに、そうした声は雑音とばかり、一向に構わず、異常な国会審議日程で、採決強行された。

法案の問題点については、既にこのブログでいろいろ述べてきたとおり、あまりに問題が多すぎたが、ほとんど修正されなかった。

それに加えて、今回際立ったのは、その「決め方」のあまりのひどさだ。

TVなどで見られた方も、あまりに拙速・力づくの審議に驚いたのではないだろうか。数の上で多数でない声であっても、疑問に答えながら、丁寧にコンセンサスを図っていく、まして多くの国民が疑問に思っていることにはきちんと答えて説明しながら前に進む、という話し合いによる民主主義のルールに著しく反していた。

まさに反対している人に問題無用、力づくで抑え込んで、反対派を木端微塵にするやり方。

今回は、国内の野党だけでなく、国連の人権高等弁務官や主要なすべての国際人権団体が、人権の観点から問題が多すぎると懸念を示していた。「国際的な人権スタンダードを大きく下回る」という国際社会の懸念に対して、真摯に耳を傾けるべきだったのに、そうした姿勢すらなかったのには驚いた。これは、明らかに人権後進国の対応だった。

メディアや識者はこぞって批判している。

私たちも批判声明を出しています。http://hrn.or.jp/activity/post-243/

◆ 暗黒時代がくる?

とはいえ、一夜明けて新聞報道やつぶやきを見ると、その表現には若干違和感も感じた。

「日本はこれから暗黒時代に突入する」「新たな戦前の始まり」などという言葉が躍っていたからだ。

そして、少なからぬ人が「私も情報公開請求したら逮捕されちゃう」「デモに行っただけで逮捕される時代が来た」などと誤解している。

実は、経験あるNGO関係者や、大学教授から、「情報公開請求をしたら逮捕されるんでしょう?」と真面目に聞かれた。そんなことには、さすがに秘密保護法のもとでも、なりません!! と、慌てて説明した。正規ルートの情報公開請求は処罰対象にはなりえない。

みんなが条文などに詳しくないので、誤解も多い。誤解が、恐怖感をもたらしたり、一歩踏み出すのを躊躇させたりしないように、と思う。

しかしながら、みんなが条文に詳しくないのをいいことに、石破自民党幹事長は再び、報道規制があるかのような発言をしている。再び許されざる発言で、人々の恐怖に悪乗りして、萎縮効果を高めようとしているのではないかと疑わざるを得ない。

しかし、ここが大事なことであるが、萎縮してしまっては、かえって自ら息苦しい社会をつくることになる。

今大切なのは、萎縮せずに、これまでと同様に言論の自由を行使し、政府を監視したり、市民社会として自由に活動することだ。

◆ 一般人は処罰される?

秘密保護法のなかで、一般の市民と最も関係ある条項は、秘密の漏えいの教唆・共謀・煽動を処罰するという条項であり、本当に危険な条文だ。

しかし、私たちには人権を保障した日本国憲法がある。これは戦前とは大きく異なることだ。

憲法は最高法規なので、特定秘密保護法より上位にある。憲法に違反する解釈や運用は許されない。

条文自体が憲法に反する場合は違憲・無効となる。 

特定秘密保護法は知る権利や表現の自由を不当に侵害する危険性があり、法律自体が憲法違反の疑いが濃厚である。

特にこの法律に基づいて、民間人や報道機関に対する刑罰が仮に発動されれば、よほどのことがない限り、適用において違憲、となり、市民は無罪になる、と私は考えている。

そもそも、「何が秘密かわからないのに秘密に近づいた人を処罰する」というような、漠然・不明確な表現規制や処罰は、憲法21条(表現の自由)、憲法31条(罪刑法定主義)に反して許されない。

また、確立された裁判例によれば、何を秘密にするかは、政府の指定だけでは十分ではなく、裁判所が司法審査で決めることになっている(「実質秘」~秘密は政府が指定しただけではダメであり、裁判所が実質的に秘密として保護すべきものだと判断しない限り処罰の前提を欠くことになる)。

そして、仮に裁判所が秘密と認めたとしても、人権を過度に制約する処罰が果たして合憲といえるか、裁判所が合憲性を判断することになる。よほどのことがない限り、違憲と判断されるであろう。

最後に、本当に秘密なのか、どうして秘密と言えるか、本当に共謀・教唆・煽動したのか、を政府が立証しない限り、無罪推定原則で無罪となるのが刑事裁判の鉄則である。

日頃、誤判の救済に冷淡な刑事裁判官が多い日本であるが、このような件で、司法を完全になめられたまま有罪判断を下すところまで落ちぶれていないと私は信じたい。司法には今こそ「憲法の番人」の役割を果たしてもらいたい。

というわけで、もしこういう事件が発生し弁護を依頼されたら、多くの弁護士は絶対無罪に持ち込もうと獅子奮迅でがんばるだろうし、対抗的な弁護団も結成されるという。

そのようなことは政府や捜査機関もわかるであろうから、こちらが緊張感をもっていれば、報道機関や民間人への処罰はなかなかできないことになると私は思う。

◆ 発動させない→そのためには萎縮しない。

日本には実はほかにもいろいろな治安立法もある。

例えば、「破壊活動防止法」という法律は、それこそ「デモはテロ」と拡大解釈されれば、市民運動すべてを取り締まりうる治安立法だが、すごい反対運動にも関わらず、1950年代に可決された。しかし、あまりにも反対運動が強く、社会的な支持が得られなかったため、本当に極限的なケースにしか、適用されることなく今日まできた。

要は、市民社会が、治安立法を発動させない緊張感を維持できるか、にかかっているように思う。

反対だ、問題だ、と多数の人々が言い続けていれば、たやすく発動することはできないだろう。

それよりも、自己規制、萎縮のほうが怖い。社会がどんどん萎縮していけば、治安立法の適用に抗議する声も少なくなれば、だんだんそうした法律が発動されていってしまうだろう。

だから、今一番大切なのは、萎縮せず、これまでと同様に表現活動ややりたいことを続けていくこと、法律を支持しない、と多くの人が言い続けることなのだ。今、展開されている、法律の廃止を求める運動というのは、そういう意味で大切である。

情報が隠されないように、情報公開の新たな制度構築を求める取り組みなどもいまこそ必要だと思う。

◆ こういうやり方を支持しない、という姿勢を示し続けること

ところで、今回の採決強行のやり方は、DV(ドメスティック・バイオレンス)的であった。

テレビ越しに国民に対して、『反抗する奴はこうなる』という見せしめのDV。大音量で、大画面で見せつけられるDVのようだった。

今回の強行採決のやり方を見ていて、ナオミ・クライン(ジャーナリスト)の書籍「ショック・ドクトリン」に描かれた各国のショック療法的な政治のことを私は思い出していた。

この本が克明に記す世界各国の政治の実例をみると、人はショックを受けると体がすくんでしまい、感覚が麻痺して、抵抗ができなくなる、権力者はショック状態を利用して、その間に悪い改革をどんどん進めてしまった、という。

「政策変更は軍隊の奇襲攻撃のように行われるべきだというのは、経済的ショック療法を行う際に繰り返し持ち出される考えだ。1996年に出版され、2003年のイラク進攻作戦の基礎となった米軍の軍事戦略書『衝撃と恐怖-迅速な支配を達成するために』には次のように書かれている。侵攻軍は『周囲の状況を掌握し、事態に対する敵の知覚や理解を麻痺させ、あるいはそれに過度の負担をかけることによって、敵が抵抗する能力を奪う』べきであると。人間は段階的な変化には反応できるがあらゆる領域で何十種類もの改革が一度に行われれば徒労感に見舞われ、国民は無抵抗になるというわけだ。国民にそうした無力感を起こさせるため・・(改革は急ピッチで進められた)」

毎日毎日続けられる異常な国会心理の連続は、普通の人に、特に民主主義を大切に考える人にとっては精神的なショックを与えた。しかし、ショックのスパイラルに陥り、無抵抗になったり、無力感を感じたり、恐怖を感じるのは一番良くない。

これから、ほかにも心配な法律案が上程される可能性があるのだが、「あらゆる領域で何十種類もの改革が一度に行われれば徒労感に見舞われ、国民は無抵抗になる」、そんなシナリオになってしまわないように、と思う。

安倍首相は、最近は支持率低下を気にして、急に説明が十分でなかったなどと言いだした。

これから突然やさしい笑顔で国民に微笑みかけたり、経済対策などで国民の支持を得ようとするかもしれない。そのうち、年越しをして、景気をよくすればみんな水に流して、または買収されて、忘れると思っているのかもしれない。

しかし、今回起きたことについて、曖昧なまま忘れてしまい、支持率回復をさせたりして、委ねてしまうと、政権が私たちに対して力づくで押し通してしまったことに対して「許した」というメッセージを送ることになる。国民は「この程度の国民」と思われてしまい、これからも同じようなこと~支持していないしまったく望まない政策を強行的に決定・実施すること~ が繰り返される可能性がある。

(ちなみにDVでもまったく同じことが起きる。反省も再発防止の誓約もないまま、被害者が流してしまう&許してしまうと、加害者は許されたと思い、DVはどんどんエスカレートする。すごく似ている)。

起きたことを決して忘れないこと、こういうやり方には、絶対賛成できないのだ、という意志を明確に示し続ける必要があると思う。

街の雰囲気、多くの人の怒りや抗議は、例えば、内閣支持率の調査等にダイレクトに反映されていくだろう。

新聞のなかには、可決から一週間以上たっても、ずっと秘密保護法の問題を取り上げつづけ、批判し続けている新聞があり、頼もしい。きちんと怒りを持続させて、異議申立を続けることが、いまの日本ではとても大切である。

今回は、市民が国会前を取り囲み、大きな動きが出来たし、いろんな人たちが反対の声明等を出して、国会周辺はすごい盛り上がりを見せていた。こんなにたくさん声明が出たことも珍しいと思うくらいだった。惜しむらくは、それぞれセクターにわかれて意見表明していたことで(音楽家とか、映画人とか、ジャーナリストとか、環境団体、人権団体など)、それぞれ連携しあうともっと大きな力になるのだけど、と思った。

これからは、もっといろんな人たちが分野を超えて連携し、不服従や抗議の姿勢を持続的に示していくことができれば、素晴らしいと思う。私たちがそうした姿勢を示しうる場所は街のあちこち、そして、日常のどこにでもある。

~ このような感想も含め、特定秘密保護法に関して、先日、共同通信の座談会でお話ししました。新聞各紙に掲載していただいています~

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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