国語の授業で結婚式のスピーチがうまくなる!? 日本女子大学附属中学校・高等学校(1)
毎回の国語の授業でスピーチを行う
国語の授業の冒頭には、必ず「スピーチ」の時間がある。表現力を育成する教育の一環として、もう何十年も続いている。
順番で、毎回1〜2人の生徒が、みんなの前で5分ほどのスピーチを行う。予めテーマが与えられ、それに沿った原稿を用意して読み上げる。読み終わると1〜2のクラスメイトが感想を述べたうえで、先生が講評する。
いくつか見学した授業では、「上を目指し続ける」「変わること」「自分を見つめ、自分を磨く」など自分の内面と深く向き合う題名のスピーチが多かった。明確な目標がまだないからこそいまできることに一生懸命になる重要性に気づいたこと、コンプレックスを自分らしさとして受け入れられたことで自分が変わった瞬間、他人と比較せず自信をもって自分の好きなことを伸ばしていけばいいんだと気づけた経験などを自己開示する。
冷静かつ真摯に自己と向き合ってつくられたスピーチの内容や堂々とした話しぶりもさることながら、私が驚いたのは感想を発言する生徒の態度である。いま聞いたばかりの話について、共感する部分、良かった点などをよどみなく発表する。それ自体が即興のスピーチになっている。
先生の講評は、さらに一歩踏み込んで、語られたストーリーの背景にある心情や人間関係や生徒の成長にまで触れる。スピーチを行った生徒は「先生、そこまでわかってくれているんだ」とうれしいだろう。そのほかの生徒たちは「なるほど、この状況をそういうふうに解釈することができるんだ」と感心するだろうし、何よりひとの話に対して感想を述べるときのお手本として学ぶ部分が多いはずだ。
中1では「おすすめの本」や「最近興味があること」など、自分を中心にしたテーマ設定が多い。中2以降は「自治について」などテーマが抽象化していく。自分の考えを言葉にするだけでなく、クラスメイト全員分の物事のとらえかた、言葉の選び方、語り方を知ることで、自分自身を見つめる眼の解像度もまた高まる。
町妙子校長は「うちの卒業生たちは結婚式のスピーチがうまいと評判です」とおどけるが、それもうなずける。
東京ドーム6個分以上!のびのびキャンパスライフ
「創立者の成瀬仁蔵は、impression(印象)、construction(構成)、expression(表現)という3段階のプロセスをくり返し強調していました。取り入れて、自分なりに再構成して、表に出すということです。開校当初彼自身が行っていた『実践倫理』という講義では、授業の感想を生徒たちに毎回書かせていたそうです。見たり、聞いたり、触れたりしたことを、そうやって自分の言葉として表現することが、本校の教育の伝統になっています」と町校長。
女子のためにも高等教育機関(大学相当)が必要だという強い思いをもって、成瀬は1901年に日本女子大学校を開校した。日本初の女子大(法律上は専門学校の扱い)である。卒業生には女性解放運動の先駆者・平塚らいてうや宮澤賢治の妹・宮澤トシなどがいる。
開校当初からの教育方針は「自念自動」。「自ら考え、自ら学び、自ら行う」の意味だ。さらに教育綱領として「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」という3つの言葉を残している。
附属中学校・高等学校は、日本女子大学西生田キャンパスの中にある。東京ドーム6個分以上の広さ。緑が多いというよりも山の中に校舎があるといったほうが実際の状況に近い。敷地がいくらでもあるので、校舎の中の空間の使い方にもゆとりがある。
校舎のいたるところに生徒たちの作文やレポートや美術作品が展示されている。優秀な作品だけを貼り出すのではなく、全員の作品を貼り出す。クラスメイトの傑出した作品を見て、刺激を受け、次回は自分ももう少し頑張ろうと思う。友達を自分の映し鏡として、相乗効果が働くのだ。
バイオリン、理科実験も表現活動の一環
「表現力の育成」は国語のスピーチだけではない。たとえば中学の3年間を通して毎週バイオリンを習うのも、3年間で130回もの理科実験を行うのもその一環だという。
「ピアノなら、ドの鍵盤を叩けば誰でもドの音が出ます。でも、バイオリンの場合、弦のどこを押さえれば正しい音が出るのかを探さなければいけません。理科実験では必ずしも思った通りの結果が出るとは限らず、その場合、何がどう違ったのかを振り返ってレポートにまとめることになります。それらもすべて表現活動だととらえています」(町校長、以下同)
「表現力」とは、ICT機器を駆使したプレゼンテーション技術で「自分を盛る」ことでもなければ、「炎上上等」と開き直って世間がぎょっとするような強いメッセージを発することでもない。
日本女子大学附属中学校・高等学校では、自分の中にある表現すべきものを見つけ出そうとする力そのものを「表現力」と呼んでいることがわかる。創立者の三綱領になぞらえるならば、自分の信念に基づいて生まれた自分の中にしかないものを必死で探り出しそれを表に出すことこそ、そのひとにしかできない社会貢献だということになる。
そして私の印象に残っているのは、同校の生徒たちがお互いに表現を受け取ろうとする姿勢である。社会における「表現力」とは、表現する側だけがもっていればいいものではなく、実は表現を受け取る側の素養があってこそ成り立つものだということに気づかされる。
「国語の中学入試問題も、解答欄はまっさらです。間違った選択肢を消していって正解にたどり着くのではなく、自分の中にある正解を表現してほしいのです」
ありのままの自分を表現していいという安心感が校舎の中に満ちており、生徒たちの肩や表情に余計な力みがないので、外からやって来た私にとっても居心地がいい。生徒たちは元気いっぱいではあるが、余計なストレスがないので、ギャーギャー騒ぐようなおかしな発散の仕方を目にすることがない。
放課後、軽音楽部やミュージカル部が、普段は生徒たちが往来する校舎のちょっとしたスペースで練習をしていた。校舎内が広いので、ちょっとした体育館代わりに使用できる場所がいたるところにある。
ミュージカル部の部長に、部の自慢を聞いた。「自分たちでいちから舞台をつくるのが醍醐味です。中3が中1の面倒をよく見て指導するのが自慢です。今年の文化祭はコロナの影響でオンラインで行われることになったので、メドレー方式にしました。新しい挑戦ができて良かったと思います」と、これまたよどみなく即答してくれる。
顧問の先生が文化祭用に撮影した動画を見せてくれた。「これなんて、英語の歌を自分たちで訳して歌詞をつくりました。日本語訳の歌詞もあるのに、気に入らなくて、自分たちでつくっちゃったんです。正式な活動日は週2日のはずですが、朝練はするし自主練はするし、たくさん練習しています」と笑う。
「生きることとは表現すること」といわんばかりの生徒集団なのである。
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https://news.yahoo.co.jp/byline/otatoshimasa/20201126-00208542/
→学校ホームページ http://www.jwu.ac.jp/hsc.html
※この記事を首都圏模試センターのサイトで読む→https://www.syutoken-mosi.co.jp/blog/entry/entry002743.php