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東京電力の責任に上限を画せ

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

原子力損害賠償の無限責任、どうして有限責任会社である原子力事業者が無限責任を負担できるのか。この根源的問題について深く検討することなく、東京電力問題の公正公平な解決はないのです。はたして東京電力の無限責任はあり得るのか。

現在の東京電力の法律上の立場

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理論的にいって、有限責任会社である東京電力が無限責任を負うことはあり得ません。あり得ないはずの無限責任を、有限責任会社である民間の原子力事業者に課せるようにしたのは、「原子力損害の賠償に関する法律」です。この法律は、一般法理の適用を排除した特別法ですから、この法律が適用される限り、そして現に適用されている以上、東京電力の法的整理、破綻処理はないのです。あり得ないのです。

私は、このことを、くどくどと執念深く、2年半にわたって、いい続けているのです。法律の趣旨からして、東京電力に無限責任の履行を貫徹せしめるためには、東京電力を存続させ、損害賠償責任と並ぶ重要な責務である電気安定供給を遂行せしめることをもって、電気事業からの安定収益を確保せしめなければならないのです。つまり、永久的に生じる電気事業収益の裏付けがあるからこそ、有限責任会社にすぎない東京電力が原子力損害賠償の無限責任を負担できるというわけです。

故に、東京電力を破綻させることはできない。しかし、巨額な原子力損害賠償債務を負えば破綻する。そこで、「原子力損害の賠償に関する法律」は、第十六条で、破綻を回避させるべく政府が支援しなければならないという義務を定めた。事実、政府は、この法律上の義務に従い、原子力損害賠償支援機構を設立し、東京電力を支援している。この政府の支援下に存続し、電気安定供給を続けながら、原子力損害賠償を履行しているのが、現在の東京電力の姿です。

「原子力損害の賠償に関する法律」の仕組み

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つまり、「原子力損害の賠償に関する法律」の第十六条による政府支援があるからこそ、東京電力は無限責任を負担できるのです。

無限責任のみならず、無過失責任と責任集中も、第十六条の政府支援があるからこそ、可能なのです。なお、無過失責任というのは、被害者が加害者の過失を挙証する責任を免除する規定であって、被害者保護を厚くする趣旨であり、また、責任集中というのは、原子力事業者にのみ賠償責任を負わせることで、原子力事業者の先にある資材設備等の納入業者には、一切、責任は遡及していかない仕組みです。

「原子力損害の賠償に関する法律」は、原子力事業者の無過失責任、無限責任、責任集中を明確にすることで、万が一の場合の賠償責任履行の仕組みを確立して、原子力発電所の立地確保を容易にし、また、納入業者の責任を免除して、必要な資材設備の調達を確保し、もって、原子力事業の発展を図ることを目的としていたのです。

このことは、第一条に、「原子炉の運転等により原子力損害が生じた場合における損害賠償に関する基本的制度を定め、もつて被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資する」と法律の目的が書かれていることから明瞭です。

しかし、「原子力事業の健全な発達」のためには、原子力事業者に過大な責任を課さざるを得ないとしても、現実的な問題として、原子力事業者に責任履行能力がなければ全く意味がないわけで、そこを、法律は、第十六条に政府の支援義務を定めることで解決したのです。

この法律の基本的な仕組みは、お粗末極まりなき菅政権においてすら、正確に理解されており、故に、現在の東京電力のあり方ができたのです。ただし、菅政権は、国民負担の極小化という国民を欺く美名のもとに、政府責任を極めて小さく構成し、事実上、完全な責任放棄を目指したのです。私は、その政府無責任を批判し続けてきたのですが、このような事態は長続きするはずもなく、安倍政権発足後1年にして、今、ようやく是正されようとしているのです。

安倍政権の路線転換

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ここで是正というのは、安倍政権の新方針として、政府が前面に出ることです。菅政権は、東京電力が全責任を負い、政府は一時的に賠償資金を立て替えるだけの僅かな責任を負うという仕組みを作ったのですが、今、安倍政権は、政府が前面に出る、即ち、東京電力の責任は後ろへ下がるという構図へ転換しようとしています。

安倍政権の転換を促したものは、直接的には、汚染水問題でしょうが、それは、きっかけにすぎないと思われます。原子力損害賠償だけでなく、事故収束、廃炉、電気安定供給、自由化に対応した経営革新の全てについて、東京電力の全責任のもとに完遂せしめることなど、誰の目にも不可能であることは明らかであったのです。

菅直人氏は、自明なことも理解できないほど愚かだったか、理解しながら無責任を決め込んだか、どちらかですが、どちらにしても、お話にならない。ですから、私は、安倍政権発足後、直ちに方針の転換が起きると思っていました。しかし、1年を要した。時間を要した背景は、世論の動向の見極め、電気事業改革の道筋の決定など、多くの高度な政治判断があったからでしょう。

東京電力の責任の有限化

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次の大きな問題は、政府の責任と東京電力の責任とは、どのように切り分けるのが合理的で、かつ公正で、しかも、国民の理解が得られやすいか、ということです。

事故収束や廃炉の困難さや安全確保の重要性を考えれば、東京電力に全面的な責任を負わせることは、事実上、不可能であるのみならず、不適切でもあります。故に、それを政府の直接的な責任下に置くことは、当然でもあります。ここについては、既に、国民に理解はあるのではないでしょうか。

いうまでもありませんが、政府が直接的な責任を負うということは、東京電力の責任がなくなることではありません。経済的な費用負担や、人材や資材等の物理的な負担は、当然のこととして、東京電力に応分に割り当てられるわけでしょう。

そして、国民の理解という面では、問題は、東京電力と政府の経済的な負担割合に帰着するのだと思われますが、なかでも重要な点は、責任の無限部分をどうするかです。ここが表題に掲げた論点であって、東京電力の責任に上限を画せ、即ち、東京電力の責任を有限とし、無限責任部分は政府負担とすべきだということです。

おそらくは、「原子力損害の賠償に関する法律」は、今回の事故の経験に基づいて、抜本的に改正されるのだと思われるのですが、その改正の眼目は、原子力業者の責任の有限化となるのではないでしょうか。

もともと、原子力事業者の責任の有限化は、「原子力損害の賠償に関する法律」の制定時に議論のあったことでしょうし、その後も、外国の立法事例との関係で、潜在的には、議論の可能性はあったのでしょうが、何しろ、「安全神話」ではありませんが、事故の可能性について真剣に検討する機会が一度もなかったのですから、今回の事故を契機に改めて取り上げられるまで、いわば封印されてきたのだと思われます。

実際、東京電力の無限責任を維持しながら、政府の支援の枠組みを作ることは、現にそうであるように、高度に技巧的なものにならざるを得ないわけで、その異例さ(前例がないので、当然ですが)が、むしろ異様さにもみえて、多方面からの批判を受け続ける原因になったのだと思われるのです。これが、法律上あり得ないはずの東京電力の法的整理が、繰り返し、繰り返し、論じられる背景です。

有限責任化の背景

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では、なぜ、今、東京電力の責任有限化が改めて問題となるのでしょうか、あるいは、問題とすべきなのでしょうか。

第一に、損害賠償責任だけが問題なのではなく、事故収束と廃炉を含めた事故対策の全体責任が問題だということです。損害賠償だけではなく、事故収束や廃炉も費用額を事前に見積もれないものであって、東京電力が法律の手当のもとで存続している限り、そこにも計り知れない無限責任が発生しているのです。このような無限責任を東京電力という有限責任会社に負担させることは、いかに制度的技巧を凝らそうとも、物理的不能は明白です。

そこで、安倍政権は、少なくとも事故収束や廃炉における政府責任については、明確化する方向へ動き始めたわけですが、その延長には、事故責任全体における政府責任の明確化を通じて、東京電力の責任の何らかの有限化(その具体的形態は不明ですが)の検討が不可避に生じてくると思われます。

なお、こうした問題を踏まえ、「原子力損害の賠償に関する法律」の予想される改正の方向について、私は、損害賠償の枠を取り、総合的な原子力事故対策法へ改組し、事故収束や廃炉についても、責任の所在を明確にすべきだと思います。これは、余談ですが。

第二に、賠償範囲、事故収束のあり方、廃炉、その全てについて、費用額を決定するのは、高度な政治判断だという特殊な背景があります。つまり、東京電力の無限責任は、そもそも、責任額を客観的に推定することすら不可能なものとなっていて、その全く計り知れない責任の無限性は、そこに政治判断が働く以上、政府以外に負担し得ないのは明らかなのです。

第三に、電気事業法の改正により、電気事業が自由化されたことがあります。もともと、東京電力の責任のなかには、自由化に対応した経営革新ということが含まれています。東京電力を今の無限責任の状態に置いたままでは、自由化後の競争における不公平さは明瞭です。新生東京電力が対等に競争できる条件を整えることも必要なのです。

第四に、資金調達の安定化です。無限責任を負う状態では、東京電力の資金調達は極めて困難です。金融は、本質的に、危険が合理的に予見可能なものにしか、供与し得ないからです。電気事業は巨額な資金を必要とするので、有限責任化によって、東京電力の資金調達を安定化させることは、急務かと思われます。

東京電力に求められる代償

仮に、東京電力の責任上限が画されれば、次の議論として、東京電力の利害関係者間の責任負担割合という議論は、当然に、起きてくるでしょう。これまでの超法規的な法的整理とは一線を画し、議論の枠組みは全く違うものとなるのですが、それでも、何らかの形の債権関係の整理、あるいは調整を求める議論が起きることは、不可避だと思われます。

この場合、原子力損害賠償債権や、東京電力に資材等を納入している業者の債権を、特別な法律上の保護がない状態に置くことはできないでしょう。それができないからこそ、現在の政府支援の技巧的な構造になっているのですから。また、従業員等の地位も、もはや、これ以上、悪化させることは許されないでしょう。既に、破綻に準じた扱いになっているのですから。

要は、銀行等の債権者と、株主の利害にかかわる問題だけが残るのです。法律的に、どういう処理が考えられるのか、あるいは、既に考えられているのか、全くわかりませんが、最終的には、可能な法律構成のなかで、国民の理解が得られるかという政治的配慮へ傾くのではないかと思われます。

また、株主や債権者にとって、長期的には、責任有限化の利益は大きなものと思われ、その対価として、短期的な損失負担を行うことについては、公正公平の観点から、高度な利益衡量が成り立つ余地もあり、さてさて、極めて興味深い展開になりそうです。

最後に、念のため付け加えますが、ここでいう債権者や株主の利害調整は、多くの論者がいうような法的整理論や破綻処理論とは、根本的に趣旨が違います。あくまでも、「原子力損害の賠償に関する法律」第十六条の支援の枠組みを、現行の仕組みから抜本的に改めるだけのことであり、政府責任の明確化に伴う反射効果として、東京電力側の責任も明確化しなければならないということにすぎません。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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